「あ、おかえり」
「ただいまぁ、あっついあつい〜やば〜」
「あれ?みんなはまだ?」

現在サプライズ温泉旅行を決行中。日帰り温泉へ遊びに来ただけだと思っている名前は、送ってくれたみんなが帰ったことをまだ知らない。

"時間貸しで休憩させてくれる"と樹が伝えた旅館の一室で、いつも早風呂の名前は案の定先に出て待っていた。
とある観光名所から少し離れたこの旅館は、あの日パソコンで調べていた温泉地で。
春休みの学生が泊まりに来るには少し高価なところ。かと言って静けさがウリなので、ファミリー層も実は少なく、ゆっくり流れる時間を好む高齢のご夫婦が客層としては多いらしい。つまりこっそり旅行をするにはもってこいの場所だった。

「AHA!名前ってほんとかわいいね」
「はい?」
「もうみーんな帰ったよ?」
「んっ?!え?」
「温泉入ったのは、名前と俺だけっ」
「えっ!え?どうやって帰るの?電車乗るつもり??」
「AHA!まぁそうだね〜新幹線かな。どうしよう?泊まっちゃう?」
「はい?え、なに?どういうこと?」
「ハイハイ落ち着いて〜おすわりして〜」

慌てながら詰め寄ってくる名前の肩を持って、ポンポンと座席に座らせる。準備してくれていたお茶のカップをふたつだけ残して片付けた。

「言ったでしょ、surprise!」
「サプライズでドライブだったんじゃないの?」
「Non!それだけじゃないんです〜!なんと!今日はここに泊まりまーす!」

目の前でぽかんとしている名前に向かって、1人で大きく拍手を送る。全然意味わからんって顔してるのとーっても可愛いね。

「名前が温泉調べてたから、行きたいのかなぁって。ホワイトデーのお返しね!観光は出来ないけど、いつもと違う感じでゆーっくりしよ」
「調べてた…たしかに…」
「びっくりした?」
「うん、びっくりしたかな…」
「え!ちょ、ちょっと待って!なんで?泣くとこあった?ごめん!大丈夫?どっか痛い?」

自信満々に拍手までしてしまったけれど、いきなり名前の目から大粒の涙がこぼれ始めた。表情は変わらないままなのに、突然涙だけが溢れるなんてことがあるのか。ドラマとか、漫画でしか見た事のないその流れ方に慌てふためく。

やっぱり無断でメンバーに会わせたのはやりすぎだっただろうか。俺はテーブルに体のほとんどを乗せて、手元にあったタオルで涙を抑える。

「ちが、ごめん。あれなんでだろ、ごめん」
「大丈夫?ごめんね。急すぎたよね、ごめん」

互いにごめんごめんと言い続けて、名前がタオルで顔を隠す。楽しいことをしたかったのに、これじゃ意味が無い。やりすぎてしまったのだろうかと不安がよぎると、少し落ち着いたのか、息を整えながらぽつぽつと話し出した。

「びっくりして。ごめん。全然悲しいとか嫌とかじゃないの。ごめんね」
「やっぱり先に言えばよかったね。調子乗りすぎた」
「そんなことない、ほんとに違うの。あんなただの、思いつきで調べてた画面見ただけで、そんなに考えてくれたんだなって思って。びっくりして」
「お泊まり出来そう?嫌だったら帰る?今ならまだ、樹たちそんな行ってないと思うから」
「大丈夫、ほんと。お泊まりしたいよ、うん」
「ほんとに?無理してない?」
「ほんとのほんとに大丈夫だよ」

お風呂上がりでメイクの取れた顔がタオルから覗き出る。メイクがない分、目の周りか少し赤くなっているのがはっきりと分かって、少し胸が痛んだ。

不安な感情が表情に出てしまったのだろう。名前は1度立ち上がって、隣の座布団へと移動する。

「あんまり、こういうの出来ないと思ってたから。見つかったりしたら大変なのに、いろいろ考えてくれてありがとう」

そんな顔しないでと、俺の顔を包み込む暖かい両手が、親指で下がりきった眉毛をぎゅうぎゅうに押してくる。

「感動しちゃった」
「も〜、嫌すぎて泣かれたと思った」
「んはは、そんな事ないよ」
「いっぱい我慢させてるなと思って。こういう時くらいは一緒に行けたらいいなって」
「うん」
「いつも俺の気持ち伝わってる?」
「伝わってるよ、ちゃんと」
「俺と付き合ってて楽しい?」
「楽しいよ」
「俺のこと好き?」
「…好きだよ、もちろん」
「そっか、良かった」

自分の手のひらを重ねて、ぎゅ、と噛み締めるように握りしめた。

名前が好きなんだ。ずっとずっと。だから、好きだと言って貰えないことが不安だった。愛してるよと伝えても、笑うだけの君は、いつも何かを隠している気がして。

たった一言がこんなに嬉しいなんて。それだけで一生懸命働いて時間作ってよかったなぁなんて思う。

「ジェシーが」

握られた手をそっと離して手のひらを触れ直しながら名前はふふ、と笑った。

「たくさん好きだよって言ってくれるのは、凄く嬉しいの。わたしも心の中では言えるんだけど、恥ずかしくて口に出せなくて…ごめんね」
「こんな仕事だし、外にも行けないし、でも名前なぁんも言わないから。すごい耐えてくれてるのか、実はあんまり興味無いのか、わかんなくて」
「興味いっぱいあるよ、ジェシー今何してるのかなって、いつも考えてる」
「ほぉんとに?」
「ほーんとに!」

2人して自然とおでこを寄せあってクスクスしていると、それだけで幸せになれるから、やっぱり名前はすごい。









明日は電車で帰らなくちゃいけないし、多分席も隣には座れない。東京駅についても別々でタクシーかもなんて言えば、じゃあ品川で降りておこうかななんて返される。

「ねぇ、狭いよ」
「そお?ちょーどよくない?」
「全然狭い、ほんと暑いし」

並べてもらった布団は2組なのに、片一方の端に名前を押しやってぎゅうぎゅうに詰める。
一息ついたあとの汗ばむ感じも、素肌のまま布団を被るのも、ベタつく足を絡めるのも。
暖かくて大好きな時間だけれど、名前はどうやら嫌らしい。

「さっきまで、あーんなにかぁいかったのに〜」
「うるさい、黙って」

長い髪をかき分けて、鼻で首筋を探す。女の人にしては背の高い名前だけど、俺の中でこうやってすっぽりと収まるのが最高で。

「だいすきだよ」
「そう、ありがとう」
「あ!またそれ〜」
「もう今日の分は使い果たしました」
「明日ならいいの?」
「…来年かな」
「遠すぎじゃん!」