授賞式やコメント取りを終えて、一気に緊張が体から抜ける。送迎車の中で限界までリクライニングを倒してだらりとしていた。

「松村さん明日の迎え何時にしますか?」
「え?あーいいよ自分で行くから」
「寝過ごしませんか?」
「バカにすんなよ〜流石に起きれるよ」

今日が終わればあしたの20時まで家でゆっくりできる。その間に、名前ちゃんと仲直りができる。はず。

華々しい大きな仕事を終えたと言うのに、清々しさは全然ない。仕事とは別の新たな緊張が生まれていた。

今から家について、もう今日も終わるけど。
片付けてから寝るか、寝てから片付けるか。まぁお風呂に入りながら考えようかなとか。脱ぎ散らかした服を片付けないと、シンクの中にコップ溜まってる、掃除機も1週間かけてないな。

取り留めのないことばかり考えているうちに自宅へ到着したことを知らされて、マネージャーにお礼を言って車を降りた。

お風呂入ったらお腹空くかなぁ。冷蔵庫の中何かあったっけ。お酒もないかも。てかなんもないかも。でももう買いに行きたくないな。

このまま着替えもせずに寝ちゃった方が気持ちよいかななんて、相変わらずダラダラとした思考で玄関を開けた。

「電気ついてるじゃん」

朝消し忘れたなぁなんて、複雑に紐が絡まった靴を乱暴に脱いでいると、廊下の先にある扉がガチャりと開いた。

「おかえり、なさい」
「…えっ?名前ちゃん?びっくりしたぁ」
「おつかれさま」
「あ、うん、疲れた…」
「お風呂入る?それともなにか食べる?」
「ご飯あるの…?」
「ちょっとだけ…なら」
「た、食べる!」

驚いた表情をキリッとさせられないまま名前ちゃんの後に続いてリビングへ入って見えたものは、この数日で荒廃していたのにピカピカになった部屋だった。
綺麗な部屋に入るだけで疲れが取れるというのに、いい匂いもするなんて、なんてことだ。



「ごちそうさまでした」
「シンクに入れて置いてくれたらそれでいいからね」

名前ちゃんが用意してくれた軽食を食べた。彼女は正面に座って俺を眺めていることもなく、ソファでタブレットを開き仕事の連絡を返しながら、俺の長々とした話に相槌を打つ。

授賞式がいかに緊張したとか、言い回しが完全に下手くそだったとか、思い返せばネガティブなことばかり口に出る。もっと上手くやれたのに、出来ないことばかりだ。

「でも頑張ったんだから。それでいいんじゃないの」
「…そうかな、だよね…」

シンクに水を張る音に掻き消されたか聞こえていたか分からない程度の"だよね"が、名前ちゃんの励ましに嬉しいのに情けないことしか言えない俺をもっと情けなくさせる。

「どうしたの?大丈夫?」

気付けば隣にいた名前ちゃんが、シンクの水を止めて俺の背中をさする。
久しぶりの温もりに、思わず泣きそうになった。

「優しいね」
「北斗くんがいつも自分にちょっと厳しいから、代わりに優しくしてるだけだよ」
「なにそれ素敵」
「なにそれ」
「今日名前ちゃんがいてくれると思わなかった」
「そうでしょ、私もそう思う」
「明日のお昼くらいかなって思ってた」
「ゆっくり寝たいかなって、迷ったけど」

でも、と言いかけてやめた言葉の先が気になって、じっと見つめるとそんなに見ないでよなんて言う。

「…ちょっとでも早く、会いたくて」
「待って今泣きそう」
「えっ」
「っあー、ごめん、今ちょっとこっち見ないで」

狼狽える手を引っ張ってソファの方へ引連れて、座ろうとする彼女を止めて思わずいつもより強く抱きしめた。

「そうだったらいいなって思ってた言葉が出てきたもんで、びっくりした」
「そ、うなんだ…?」
「名前ちゃんからそんな言葉聞けるなんて今日死んでもいい」
「それはちょっと困っちゃう」
「ちょっとなの?」
「…すごい困る…というかダメ、そんなこと冗談でも言わないで」
「ごめん」
「いいよ」

躊躇いがちに抱きしめ返された腕は、ここ数週間焦がれていたもので。
会いたくて仕方がなかった。抱きしめたくてたまらなかった。

「北斗くん、すごいお化粧の匂いする」
「華やかな日だったからね」
「ふふ、そうだね」
「名前ちゃん」
「なぁに?」
「この間は、ごめんね」
「…謝るのはわたしだよ」
「名前ちゃんは何も悪くないよ」
「わたしが意地っ張りすぎたんだよ」
「俺が考えなしだったんだって」
「ふふ」
「…あはっ」

少し体を反らせてこちらを見る姿がとても可愛くて額をごちんとくっつけたら、ふにゃりと笑うから、やっぱりそれが可愛くて思わず笑ってしまった。

「どうしたら許してくれるかなって、ずっと考えてたの」
「俺もずっと考えてた」
「いつも素直じゃなくてごめんね」
「そんなあなたが好きだよ」
「え」
「え?」
「あ、いや…え、そんなストレートに言われるとちょっと、恥ずかしい…」
「かあいいね」
「やめて」
「好きだよ」
「や!もう〜からかわないで」
「なぁんでよ。好きなものは好きなのよ」

ぐりぐりと額を動かすからちょっと鼻が掠めて、それを合図に小さくキスを落とした。閉じられた瞳の間を通るスッとした鼻筋をかじると、目を瞑ったままやめてよなんて言うから。

「名前ちゃん、だいすきだよ」

明日になったら、ホワイトデーのお返しに買ったちよとお高いパジャマをあげるんだ。もちろんおそろいで。

そんでもっと家にいて欲しいって言おう。
そう心に決めて、もう一度彼女にキスをした。