02

 暗黒城は暗い。窓もなく、そもそも外すら暗く、壁・天井・床の全てが黒色でできている。それこそ私が徒歩で迷子になった要因でもあり、同時にヤミの一族である伯爵の趣味だった。
 有り体に言って私は気が滅入っていた。予言の実行計画が水泡に帰してから、慈善事業をしたりしなかったり、はたまた周囲に馴染んでみたり、伯爵ズの面々は驚くほど一般的な生活を送っている。しかしその住処はどう見ても一般的でなく、あまりに暗すぎる。普段は慣れてしまって、何ら思うこともないが、たまに無性に気分転換したくなる。そういうときは大抵、ハザマタウンに行っていた。
 ハザマタウンは、扉を通ればすぐにたどり着ける大きな街だ。平面的に見えて意外と広く、多階層から成る。下層へ向かうにつれ治安が悪くなるのが玉に瑕だが、治安と言えばかつての暗黒城より悪い場所などないので、気にしたことはない。地下まで行くと池があって、そこにはお化けみたいに大きな魚が住んでいる。水底には人骨らしきものが落ちていたので、きっとヤツは人肉の味を覚えたのだ。生命の神秘、自然の水族館である。ただし、命の保証はされない。

「どこへ行くんだい?」
「ちょっと、普通に登場できないの」

 今日も出かけようというところで、突然ディメーンが現れた。こんなに移動をサボって魔法ばかり使っているのに、この男ときたらほっそりとした美しいスタイルに翳りも見られない。相変わらず、仮面から覗く顔の下半分は陶製の人形みたいに綺麗で、道化服を纏ってなお、すらりとしている。

「何か用?」
「かわいいマドモアゼルが歩いているのを見つけたから、声をかけただけさ」

 言い返す気力も湧かない。九割くらい適当に話しているから、相手にするだけ無駄だとマネーラが言っていたのだ。ドドンタスあたりはバカ正直に付き合ってやっているみたいだから、ディメーンのいいオモチャだろう。馬鹿らしいことだ。

「そう。私出かけるから、じゃあね」
「ステラはよく出かけるねえ」
「こんな星も見えないところで、毎日過ごしてられるわけ? 私は気が滅入るよ」
「ふ〜ん。星ね……」

 ディメーンは私がそう言ったきり何かを考え始めた。珍しく知的に見える。まあ、見事に伯爵や勇者を欺いて計画を進めていたくらいだから、頭は切れるだろうけど。私は他人の感情に疎いというか、興味が薄いから、こうなるとお手上げだ。向こうがどういうつもりなのかは、皆目見当もつかない。

「ボクはもう慣れたけど、確かにそうかもね〜」
「でしょう。だからもう行くね」
「待った。そんなキミにボクがとっておきを見せてあげるよ、マドモアゼル」

 ディメーンは「おいで」と怪しく手招きをした。こんなに気の乗らない誘いも珍しい。しかし、彼の言うとっておきが何なのか気になって近寄ると「両手を出して。こうやって」と言われたので、従って祈るように両手を合わせる。すると、おもむろに手を包まれた。なんて冷たさだろう。手袋ごしとはいえ、こんなに体温が低いのか。

「よおく見ててね」
「怖いことはしないでね」
「まっさか〜。はい、手を開いて」

 言われるがままに手を開くと、なんと、無数の花びらと鳥が舞い上がった。種も仕掛けもない純粋な魔法である。私はあまりのことに、思わず感激して、ディメーンの手を握った。

「き、きれい。ディメーン、こんなロマンチックな魔法が使えたんだ……」
「お役に立てたなら何よりさ〜」
「ありがとう。たまにはかっこいいじゃん」

 と言うと、ディメーンは固まって、またしばし何かを考え込んだ。冷静になってきた。今、かなり「らしくない」ことを口走ったかもしれない。

「……。参ったなあ〜。照れちゃうよ」

 そう言い捨てるや否や彼は明後日の方向を見た。なんとも言えない反応に、私まで気まずくなってくる。さっきのはなにかの間違いだ。いつも打てど響かずのニヤケ面なんだから、今回もさっさと忘れてくれたらいいのに、間の悪い男だ。

「それじゃあ、ハザマタウンにでも行くかい?」
「えっ、ディメーンも来るの」
「気分転換にね。ボクも暗いところにいたら、気が滅入っちゃったのさ」
「さっき、慣れたって言ってなかった?」
「んっふっふ。さっきはさっき、今は今だろ」

 やっぱりディメーンって、九割適当に話してるな。急速にいつもの感覚が戻ってきた。さっきのはきっと、吊り橋効果ってやつだろう。何をされるかわからない恐怖と興奮が合わさったに違いない。

「ディメーンは大魔法使いの息子なんだから、あんな魔法は朝飯前なんでしょう」
「魔法は簡単だけど、今日は難しかったよ。キミの前だから、ボクも緊張するのさ。ところで、大魔法使いの息子っていうのは、あんまり人前で言わないでほしいなあ」
「さらっと教えてくれたじゃない」
「キミだからだよ。二人の秘密ってやつさ」

 よくも胡散臭い口説き文句を連発できるなと思った。あのディメーンが緊張なんかするものか。伯爵さまを裏切ったときだってあんなに堂々していたのに。あれ以上の大立ち回りなんて、あるわけがない。しかし、本人がそう言うなら、特に反論もするまい。

「いいよ。秘密にしたげる」
「んっふっふ、約束を守ってね」

 小指を出されたので指切りした。そういえば、前にもディメーンと同じやりとりをした。あれは確か、世界滅亡の予言が覆されて、彼が満身創痍だったときのことだ。約束事でいちいちこんなことをするだなんて、意外と形式を大事にするタイプなのだろうか。それにしたって、本当に手が冷たい。これがディメーンの普通だというなら、向こうにとって私の手は相当あたたかいだろうと、なんとなく思った。