改札で名前を見つけた時、ほっとした。
ちゃんと会えた嬉しさも、久しぶりにオフの自分として顔が見れた嬉しさも、全部混ざって安心感になったんだと思う。

携帯を握り閉めたまま呆然とする名前の手を引いて、裏路地を入る。
道で手なんか繋いでたら名前
が気にするから、タイミングを見て角を曲がった時に手を離し、そのまま数歩下がった。
チラ、とこちらを見て、そのままマンションへ歩く名前について行く。

ここまでくれば、俺がマンションへ行くつもりなのは分かっていたのだろう。道を歩いている時も、オートロックを抜けてエレベーターに乗るまでも、間で名前が話しかけてくることは無かったし、振り返ったのも最初の1度だけだった。

「お疲れ様」
「…ありがとう、今日仕事は?」
「やすみ〜」
「そっか」

エレベーターの扉がしまったのを見計らって話しかけると、別に誰にも聞かれないのに小さな声で短い返事をくれる。
名前らしいなぁと面白くなって、マスクの下で思わず笑ってしまった。

鍵代わりのスマホをかざすと、ガチャリと黒い扉が開く。今はこう言うシステムキーもあるのかと感心してしまう。

「…どうしたの、急に」
「名前に会おうと思って」
「どうやってここわかったの?」
「ふふふ、俺は名探偵だから」
「あは、そっか」

真面目なテンションとふざけた勢いの割合を、多分、何も言わなくてもわかってて、ちょっと固まってた表情をふわっと和らげて笑ってくれた。

重たい空気とか、言い難いこととか、名前の抱えてる想いとか、名探偵でも分からないことだけど。こればかりは聞くしかないと、俺も覚悟を決めてきた。

出来るだけ、いつも通りに。だからどうか、わたしたち別れたんだよなんて言わないで。

「ライブ、かっこよかったよ」
「名前が居たから3度見くらいしたよ、マジでびっくりした」
「急にごめんね」
「北斗に貰ったんだって?」
「ふふ、そうなの。私もびっくりしちゃった」

コップ持ってきてないからチグハグでごめんね、とプラスチックの使い捨てカップに、名前がいつも自宅で淹れているのと同じジャスミンティーを注いでくれる。

むしろごめんなんて言い合って、ライブのここがどうだったああだったたと話す時間は、最高に楽しかった。

気付いたら来てから1時間が過ぎていて、窓越しに外を見るとすっかり暗くなっていた。

「あのさ、楽しくなっちゃってごめんなんだけど、とりあえず本題話していい?」
「ふふ、いつ話すのかなって思ってたよ」
「言ってよ!」
「大我が楽しそうだったから、つい」

いつの間にか名前はスーツから部屋着に着替えていて、そんな動きや姿すら、当たり前で気付かなかったらしい。

「もう1回、ちゃんと別れ話してほしい」
「えっ?」
「名前が、別れたいって言うなら、出来るだけ希望には添いたいけど、今のままじゃ無理。納得できないし、絶対なにか隠してるでしょ」
「そう来ると思わなかったわ…」
「意外性の男だから、おれ」
「あはっ、なにそれ。別れるの辞めたいって言ってくれるのかと思ったのに」
「そっちの方が良かった?」
「どうかな、面白いからこれでいいかな」
「あのさぁ…」

ごめんごめん、と楽しそうに顔を覆って、大きく息を吸う名前は、本当にいつもの名前だった。
ずっと見てきたし、支えられてきた、いつもの。

「大我のこと、やっぱり好きだって思ったよ、ライブみて」
「うん」
「なんで別れるなんて言っちゃったかなぁって、思ってたのは本当なの。でもね」
「別れたいのも本当?」
「…ちょっとだけ、本当。私ね、大我が好きなの。ずっと応援してきたし、ちょっとでも支えられたらなって、思ってたの」
「支えられてたよ、ちゃんと」
「…ありがと、でもね、私…その、アイドルとしての京本大我を、その、好きになれない瞬間が増えてきちゃって…」
「…そっか」
「怖いの。大我が痩せた時、本当にしんどくて。大変なのは大我なのに、もう役なんてどうでもいいから食べてよって、ずっと思っちゃって。それから、少しずつ家にいる大我と、テレビで見る姿と、違って見えてきちゃって。今までは全然思ったこと無かったのに、ドラマの中での恋愛とかも、ちょっと、しんどくて」
「うん」
「このままだと、応援出来なくなりそうで、怖かったの。大我の努力してる姿を肯定できない自分が、嫌で」

真っ直ぐにこちらを見て話す声は、途中から途切れ途切れで震えていた。
限界まで眉をひそめて絞り出すように話してくれることの一つ一つが、俺が思っていたよりもずっと愛に溢れていてこちらまで泣きそうになる。
それでも目を逸らさずに居てくれる名前に、大きな覚悟を感じた。

「だから、最近あんまり顔合わせなかったの?」
「…うん、なんか、余計なこと言っちゃいそうで」
「そっか」
「…ごめんなさい」
「俺だよ、それは。気付いてあげられなくてごめん」
「大我は悪くないよ、それだけお仕事頑張ってるってことだもん」
「応援とかしなくていいよって言ったら、どう?」
「えっ?」
「別に俺が出てるテレビなんて見なくてもいいし、アイドルの俺も、SixTONESも、別に応援してくれなくたっていい。ただ傍に居てくれれば、それでいい」
「…それは、どうかな…できるかな…」
「もちろん応援してくれるのは嬉しいよ。だから嫌な場面は見なくてもいいし、なんならこんなの嫌だったって言ってくれてもいい。何でもいいの、本当に。何でもいいから、恋人として傍に居て欲しい。仕事がめちゃくちゃ大変で、しんどくて、どんなにきつくても、帰ったら名前がいるから頑張ろうって、俺、思えるの」

傍に居てくれればなんだっていい。それは紛れもない本心で、たった一つの願いだった。
ずっと支えてくれようとしてたのは分かってた。多分それに甘えすぎていたし、いつしか当たり前だと思っていた。

じゃあそれが無くなった時、どうしようって初めて考えて。考えに考えて出した結論はシンプルで。
別にいいかって。支えてなんて貰えなくても。会社も、メンバーも、ファンも。アイドルの俺を支えてくれる人なんて、その中に名前がいなくたって、構わなかった。

でも家に帰った時、たった1人になった素の俺は、どうしても名前が良かった。名前じゃないと駄目なんだって、そこだけがひとつの真実だった。

「嫌なことも、文句も、愚痴も、悪口も、何だって言って欲しい。別に毎日前向きである必要は無いし、それは俺に対しても一緒だよ。俺だけが支えてもらうなんて、そもそも変な話でしょ。俺だって名前の支えになりたい」
「そっ、か…」
「だから帰ってきて、最後のチャンスでもいいから。どうしてもやっぱり別れたくなったら、もう一度言って」
「それはいいんだ」
「いいよ、本当に名前がそうしたいなら、それでもいい。でも、今はそうじゃないでしょ」
「うん、そうじゃないね」
「じゃ、仲直りしてくれる?」
「仲直りって、なんか可愛いね」
「可愛いも兼ね備えてるからね、京本大我は」
「いいね、それ。かっこいい。あれ?結局かっこいいんだね」

名前は俺を甘やかすのが上手いから、多分テレビもYouTubeも全部結局見ちゃうと思うけど。その時は全力で、ネガティブな気持ちも受け止めるから。

立ち上がって、名前に向かって手を広げた。まだ少し涙の跡が残る目尻がきゅっと下がって、こちらへと飛び込んでくる。
久しぶりに触れたせいで、緊張の糸がプツリと途切れた気がした。

「あー良かった、頑張ってここまで来て」
「困らせてごめん」
「いーよ、俺も名前も、ちょっと話し合いしなさすぎたね」
「私、ちょっと性格悪くなるかもしれないけどいい?」
「いいよ、全然。でもたまには甘やかしてね、いつもみたいに」
「甘えたがりだからね、大我は」
「わかってらっしゃる」

きっとこのまままた、気付いたら明日になって、そんで多分、週末になって、そしたら駅まで迎えに行くからさ。車もバイクも乗れないから、タクシーだけど。

そしたら今度こそ、一緒に帰ろうね。
そしたらどさくさに紛れて忘れてた、バレンタイン、ちょうだいね。