※大学生設定
今日もバイトでたくさんの汗を流した。長時間の仕事でべたついた体をシャワーで流し、身も心もさっぱりした波琉は部屋に戻ると一直線にベッドへ飛び込む。──午後10時半、普段であればバラエティ番組を見ながらまったりと過ごす時間帯だが、今日はいつになく体が睡眠を欲している。ふわあ、と大きな欠伸を一つ。タオルケットの柔らかさに包まれていると徐々に瞼が重たくなっていく。しかし、睡魔に身を委ねる波琉を邪魔するかのように、けたたましい電話音が静寂を切り裂いた。
「う、うーん……」
誰だ、睡眠を妨害するのは──。波琉はごろんと寝返りを打つとタオルケットを頭まで被り、電話の無視を決め込む。何コールかすれば諦めてくれるだろう、そう思っていた。だが、波琉の予想に反して電話は未だに鳴り続けている。無視しきれないか、と諦めた波琉は手だけを動かして、スマホを掴み取る。眩しい液晶の光に目を細めながら画面を見ると、そこには馴染み深い名前が表示されていた。「面倒だなあ」と思わず呟いた波琉は通話ボタンを押して耳元にあてがう。大きな笑い声が劈いた。
『ん?あ、繋がったか?もしもしー神坂かー』
げらげらと笑うのは同じ大学に通う、中学からの奇妙な縁を持つ三井寿だった。電話の向こうから聞こえる異常な程の騒がしさに、今日はバスケ部の飲み会に参加すると言っていたことを思い出す。
「……もしもし、どうしたの?」
『あー、それがよー………でさー…』
ざわざわと喧しい音に三井の声が飲み込まれていく。おまけにだいぶお酒を飲んだのだろう、呂律が回っておらず言葉の端々も掴み取りにくい。そうした状況で辛うじて聞き取れたのは「今日泊まりに行く」という一言だった。
「……分かった。でも先に寝てるから鍵は自分で開けて入ってきて。布団は、敷いておくから」
『………おー、……』
「とりあえず、気をつけてよね」
『……りょーかい……』
「じゃあまたな」という言葉を最後にぶつりと電話が切れる。本当に了解なのかどうか怪しいところではあるが、まあ、大丈夫だろう。……おそらくは。スマホを元の場所に置くと、波琉は力を振り絞って起き上がる。──さて、いつ家に来るかは分からないが、三井のために布団を敷かなければ。
中高を共にした2人は大学もまた(学部は違うが)同じところへ進学した。入学してしばらくすると、進学を機に一人暮らしを始めた波琉の元に「こっちの方が通学が楽だから」という理由で、三井が時折泊まりに来るようになった。年頃の男女であったにもかかわらず不思議と間違いが起こらなかったのは、互いに異性として全く意識していないからだろう。まるで同性の友達のような居心地の良さ。そうして気が付けば2年が経ち、泊まる回数が自然と増えていった三井にはスペアの合鍵が手渡されていた。
「これでよし、と……」
部屋の真ん中に置いているローテーブルを端に寄せて、来客用──今となっては三井専用になった布団を素早く敷いた波琉はそそくさとベッドに戻る。今度は何にも邪魔されませんようにと願いながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
◇
暑苦しさと腹部に不思議な重さを感じて意識が緩やかに浮上する。何事かと顔を動かし周りの様子を窺うと、何故かすぐ隣に穏やかな顔で寝ている三井の姿があった。鼻と鼻が触れそうな程の距離に波琉は思わずたじろぐ。泊まりに来るのは今まで幾度となくあったにもかかわらず、寝顔を見るのは今日が初めてだった。不覚にも心臓が大きく脈打つ。それを紛らわすためにスマホを手探りで掴み、時間を確認すると、ちょうど日付が変わって午前0時。自分が寝落ちしてまだ幾ばくも経っていないことに驚く。物音に全く気づかなかったと独りごちると、自分の腹部に投げ出された腕を押し退けて上半身を起こす。
「三井、起きて」
肩をゆさゆさと強めに揺らす。だが、三井は小さく唸るだけで動こうとしない。波琉は大きな溜め息をつき、最終手段だと言わんばかりに親指と人差し指で鼻先をぎゅっとつまんだ。ふごっ、となんとも間抜けな音がして三井の双眸がゆるゆると開かれていく。
「……なんでここにいるの。布団ちゃんと下に敷いているでしょ」
「……ここで、いい」
「へ?」
ぐっと肩を押され、波琉の上半身は再びベッドにダイブする。
「もうちょい……向こう、行け」
「え、ちょっと──」
「早く、体が、痛ぇ」
低く、掠れた声が耳に焼き付く。反射的に体を横へスライドさせると、後を追うように三井が近づいてきた。寝辛さが解消されて満足したのか、へにゃりと笑った三井は自分の左腕を波琉の背中に回して、波琉との距離を更に縮めた。額と鼻先がこつんと触れ合う。
「ちょっと、三井、酔い過ぎ……」
アルコールの匂いが鼻を掠める。肩を押して距離を離そうとするも、背中に回された腕の力は弱まるどころか強くなっていく。触れているところがひどく熱い。艶やかに潤んだ、熱を持った瞳が波琉を捉えて離さなかった。見たことのないその表情に息が詰まる。
「……波琉」
初めて下の名前を呼ばれ、ひゅっ、と喉が鳴った。背中に回っていたはずの手が波琉の髪を梳き、頬を撫でる。──どくりどくり、心臓が早鐘を打つ。
「みつ、い……?」
「……すきだ、波琉」
とろりとした甘さを持った言葉と共に鼻先に口付けが落ちてきた。思ってもみない事態に思考が停止する。固まったままの波琉を愛おしげに見つめる三井の口元が緩やかに弧を描く。
「──おやすみ」
三井の瞼が再び閉じられて、次に聞こえてきたのは深い寝息。あっという間に寝落ちした三井とは反対に、波琉の頭は完全に覚醒していた。熱い、熱い、暑い。煮え滾るような熱さが体の奥底から沸き出てくる。きっとこれは酔った勢いなんだ、寝惚けているんだ、そう自分に言い聞かせてみても胸の高鳴りも熱も何もかも治らない。──ああ、今夜はきっとうまく眠れそうにない。目の前であどけない表情を浮かべながら眠る三井がひどく恨めしかった。
(鼻へのキスは愛玩)
企画「私生活」様に提出
20160908
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