「天気が良いなぁ〜仕事なくってよかった〜」

まぁまぁのボリュームで独り言を呟いてしまうのは、一人暮らしの悲しい性である。独り言というよりも、空気中の何かと会話していると言ってもいい。

昨日慎太郎の家から持ち帰った私物を丁寧に手洗いして、心地よい陽が差し込むベランダへと干した。

海外旅行で一目惚れして購入した、派手なブランケット。本当は二人で行くはずだった旅行で、直前に慎太郎に地方仕事が入ってしまって急遽行けなくなった。

元々1人で行くつもりだったところに慎太郎が乗ってきただけだったから、そのまま中止せずに敢行したけれど、やっぱり2人でいく心積りになってしまっていて、2日目の夜に寂しさから余市を徘徊していた時に見つけたこれは、その柄が慎太郎の笑顔みたいだったから思わず買ってしまったんだ。

「君ももうシーズンオフだねぇ…それと君もね」

もうすぐ春が来る。ただでさえ慎太郎の家は暑いので、早めの衣替えかなぁなんて持ち帰って。
バレンタインでちゃんと好きだよって伝えていつも慎太郎から貰っている愛情を返したかったはずなのに、結局自分の荷物を回収しただけで終わった。

洗濯物を干し終わって、少しだけベランダでぼーっとする。ああいい天気だなぁ。有給無駄にしちゃったけどこういうのもありだなぁなんて思いながら、数回深呼吸して部屋に戻った。

この際だから衣類も衣替えしちゃおうかな、気分転換に部屋のレイアウト変えようかな、そんなことを考えながら2杯目のコーヒーを入れた。







気付けばもうすぐお昼という時間だった。コーヒーとタバコを片手に新しいソファを探していただけで1時間半も経っていたなんて、恐るべきインターネットの魔力。
最後はもう慎太郎の動画見てただけだけど。吸い込まれるように時間が消えたことに、素直に驚きが隠せない。

「お腹すいてますか〜?」

空いているような、いないような、いまいちパッとしない空腹加減に思わずお腹を撫でながらまた独り言を呟いた。
相も変わらず悲しい性である。


「どぅ、えっ?!え??え!!」
「びっ…くりしたぁ…慎太郎…どうしたの…」
「え?!おなか?!今誰に話したの?お腹?!に、妊娠した?!」
「はぁ?」
「嫌だって、お腹すいてますかって…え?!なに?!ほんとに言ってる?!」
「ちょっと落ち着いてくれる…?独り言だよ…妊娠なんてしてない…」
「っあー…んだよもぉ。紛らわしいよお」
「よくわかんないけどなんかごめん」
「いやもうマジで今一瞬でパパになる覚悟とメンバーの顔と走馬灯みたいになったよ」
「あはっ、なってくれるんだ、パパ」
「何言ってんの、そりゃなるよ」
「そりゃなるんだ…」
「そりゃね?!いや最近ゴム失敗したことないよな?!とか考えたけど」

寝癖だらけの頭で突然現れた慎太郎は、嵐のようにまくしたて、そして後頭部をボリボリと掻きながらへなへなとしゃがみ込む。
久しぶりに見る自宅での慎太郎の姿に、ちょっと気恥しさを覚えた。最後にうちに来たの、いつだったかしら。

「どうしたの?いきなり」
「いや、その…」
「なぁに」
「今朝、帰ってきて…ちょっと寝たんだけど、寝れなくて」
「疲れすぎたんじゃないの?ちゃんとお風呂であったまった?」
「あのさぁ、その…」

眉をひそめて、歯切れの悪そうな口ぶりは、慎太郎にしては本当に珍しい。
とりあえず座ったら、とソファへ促して南部鉄器のヤカンにお水を張った。コーヒー飲む?と聞けば、小さく飲むと返ってきて、すごい疲れてるなぁなんてくしゃくしゃの後頭部を見て思う。

なぜか全く言葉を発さない慎太郎は、自分の爪を眺めながら息を吸ったり吐いたりしていた。こんなに黙っている慎太郎は久しぶりに見た。あの時…は確か付き合うちょっと前で、なんで喋らなかったんだっけ。

沈黙が流れ続けるリビングで、カタカタとヤカンの蓋が揺れた時、また大きな声が家中に響き渡った。

「あ!!!!」
「うるさ…なに…」
「あ、あれ!あれだよ!」
「なに?どれ?」

呆気に取られる私を他所に、ものすごい勢いでベランダへと飛び出す。危ないと思いはしたものの、何が何だかわからないまま、ひとまず火を止めてベランダへと出た。

「これ!このブランケット!」
「声おっきいよ…ねえ、このマンション外から見えるから、ベランダなんて出ないで」
「あ、ごめん戻る…ってあ!スウェットもあんじゃん!」
「だから声が大きい!」
「ごめんごめん」

シーっと口元で指を指して、慎太郎をベランダから引っ張り戻す。体格の差がありすぎて、もちろん引っ張ったからと言って動く訳もなく彼が着いてきてくれたから戻れたのだけど。

「何を言ってんの、さっきから」
「あ、うん、話すから…コーヒー入れてよ」
「…なんなのもう」

さあさあ!と背中を押す手は大きくて、なんだかよく分からないけどまぁいっかという気持ちになる。まぁいっかと思わせる天才だから、結局いつも振り回されるけど、それが楽しい。

慎太郎はこれまた珍しくキッチンの隣に立って、いつもより少し近くでコーヒーを入れる私を見ていた。
こんな昼間から、こんなに近くに来ることなんて滅多にない。ベタベタするのは嫌いらしいし、無闇にくっついてくることもない。手も繋がないし甘い言葉も言わない。
でも、それが逆に心地よかった。こちらが少し物足りないくらいの方が、私には合っている気がした。

「あのさぁ」
「なぁに、さっきからずっとそれ」
「今朝帰ったらさぁ…あのブランケットとか、スウェットがないなって思って」
「え、慎太郎そういうの気付くんだ」
「いや!まぁ、そりゃ俺も?たまには?」
「ははっ、なにそれ。もう季節外れだから違うのにしようと思って持って帰ってきたんだよ」
「その…名前がさ。俺の家から荷物全部引きあげたと思って…マグカップも無かったし?」
「マグカップ…?あのケンタッキーのおまけのやつ?」
「そう、赤だっけ?のやつ」
「あれもう随分前に割れちゃって、ないよ」
「え!そうなの?」
「言ったけどね…」
「ご、めん…」

決まり悪そうにこちらを覗く顔は、あーしまったなぁなんて思ってるんだろうな。全然いいけど、絶対聞いてないと思ってたし。その時は、ねー聞いてるの?って可愛く拗ねられたらいいのかな?なんて思ったりしていた。

「名前が、」
「わたしが?」
「家のもの全部引き上げて…その…」
「うん?」
「わ、別れるつもり…とかなのかなと…」
「ううん?」
「樹がさ、名前ちゃんに甘えすぎていつか愛想つかされるよって、この間言ってて」
「慎太郎は甘えたちゃんだもんね」
「荷物がなくなってて、まずいと思って、めちゃくちゃ眠かったから寝てから考えようと思ったんだけど全然寝れなくて、それで…」
「それでうち来たの?電話してよ」
「着拒とかされてたら怖いなぁと思っちゃって」
「慎太郎でもそんなネガることあるんだね」

なんだそれ。それで疲れてるのに慌ててきたの?なにそれ可愛いね。
慎太郎のうちに行っていたことがバレたのは誤算だったけれど、よく考えたらシェリーのお世話をしていたんだから、バレて当たり前だった。

慎太郎がよかった〜!とこれまた大きな声を出して、おもむろに横から抱きついてくるせいでヤカンの先端が大きく揺れる。

「あぶない!いたい!」
「ごめんごめん!いや〜良かった」
「良かったね、はいコーヒー入ったよ」
「ありがとう〜ってかさ、なんで昨日急に来たの?珍しくない?」
「え、何が?」
「名前が、俺居ないのわかっててくるなんて、ないじゃん。てか今日仕事は?」
「…変なとこはすぐ気がつくね」
「え?変なの?」
「……変というか、」

飛び込んできた慎太郎があまりにも素直で。いつもならなんでもないよと誤魔化してしまうけど、この勢いを借りて、私も素直に話した方がいいかな、なんて思うことが出来た。

コーヒーを1度置いて、キッチンに置いたままの紙袋を手渡すと、慎太郎はなにこれ?と言いながら中の箱を取り出す。

「バレンタインのチョコ、を、渡そうと思って」
「え、それでわざわざ来てくれたの?」
「そう…で、帰ってくるの朝かなぁと思って…今日は有給を取っていまして」
「俺と休むために?」
「う。そう、はっきり言われると…まぁそうなんだけど…」
「なにそれ!名前のどうしちゃったの?」
「あーもう!ニヤニヤしないで!」
「するよ〜するするするするスルーしない!」
「元気だねぇ」

取り出したチョコレートを嬉しそうに開ける慎太郎に、なんだか地くんのチョコレートに嫉妬したことさえあほらしくなって。
じゃあ今日は一緒に休めんね、なんて笑うから、つられてこちらもつい笑顔になる。

「ありがとね」
「ホワイトデー期待してるね」
「任せろ」
「ふふ」
「なんだよ」
「いやなんでもない、あっち座ろ」

家に入ってきた時の慎太郎の顔。焦ったような驚いたような顔をして、タクシーで来たはずなのになんだか肩で息してて。

子供出来たのかなんて勘違いして、でも一瞬でパパになるとか言っちゃって。
嬉しいなあと、横に座るもふもふ頭をついつい撫でる。

田中樹、君はわかっているようでわかってないな。私と慎太郎はこれでいいの。
底抜けに明るい彼が、太陽のように輝いていて欲しいから、これでいいの。