狡くて酷い恐怖の電話を掛けてからちょうど30分が経った。
あんな突然の電話を掛けて、彼女はきっと怪しんでいるに違いない。俺だったら絶対に行かない。
そう思いながら、10分前に到着したファミレスの受付に待ち合わせですと告げた。

「いややっぱ失敗かも」
「もう考えてもしょうがないよ、電話しちゃったんでしょ」
「そうだけど…絶対怪しいヤツじゃん」
「名乗らないからだろ」
「名乗ったら会って貰えないかもじゃん」
「名乗らなかったら余計会わない気がするけどね、まぁいいよ。来なかったら2人で抜け出して飯食ってましたちゃんちゃん、ってことで」

くだらない会話をしながら、怪しまれないように軽い食事とドリンクバーを2人分注文する。
今どきのファミレスは早いもので、しかも届けてくれるのがロボットだから都合が良い。

「俺メロンソーダ」
「了解」

2人分の飲み物を取りにドリンクバーの前に立つ。この時間のファミレスは、微妙すぎて人もまばらだ。
メロンソーダと野菜ジュースを注いでいると、入店を知らせるメロディが流れ、思わず死角になっている受付の方を覗けば、"待ち合わせなんですが…"と小さく話す声が聞こえた。
名前ちゃんだ、来てくれたんだ。
驚きと嬉しさで駆け寄って、少し遠くからこっちです、とコップを持つ手を上げた。

名前ちゃんは店員さんにぺこりとお辞儀をしてから、俺の指した方向にあるボックス席へと歩く。
ほぼ同着で席について、すぐに頭を下げた。

「すみません、怪しい電話をして」
「あ、いえ…あ、松村さんですか?」
「そうです」
「はぁ、良かった」

人目を気にしてくれているのだろう、とても小さな声で名前を確認して、なぜか安心したように笑った。

「ねぇ、ずっと立ってると目立つよ。名前ちゃんこっち座って」
「え、はい。あの、あれ?田中さんですか」
「そうです、ごめんねいきなり」
「はぁ、でも良かったです。週刊誌の人かと思いました」
「んはっ、確かにあの電話怖すぎだよね、ごめんね」

名前ちゃんなんか食べた?と聞くと食べたと言うので、もう一人分のドリンクバーを追加して、彼女が飲み物を取りに行くのを待った。

「来てくれたね」
「基本愛情深いタイプなんだろうね」
「樹は来なそうだよね」
「いや俺こそ行くだろ」
「ほんとかよ」
「お待たせしました」
「全然だよ、本当にごめんね急に」

仕事帰りなんだろうなというスーツを身にまとって、向かいの席に座る彼女は背すじが綺麗に伸びている。
キリッとしていて、働く女性だなぁなんて眺めていると、樹が口を開いた。

「時間もあれだし、単刀直入に聞くね。ほんとに別れたの?」
「えっ…あ、はい…そうですね」
「そうなんだ。嫌いになったの?」
「いや、そんなことは…ないんですけど…」
「そっか。じゃあさ、明日のライブ来ない?」
「はい?」
「とりあえずさ、1回見てよ。裏は来なくてもいいから。ライブだけでも、もっかいきょものこと、見てあげてよ」
「いやそれは…」
「仕事切り上げられない?」
「そういうわけではないですけど…」
「じゃあこれ」

スタッフの人に頼んで貰った、1枚のチケット。樹がテーブルに出した封筒には、それが入っている。特等席という訳でもないけど、こちらからはよく見える位置だ。ここに彼女がいれば、きっと京本は気が付く。

多分中身がわかっているんだろう。名前ちゃんはそれを受け取ることはせず、ただじっと眺めていた。
ひとつにまとめられた髪から、パラ、と後れ毛が落ちる。茶色い髪の向こうに見える綺麗なアイシャドウが、なんだか目を引いた。

「2人のことは、ぶっちゃけ全然わかってないから、トンチンカンなことしてるかもしれないけど。多分別れたんだろうなって日からずっと、本当にしんどそうなんだよ」
「大我がですか…?」
「きょも、笑えるくらいテンション低いし、でも何も言わないから俺らもめっちゃ困ってんの」
「そうなんですか…」
「だから、嫌いとかそういうんじゃなくて、なんかこう話せば解けるかもしれない感じなら、来て欲しくて」

本当は、テンションが低いばかりか、ずっとヤケ酒を煽っている。さすがに仕事に響くようなことはしないけど、これまでのライブ前なら喉のために絶対にしなかっただろう飲み方で、さすがのジェシーすら何があったか勘づいていた。

今日もリハが終わってすぐ、まぁまぁな量の酒を飲もうとして全員でとめた。慎太郎が無理やりシャワー室に入れている隙にスマホを覗き見て、1度しか聞いた事のない名字名前という名を探す。思った通り、きちんと電話番号まで登録されていて、それを控えて元の位置に戻した。

全員がホテルに戻りもう明日に備えて各自寝るようにと通達があった後、自室で電話をかけた。京本がポロリと、今名前も名古屋にいるのに、と言ったのが、ずっと引っかかっていて。
出てくれなかったら、諦めるつもりだった。
でも電話はちゃんと繋がって、急いで身支度をして部屋を出ると、待ち構えていたようにロビーに座っていた樹に捕まり、"あんなにチケット頼んでたら逆に怪しいよ"なんて、俺の行動は完全に読まれていたようだ。

そして今に至る訳だけど、名前ちゃんに必要以上に今の京本のダメージを伝える必要は無い気がして、樹のふわっとした伝え方に同意する。

とにかく、なんでもいいから、もう一度顔を合わせてあげたかった。誰でもない俺に、一瞬でも弱みを見せた京本が、とにかく心配だった。

「間に合わない、かもしれないです」
「それでもいいよ、最後だけでもいい」
「一瞬でもいいの、京本は絶対見つけるから」
「…それって意味ありますか?」
「意味は、あるか…わかんないけど」
「自分の勝手で急に別れたことは悪かったと思ってます…でも、今更それを盛りかえす気にはならないです」
「なんでそんなに嫌なの?好きなんじゃないの?」
「…好きですよ、とても」
「それ以上の理由いる?」
「樹、そんな言い方しないで」
「要るんです、すくなくとも、わたしには」
「俺はちょっとわかるよ、多分。名前ちゃんの考えてること」
「え?」
「でもそれって、自分だけで納得していい事じゃないと思う。俺はもちろん京本の友達だから、縋ってるって言うのもあるけど。本当に終わりでいいと思ってるなら、今日ここに来たりしないよね?」
「それは…」
「とにかく、明日の夜公演までに考えてみて。それでもし、少しでも揺れる余地があるなら、絶対に来て」
「…考えてみます」










名前ちゃんの帰ったファミレスで、俺たちももう行くか、と樹が呟く。会計を済ませ、ゆっくりとホテルまでの道を歩いた。

「意外と熱いね、松村北斗も」
「うるさいよ」
「来てくれるかな」
「もう祈るしかないね」