公演後のシャワー室を出ると、ニヤニヤした樹が何か言いたげにこちらを見ていた。
ああ、こいつの仕業か。
先程まで起きていた驚きの事態に、ようやく合点がいく。

「呼んだの樹?」
「んいや、北斗」
「マジ?ウケる」
「めちゃくちゃ心配してたよ」
「そりゃ悪いことしたね」
「気持ち決まった?」
「元々決まってる…って言いたいけど、あれで決まったよ、ありがとう」
「北斗に言ってやって」
「チャンスがあればね、あいつ逃げるから」
「たしかにそりゃそうだ」

昼夜間の休憩で、北斗がソワソワとしていた理由はこれか。音を少し外したことを気に病んでいるのかと思ったけれど、まさか俺の事とは思わなかった。

夜公演が始まってかなり早い段階で、視界の端に名前が見えた。あれ?と思いながら次の移動でもう一度そちらに行くと、やっぱり明らかに名前の姿がそこにあって。目が合ったのは、気のせいじゃないと思う。ペンライトもうちわも持たずに名前はただじっと俺を見て、名前に気付いた樹やジェシーが手を振ると、小さくそれに返したりして。

アンコールが終わってしまった時に、うっすらと見えた名前の涙は、何を意味していたんだろう。


「俺さぁ」
「んー?」
「顔を見たくないって言われたんだよね」
「別れ話で?」
「あれは多分、別れ話じゃなかったんだよ」
「どういうこと?」
「顔を見たくなくて、避けてるって言われたの。でも、別れたいとは言われなかった。俺が、それって別れたいってことじゃんって言っちゃったの」
「なるほど」
「だから、なんで顔見たくないのか聞くべきだったし、何度も電話したかったんだけど出来なくて。顔見たくないやつが、家の前にいたら怖いかなと思って待ち伏せも出来なくて」
「顔が見たくない、かぁ」
「だからこのままもう顔合わせないのが正解なのかなって正直思ってて」
「今日、違ったなって思ったのね」
「まぁそんな感じ。頑張るわ、もうちょっと」
「それがいいよ。ま、振られたらヤケ酒しようね」
「予約しといてね、酒のうまい店」
「任せて」











東京駅からのタクシーの中、新曲のダンス動画を眺める。少し開けてもらった窓はから入る夜風が冷たくて、新幹線の中ですっかり眠っていた頭が冴えた。

眺めているだけで全く頭には入ってこない。来月のドームでのお披露目の前に、音楽番組が立て込んでいるというのに。

薄目で眺める液晶の奥に、昨夜の光景を思い出した。突然名前がいて、驚いてもう一度見て。近くを通る度にまた見て、途中絶対に目も合っていた。
驚いて、嬉しくて、寂しくなって、愛しくなって。
アンコールで再びステージに上がった時には、最初のメイクは全て無くなってるのでは無いかと思うほど、名前は泣いていた。

さすがにそこまでいくと周りのファンがドン引きするよって、その涙が意味するものはなんなのか、教えてよってずっと思っていた。

会いたかった涙か、これで最後の見納めのつもりなのか。
聞かないと分からないんだ、もう、そんなこと分かっている。

あのあと、1度だけ着信を残したけど、折り返してはくれなかった。
顔みて逃げられたらと思ったら、家に押掛けることも出来ずにいた。

でもやっぱり納得がいかないし、普通に辛い。大好きになって、縁あって一緒にいて、こんな簡単に手離したくない。

聞かなければ、名前に。ちゃんと、奥にある気持ちを全部。

「すみません、ちょっと行先変えてもらっていいですか?」
「えっ、もう着きますよ」
「わかってます、それよりちょっと先に行ってもらいたくて」
「わかりました、どちらまで?」