仕事を終えた慎太郎が帰ってくるまで、あと30分ほど。
珍しく随分早いうちから"この日名前の家行っていい?うちでもいいけど"と連絡をしてくるので、その日は私も仕事で遅いからこちらに来てくれる方が早く会えるよと返事をした。

割とくたくたになって帰宅して、ひとまずシャワーを浴びて。昨日の夜に片付けて置いたから、部屋は綺麗になっている。
"美味いもん持って帰るわ!"と、食事の用意はいらないと言われているし、とりあえず床をクイックルしながら彼の到着を待った。

もうだいぶ暖かくなってきた春の夜、少しだけ開けたカーテンから、土埃の匂いが香る、3月なかば。慎太郎と付き合い始めてから2年が経った。

帰り道に寄れる位置にあるのかな、なんて呑気に思いながら、お湯を沸かそうと立ち上がったところでチャイムが鳴った。
思ったより早かったなぁなんて玄関に向かえば、合鍵を持っているのに扉は開かない。
あれ?慎太郎じゃなかった?恐る恐る扉を開くと、玄関の幅ちょうどくらいの、謎のクーラーボックスを抱えた慎太郎が立っていた。

いや何それ。デカ。

「ねえちょっとドア押えてて!」
「おかえり?なにそれ」
「いいからいいから」
「このキャリーケースも持って入る?」
「あ、うん!中いれて置いといて!」

ズカズカと1人でリビングに行ってしまい、慎太郎のキャリーケースと、その横にあるパーカーが放り込まれた紙袋を一緒に玄関に入れてから後へ続くと、慎太郎はすごく楽しそうな顔をしながらクーラーボックスを開封していた。

「やば、なにこれ」
「マグロだね!あと鮭とイカ」
「きれいなマグロだね」
「釣ってきたのよ!マグロは貰いもんだけど。今日撮影午後だけだったんだけど、ちょっと僻地で前乗りしたから朝釣りしたの!」
「そうなんだ…?」
「地元の漁師さんが捌いてくれて、そのままこれに入れて保冷してくれたんだよね。半分くらい冷凍した方がいいかな」
「えっ、うちに冷凍するの?」
「入んない?」
「ギリかな…」
「まぁはみ出たぶんは持って帰るわ」
「そうして…」

キラキラと目を輝かせて、慎太郎は綺麗にトリミングされた切り身たちを丁寧にラップにつつみ始める。今日はそのままお刺身がいいんじゃない?なんて、肩を並べてキッチンで笑いあった。









「ところでなんだけど」
「ん?」
「これどうぞ」

食後のまったりタイム、2人並んでテレビを見ていた。

今日までに考えていたプランはふたつ。
俺がめっちゃ頑張って釣った魚を持って帰る。
めっちゃ美味しいご飯を一緒に食べて、出来るだけ名前の話を聞く。いつも俺ばかり喋っているからね。
そんでもっていいタイミングで、今日のために用意したプレゼントを渡す。渡しながら、これまでの感謝と、めっちゃ名前が好きってことと、これからも一緒にいて欲しいってことを伝える。

プランは悪くないと思う。と言うかたぶん普通。
問題はどうやって言葉にするかで、語彙力のない俺は、上手に伝えるセリフを思いつかないままここへ来ている。
北斗に相談しようかなと思っていた先日、そういうのは自分でやるんだよと、何かを言う前から諭されてしまった。

でもやっぱり上手く言える気もしない。こういうときは、もうなるようになる、そう思い込むしかないと相場は決まっている。

「え、なにこれ」
「ホワイトデー的な、そんなかんじ的なやつ」
「あは、ウケるありがとう」
「ちょっとちゃんと開けて!」
「慎太郎のパーカーじゃん」
「あ!違う!その下!!それは目隠しにしておいたの」
「そういうこと?」

この紙袋なに?と気にされないように、自分の服で隠していたのを忘れていた。
ガサゴソとパーカーを取り出せば、それなりに大きな箱と、ちょっと小さい箱が入っている。
なんかいっぱいあるじゃんと、名前は楽しそうに広げて先に大きい方の箱を先に開封した。

「なにこれ?ゴーグル?」
「一緒にダイビングしませんかっていう」
「えー嬉しいかも」
「マジ?ちょっとネタくらいのつもりで買ったから…」
「あんまり自分の趣味に干渉されたくないのかと思ってた」
「そんなことないけど…一緒にやってくれるなら、ぜひ」
「講習受ければ行ける?」
「行ける行ける。てか海好きなの?」
「そこから?海好きだよ。まぁ慎太郎がよくドライブ連れてってくれるから好きになったのかも」

最近起きた職場での修羅場とか同僚との揉め事とか、たくさん愚痴を聞いたのが良かったのか、それともこちらから出向いて来たのが良かったのか、わからないけど今日の名前はいつもより少し素直で、なんかこう、まろやかな雰囲気だ。

ゴーグルセットを取り出して、似合う?なんて顔の前にかざしてみせる。普段あまり見せない子供っぽい仕草がなんだか可愛い。
もうひとつ、こっちも開けてよと手渡すと、サイズ感がすごい違うねと少しだけ歯を見せる。

「わぁ、すご」
「すごくない?これ!キラッキラでしょ」
「キラッキラだね」
「指輪はサイズがわからんすぎたので、ブレスレットにしました、と」
「よくこんな女の子っぽいお店行けたね」
「ホワイトデーだし?」
「そんなこだわるタイプだった?」
「まぁ、いちおう」
「んは、ありがとう」

ねえ付けてよ、と珍しく甘えたことを言う名前の手首にブレスレットを付けるため、金具を外す。うわぁ、緊張してきた。女の子の手首って、こんなに細いんだ。というかこの金具、華奢すぎない?

少しだけ震える指先が、どうか名前にバレませんように。

「ありがとう、大事にするわ」
「どういたしまして…あのさ」
「なに?まだあるの?」
「いや…あのさ…あのさ!」
「声でっか…」
「その…いつもありがとね」
「ん?」
「俺、自分で言うのもあれだけど、名前に結構甘えてると思うんだよね」
「そう?」
「メンバーには絶対言わないような変なわがままみたいなのも、名前には言っちゃう時があって」
「そうなんだ」
「でもいつも聞いてくれてありがとうということです」
「どういたしまして…?」
「後にも先にもこれまでないくらい、めっちゃ大事にしたいと思ってるから。名前のこと。大好きだからね」

なぜか拳を握りしめて、向かい合った名前の、多分おへその辺りをずっと見ている。
顔が見れない。恥ずかしい。恥ずかしいけど、どうにかちゃんと言えた気がする。

「…バレンタインからなんか変だね、慎太郎」
「変て…」
「ごめんごめん、変じゃないけど…その、ありがとう?」
「俺こんなだけど、ちゃんと名前のこと大事にしたいと思ってるからね、ほんとのほんとね」
「ふ、ありがとう」
「名前は?」
「わたしは?」
「俺のこと好き?」
「…言わないとダメ?」
「だめでしょ!」
「え〜」

こちらから顔を向けると、ふいとテレビの方を向いてしまう。でもきっとテレビなんて見ていない。視線は微妙に泳いでいて、戸惑ってんなとおかしくなる。

「こーら」
「あ、ちょっと!」

テレビを消して、リモコンをテレビ台に戻す。見てないくせに、音が無くなるのが不安な様子で慌ててソファから立ち上がってくるのを防ぐってことにして抱きとめた。

「慎太郎、ほんとなんか変だよ」
「変じゃないよ」
「こんなことしないじゃん、なんかやましい事ある?」
「んなことねぇわ!たまにはいいじゃん、ちょっとラブっとした感じも」
「ラブっと…」
「こないださぁ、最後帰ってきてくれれば何しててもいいよって言ったじゃん。なんかちょっと引っかかって。俺、フラフラしてるように見えんのかなって」
「ものの喩えでしょ」
「俺そういうのわかんないもん」
「…フラフラしてるってことじゃなくて、外で元気にアイドルやって、俳優やって、芸能人に囲まれてキラキラして、そうやってパワーたくさん使ったら、ここに充電しに来てくれればいいの」
「じゅうでん」
「だから、わたしのところに来る時の慎太郎は、もうなんのやる気も残ってないような空っぽの状態でいいってこと。ダラダラして、好きなことだけして、ぼーっとして、そういうこと」

わかった?ほんと単細胞なんだから。俺の胸に顔を埋めてボソボソと話す名前は、ちょっと見える耳まで赤い。慎太郎に宛てられて、柄にもないこと言っちゃったじゃんと俺の鎖骨におでこをぐりぐりと押し付ける。

「それってさ、俺の事めっちゃ好きじゃんね?」
「…想像におまかせで」
「ねぇ、ちゃんと言ってよ」

押し付けられた頭をそっと撫でた。小さくて綺麗な後頭部は触れる度に名前の匂いがする。
愛の言葉みたいな、照れくさくて言えないようなことばっかり言い合って、こんなふうに抱きしめて、ほんとお互い柄じゃないけど、うん、たまには悪くない。

「…好きだよ、太陽みたいな慎太郎が、大好きだよ」
「燃えたぎる男だからね」
「ふっ…そうだね」

名前の腕が背中に回るのを感じて、何だかたまらない気持ちになる。

世界で1番、愛してる。今はまだ"好き"が限界だけど、きっといつか。愛してるって伝えるから。
それまでもずっと、これからもずっと。お互いを大事にしていこうね。