翌日、名前に"ありがとう"とだけLINEを入れた。ゆっくり休んでねと返信が来たのを確認してスマホを閉じる。
休めたらなぁ、いいんだけど。
寝落ちしていたソファから体を起こして、寝ぼけた頭を起こすため顔を洗う。15時に迎えが来るまでに、なにかお腹に入れたいななんて思い冷蔵庫を開けると、有難いことに作り置きのタッパが重ねられていた。

その中からひとつ大学いもを取り出して、つまみ食い。うまいなぁなんて、名前の顔を思い浮かべる。

なんで家にいてくれなくなったのか、思い当たることがほとんどない。ゲームやスマホに夢中になることもあったし、俺ばっかり話している時もあった。疲れすぎて優しくできなかった時もある。
けれど、言ってしまえば今に始まったことでもない。名前がまだ恋人になる前からずっとそうで。だからどれが理由だとも分からず、これが"積もり積もって"というやつか?なんて考えては疑念を振り払うように仕事に打ち込んだ。

「おはよ」
「あ、おはよう」

迎えの車の中に、先に拾われてきた北斗が乗っている。俺に遠慮したのか付けていたイヤホンを外してバッグへと仕舞う姿に、そのままでいいのに、とも言えずお互い挨拶を交わして窓の外を見た。

「疲れ取れた?」
「いや全然、歳だな」
「なんでこう残っちゃうんだろうね、これは」
「30代に突入したらもっとキツそう」
「あは!たしかに。先輩たちは偉大だね」
「ほんと」
「でもあなたはいいじゃない。帰ったら癒してくれる人いるんだし」
「へ?」
「え?」
「名前のこと?別にいないよ」
「えっ、一緒に住んでるんじゃないの?」
「住んでない」
「そのために実家出たのかと思ってたよ」
「まぁそれもあったんだけどね」

ふぅ、とひとつため息を着くと何かを察した北斗と目が合った。車は住宅街に差し掛かり、外は静かだ。うっすらと流れるラジオの音と、小さく話す北斗の声が重なる。

「なぁんか最近さ、誰かさんも似たような事で悩んでたけど」
「そうなの?」
「そういうのは、もう相手とちゃんと話さないと分かりゃしないのよ」
「俺なんも言ってないけど」
「大体わかるのよ、俺らは同性で、メンバーだからね。でも彼女は異性で、他人だからね。話さないと分からないことばっかりだと思うよ」
「そういうもんかね」
「そういうもんだよ」

そういうもんだよ、と繰り返して、北斗はまた外を見た。その言葉を反芻しながら同じように外を見ると肩を寄せ合いながら信号待ちをするカップルが目に入る。

あの人たちは、喧嘩したらどうやって仲直りするんだろう。そもそもどういう喧嘩をするんだろう。名前とは昔からしょっちゅう喧嘩をしてたけど、最近はそれもない。

「もうすぐ着きますよ」

マネージャーがそう声をかけたとき、車はスタジオの地下駐車場へと吸い込まれた。









仕事を終えてスマホを開くと、名前からLINEが来ていた。内容はただの雑談でそれに返しながら差し入れられたトマトを齧る。

「普通なんだよなあ」
「ごめんなに?」
「ひとりごと」
「あっそう」

メイクを落として洗顔していた北斗が顔を拭きながらこちらへと戻ってきて、まぁ大した内容でもないしなとトーク画面を見せる。

「駅にケバブ屋出来てた、食べたことない、わたしも、日本語で注文できる?出来るでしょ…なにこれ」
「普通の会話」
「ごめん何の話?」

着替えた衣装を綺麗にたたみ、向かいの椅子に座って不思議そうな顔をする。これハンガーあったっけ?と聞くと無いよ、あなた片付けなさいよといいながらなんだかんだで北斗が俺の分も衣装をまとめてくれている。

「なんの話でもないんだけど」
「なんでもなさすぎて驚いたよ」
「こういうやりとりは普通に出来るのに、顔合わせるとなんかしんどそうな空気が流れるの、なんで?」
「知らんがな」
「普通LINEとかはそっけないけど顔合わせるとデレる、みたいなのが多いんじゃないの?」
「顔が嫌いなんじゃないの」
「顔が売りなんですけど、俺」
「おお言い切るねぇ」
「俺のファンの8割は顔では」
「まぁジャニーズなんて顔よ」
「顔嫌われたらどこ伸ばせばいいの?歌いながら喋ればいい?」
「そんな日常でミュージカルみたいなの絶対いやだ静かにして欲しい」
「もう売りが消えた」

手がないわとふざけて天を仰ぐ素振りをすると、少し困った顔をしながらじっとこちらを見つめる。
もうすぐ冬が終わると言うのに、未来は全然明るそうに見えなくて、どうしたらいいのかが分からないままだ。

「珍しいね、あなたが俺にそんな話するの」
「そう?まぁそうかも。ちょっと似てるんだもん北斗に」
「彼女さんが?」
「うん」
「お前俺の事めっちゃ好きだもんね」
「はっ確かに」
「俺に本当に似てるんなら内心激重どろどろ系じゃないのよ」
「そうなの?」
「そう思うよ」
「そんな感じしないけどなぁ」
「作ってんのよ自分を」
「2年も付き合ってんのに?」
「期間じゃないのよこればっかりはね」
「熱弁するね」
「俺に似てるなんて言われちゃあね」

パイプ椅子の上で器用に胡座をかく北斗は、少し楽しそうな顔で熱くなって話すけれど、そこも、似ているなぁとぼんやりしてしまう。

名前はいつもどこか落ち着いていて、時間がゆっくり流れているように感じる人だ。けれど楽しいことは全力で付き合ってくれたし、しんどい時はとことん話を聞いてくれる。

自分で言うのもなんだけれど、かなり大事にしていたと思う。振り返れば自分勝手なところばかり思い付いてしまうけど、でもそれでも、名前を置き去りにして進むようなことはしていなかったつもりだ。
それは彼女が俺を大事にしてくれるからこそ。自分も返したいと思えた人だった。

「上手く聞けるかなぁ、俺」
「いつも通りいきなよ。あなた意外と男らしいんだから」