07

 真偽は定かではないが「星神を食べた」というのは、考えるまでもなく相当やばい話だ。アレが本当の神なのか、人を欺く妖怪なのかは私も知らない。しかし少なくとも、人智を超えるような存在だった。その神殺しが災いしてか、さすがのディメーンも体調を崩した。完全に重症者の体温だったので、部屋へ押し込んで戻してやった。これで平静を装ってやり過ごそうとしているんだから、筋金入りの道化師だ。

「これがマネーラなら、少しの不調でも騒いでるよ」
「おあいにくさま、ボクはマネーラじゃないよ」

 ナスタシアがいたので薬でも頼もうかと思ったが、高熱の原因が病的なものではないことは明らかだから、やめておいた。ついでにディメーンからも「言うな」と釘を刺された。予言の全てが終わり、種明かしまでしてもなお、人に弱みは見せない主義のようだ。なんてやつだ。しかし事の責任は私にあるから、せめてここに留まろうと思った。

「星神さまが原因でしょ。これでも私は、責任感じてるよ。どうしたら治るの?」
「こんなものは、単なる副作用さ。時間が解決することだよ。キミにできることは何もない」
「このまま悪化して、死んだりしない?」
「まさか。死ぬわけがないだろ……」

 ディメーンは私の懸念を皮肉っぽく笑い飛ばした。それは強がりではなく、不変の事実を諦めているニュアンスに近かった。確かに彼は、例の決戦のあと、あれだけのことがあっても「こんなことじゃ死ねない」と言った。死なないのではなく、死ねないと言ったのだ。私はそれを呪いのようだと思う。果たしてこの男は一体何者なんだろうかと、ますます疑問だった。

「故郷にいたときの話なんだけど」
「うん? 急だなあ〜」

 なんとも言えない気持ちだ。まさか私は不安というものに駆られているのではないか。死なないと断言されても、ディメーンという男の無秩序さが危ういと感じる。死んだ魂はスカイランドやアンダーランドへ行く。しかし、死ねないならばどこへ行く? ある日、初めからいなかったかのように、忽然と消えてしまいそうとすら思うのだ。

「私がまだ星神と会ったこともなかった頃、ひどい高熱で寝込んだことがあって、あのときは辛かった。私は星のミコで、神さまの器だったから、ずっと同じ部屋に閉じ込められてた」
「道理で世間知らずなわけだね」
「今はかなりマシになったでしょ」

 ミコを死なせてはいけない。しかし生贄を捧げるその日まで、誰にも触れさせてはいけない。だから、医者だと言う男の声が毎日扉の向こうから語りかけてくるんだ。今朝は何を食べたのか、いつ眠っていつ起きたのか……いろいろ問うて、最後に薬を置いて去っていく。姿は見えないから、足音だけを聞いて去ったのだと思った。

「なんでもない質問だったけど、恐ろしかったなあ。姿の見えない、得体の知れない誰かが毎日抑揚なく問いかけてくるのは。民は私をミコだと言うけど、本当は悪魔の子で、医者は神父で、私を裁きに来ているんじゃないかとも思った」

 そもそも私は人間なのか。ほかの人々はみな外で暮らしているのに、私だけがこの薄暗い部屋に閉じ込められている。記憶をなくした大罪人、悪魔の子、はたまた家畜なのではないか。この薬は私を緩やかに殺す毒薬ではないのか? それら全てが可能性として頭をよぎる日々だ。それでも彼らは笑顔を張りつけて私を崇めていた。今思い返しても鳥肌ものだ。なんという狂った国だ。

「つまり、体調悪いときに一人は心細いよねって話なんだけど」
「……まさかとは思うけど、今の昔話って、それを言うためだけの前ふりだったのかい」
「どうせ昔のことだし。よく伝わるかと思って」
「ウッソだろ」

 絶句された。ディメーンの反応を見るに、私はまたズレたことをしたんだなと思う。いつも私が絶句するほうだから、なかなかない光景だ。

「キミにとっての過去ってそんなもの? 傑作だ。この三千年も『どうせ昔のこと』だって言えたらどんなにか……」
「三千年も生きてんの?」
「生きてるさ、死ねないんだから。あの事故だ。あの事故に遭って、そうなった」

 高熱でおかしくなったディメーンは、ものすごくあっさり秘密をバラした。これで彼に教えてもらった秘密はいくつになるだろう。本当ならとんでもないことだ。伯爵ズなんて、彼にとってはヒヨっ子もいいところじゃないか。大魔法使いって、一体いつの人間なんだよ。思ったより話の規模が大きくて、私は混乱した。私も人間卒業しているので大概長生きだが、それより遥かに長い時間だ。

「死ねないから、世界を滅ぼすことにした」
「自分が死ぬために?」
「違う、とも言いきれない。復讐なのかエゴなのか。新しい世界を作りたかったのか、ただ自分の呪いを解きたかっただけなのか。もうボクにも分からないんだ。ああ、姉さん、ボクは一体何のために……」

 後半はほとんどうわ言のようなものだった。ナスタシアを呼ばなくて正解だった。これ以上聞くのは互いに本意ではないという直感が働いて、私はディメーンの言葉を遮った。

「ディメーン。寝て」
「もう散々眠った……」
「いいから寝ろ」

 布団を被せて押さえつけた。魔法を使わないディメーンなんて、そのへんの一般人と比べたって非力なほうだ。ディメーンは何か言いたげだったが、やがて諦めたようにため息をついた。それは熱い呼吸だった。だから「これは死なないな」と思った。

「故郷なんて大嫌いだけど、私にはもうなにもできることがないんだよ。国は滅びて、生き残りは私だけ。もう随分時間が経った」
「……。そうだね」
「何もない。全て『昔のこと』になっちゃったから、私の世界には何もないんだ。したいこともないし、したくないこともない。だから、ディメーン。望みどおり、きみと一緒に死んであげてもいいと思うようになったよ」

 ディメーンは何も言わなかったし、表情も真顔のままだったが、やおら身を起こして、こちらに手を伸ばしてきた。襟首を引き寄せられる。今度こそ正真正銘のセクハラだったが、私はそれを咎めようとは思わなかった。さっきから、ディメーンはらしくない。平然と振舞おうとはしているようだが、虚勢であることは明らかだ。

「プロポーズみたいなことを言うね」
「そういうもの?」
「同じことさ。一緒に死ぬのも、生きるのも」

 そもそも死に場所がどうとか言い出したのはディメーンのほうだ、と言おうとした矢先だ。熱っ──と思った。それから三秒経って「今何が起こった?」と思った。とてつもなく熱いものに触れた気がして、それはつまりディメーンの体温だ。いつだかは冷たすぎて死人のようだと思ったが、今日は私よりも温度が高い。そして柔らかい……。

「今キスした?」
「……そのようだね」
「なんで?」

 本当にセクハラされた。しかも口に。私はさすがに動揺して、ナスタシアに言いつけてやる! と思った。しかし当のディメーンも呆然と「なんでだろうね……」と呟くありさまである。煙に巻く物言いでもなく、本気で自分の行動が謎のようだ。意外や意外、マジで焦っているのである。

「おかしいな。十秒前の記憶がない」
「三千年前のことは覚えてるくせに?」
「一体、何を思って──いや、違う……」

 話にならない。ディメーンはディメーンで何やら沈思に耽ってしまった。そもそもこいつが体調を崩す時点で天変地異のようなものだったんだ。それが何百年ぶりかは知らないが、とにかく気が動転しているに違いない。そうでなければ、こんな見たこともない顔をしない。私はあまりに拍子抜けな反応に、言おうとしていた文句を忘れた。気勢を削がれてしまった。

「もういい。寝ろ」

 今度こそ眠りについてもらう。一言、私が睨みつけると、ディメーンは全く覇気のない顔で「Oui」と言った。三千年生きた大魔法使いとは思えぬ弱々しさだった。しかし次の日には、すっかり元通りなのである。