「名字さん、明日もよろしくお願いします!」
「おつかれさまでした」

名古屋公演の前日、笠寺のウィークリーマンションに戻ってスーツを脱いだ。明日も明後日も、なんならここに来てから毎日客先に通っている。

今回のプロジェクトに抜擢された時、やりがいがあるから即承諾、なんて訳はなくただ単に名古屋だしもしかしたら会えたりするかも、なんて不純な動機で受け入れた。
わざわざ客先から数駅離れたこの駅を選んだのも、ただただ下心があったから。

仕事への責任感はもちろんあるけれど、その比率が大我と過ごすことより大きいはずもない。
だから大我のオフに合わせて代休をとるし、なければ有給もとる。社会人になりたての頃は、決まって土日休みの仕事じゃないことを少し恨めしく思ったこともあったけれど、大我と付き合うとなったら最高の環境だったと思う。

「まぁそれも、終わっちゃったけどね」

この忙しさは、今の私にはうってつけだ。
自嘲気味に備え付けの洗面台を見ると、酷い顔をした自分と目が合う。

普通に辛い。思ったよりも何倍も、何十倍もしんどかった。だって大好きだったから。大好きなひとを突然身勝手に断ち切るなんて、相手にも自分にも、とても無責任で卑怯だ。

でもあの時、それ以上の言葉が紡げなかった。暴発してしまいそうな汚い気持ちを抑えて、話せた唯一のことがあれなんだから笑える。

「いまごろもう同じ土地にいるのか〜なんか不思議な感じ」

前日の夜20時すぎとなれば、きっともうみんな前乗りして、リハも終わっている頃だろう。
楽屋でいつもみたいに全員でご飯を食べているかもしれない。まだダンス合わせをしているかもしれないし、ホテルに戻ってるかもしれない。
ホテルどこだろうな〜なんて、考えても意味の無いことばかり考えている。

元気かなぁ。元気だよね。大切な仕事と、大好きな仲間がいるんだもん。意外とサッパリしている人だから、もうきっと前を向いているだろう。

途中のコンビニで買ったおにぎりを食べながら、ぼーっとYouTubeを眺める。
大我に会えない日はいつも、画面越しの彼をみて癒されていた。

これからは、こうやって傷が癒えるのを待つしかない。でもそれでいい。幸せだった大切な日々を胸に、大我ではない誰かにまた恋をして、結婚して、子供を産んで。そうやって普通の一般的な生活が身の丈にあっていると、ちゃんと分かっている。

そろそろシャワーでも浴びようかな、とスマホを伏せると、同じタイミングで着信音が鳴った。
もしかして大我かも、なんて一瞬ドキッとして画面を見ると、表示されていたのは知らない番号。

「わぁ、お客さんかなぁ。トラブルあったかなぁ」

今からまた出向くのは正直疲れていて嫌だなぁなんて思いながら、化粧も落としてないし…と覚悟を決めて応答を押し、聞こえてきたのは男性の声だった。

『もしもし、名字さんですか?』
「はい、そうですが」
『あの…少しお会いしたくて』
「…はぁ、どちら様ですか?」
『きょ、京本大我の知り合いの者なんですが』
「はい?」
『どうしてもお伝えしたいことがあって、あの、今名古屋にいらっしゃるんですよね?』
「いや、え?はい、いますけど、え?」
『大江駅の近くのファミレスに、30分後来て貰えませんか』
「え、あの、どういう事ですか?」
『詳しくは、会ってから。遅れても大丈夫です、待っています』

一方的に電話が切られて、無機質な音が流れる。
いや誰?え?なにこれ?イタズラ?大我に関する伝えたいことって何?
怪しすぎる電話に、無視してしまおうと思うけれど、そもそも私と大我の関係性を知っているなんて、誰だろう。
事務所の人?メンバーさん?もしかして週刊誌?

名乗られなかった声の主を必死で考えても思いつかない。知っているような気もするし、知らない気もする。

週刊誌だったらどうしよう。もう終わりにしたと言うのに、迷惑をかけてしまうかもしれない。

どちらにせよ、このまま無視するのは気持ち悪かった。
1度洗面台に戻って髪を直す自分と、また目が合う。行くの?行かないの?そう問いかけられている気がした。

「遠目で見て、ヤバそうだったら帰ろう」

鏡台に放り出していたジャケットを羽織って、私はマンションを出た。