ちくりちくりと小さな針で肌を刺されているような、そんな微量の痛さを含んだ視線を波琉はずっと感じていた。
今日の天気は生憎の雨。3組と4組の合同で行われる体育は予定を変更して体育館での授業となった。2面あるバスケットコートの舞台側で女子がバレーボール、入口側で男子がバスケットボールの試合を行っている。湿気と人の熱気がたっぷりと入り混じった体育館の不快指数は試合が始まった瞬間から急激に上昇していた。今しがた試合を終えた波琉は額に薄っすら浮かんだ汗を肩口で拭いながら、同じチームの友人と共に待機場所である舞台上へ移動した。賑やかな声に包まれる体育館、ゆるゆると腰を下ろした波琉は次に始まった試合に目を向けていたが、その一方で授業が始まってからずっと突き刺さっている視線に居心地の悪さを感じていた。視線を感じる方向へ目を動かす。しかし、こちらを向いている人間は誰一人といない。波琉は首を傾げながら目を戻す。しばらくすると再び誰かの視線を感じ始めて、もう一度目を動かす。ぴたりと視線が途切れる。なんだか気持ちが悪いなあ、と今度は少しだけタイミングを外して目を動かすと、ふいっとあからさまに視線を逸らした人物が一人。目を凝らしてその人物を見る。視線はネットを挟んだ向こう側、コート脇に座っている隣のクラスの三井寿からのものだった。三井が視線を寄越していた人物だと知った波琉は、血の気が引くような感覚に陥った。波琉と三井、2人に接点はない。(ただ三井がそれなりに有名人だったこともあり、一方的に見知ってはいたが……)それなのにこうして鋭い視線を向けられているということは、気づかないうちに三井の機嫌を損ねるようなことをしてしまったのかもしれない。波琉は小さく頭を抱えた。まさかあの三井に目をつけられるなんて。盛大に溜め息をついた波琉は、三井の姿が視界に入らないようにゆっくりと体勢を変えて、白熱してきた女子の試合の応援に意識を集中させた。
──ブーッ、と男子側のコートで試合終了を告げるブザーがけたたましく鳴り響く。と、同時に向けられていた視線が途切れたような気がして、波琉はちらりと三井を盗み見た。三井は待ってましたと言わんばかりに勢い良く立ち上がる。次が試合のようだ。三井はチームメイトと円陣を組むと、堂々とした出で立ちでコートの中へと入っていく。遠くからでも分かる体の大きさに、改めて体格差を感じた。
◇
女子の応援をしていたつもりが、いつの間にか波琉は三井のプレーに目を奪われていた。自身だけが経験者であり、現役とあってか、三井は上手くゲームの流れをコントロールしていた。一方的なゲーム展開にならないようにしつつも、やはり選手としてのプライドなのだろう、少し点差が開くと得意のスリーポイントで差を縮めていっては逆転する。ゲームの流れは全て三井の手中にあるような、そんな気がした。
「ヘイ、パスッ!」
パンッ、と手を叩いてボールを呼ぶ三井にチームメイトが反応する。少し高めに浮いたボールを難なくキャッチした三井は一番外側に大きく描かれた半円の白線ギリギリに着地する。ディフェンスが駆け寄るよりも早く、右腕と両膝を曲げてシュート体勢に入ると遅れてきたディフェンスが反応し、ブロックしようと跳び上がった。その瞬間、素早く腕を下ろし、力強いドリブルで鮮やかにディフェンスを抜き去る。まるで疾風のよう。スピードを緩めることなく三井は棒立ち状態の敵をかわし、ゴール近辺で地を蹴って高く飛び上がると目一杯腕を伸ばし、軽快な手つきでシュートを決めた。
この2年間、様々な事情でバスケから離れていたにも関わらず、ブランクを感じさせないボール捌きに波琉は全身に鳥肌が駆け巡るのを感じた。初めて見るバスケットボールのスピード感に思わず感嘆の声が漏れる。自身のゴールをアシストしたチームメイトとハイタッチを交わす三井の姿に見入っていると「あのさ、波琉」と隣に座っていた友人に声をかけられる。「んー?」と友人の方へ顔を向けると、彼女は前を見据えたまま口を開いた。
「三井ってかっこ良くなったよねー」
「え!そ、そう……かな……?」
思わぬ言葉に少しだけ声が上擦る。だが、そんな波琉の動揺に気付かず、友人は話を続ける。
「バスケ部に復帰してから、結構女子からの人気出てきてるんだよ。ほら、あそこ」
友人が指差した方向に視線を向けると、数人の女子が固まってこそこそと耳打ちし合ったり、足をバタつかせていたり、何やら興奮冷めやらない様子。その熱狂ぶりに波琉の口元が少しだけ引き攣る。
「す、すごいね……」
「顔立ちは整ってる方だし、運動神経抜群だし、そりゃモテるよねー。ま、わたしは流川くんの方が好きだけど」
突然始まった友人の『流川くんかっこいい話』に波琉は「はいはい」と苦笑いを浮かべて受け流す。またスイッチが入ってしまったなあと思いながら男子コートに目を戻すと、運悪く三井と視線が絡まった。ひゅっ、と一瞬息が止まる。まさか目が合うとは微塵も思っていなかったのだろう、普段鋭い目つきの三井が珍しく目を丸くしていた。きっと自分も同じような表情をしているに違いないと、頭の片隅で考えながら見つめ合うこと数秒。ふ、と波琉から視線を逸らした三井は手を挙げてチームメイトにパスを要求する。味方からのパスを受けると、再びシュート体勢に入った。しかし今度はドリブルをせず、そのまま地を蹴りボールをリリースする。スリーポイントラインから放たれたボールは今までよりもずっとずっと高い放物線を描いた。波琉はその行先を目で追う。ボールはゴールに吸い寄せられるように緩やかに落ちていく。リングに当たることなく、ゴールネットを通り抜けたその美しいスリーポイントに息を呑む。ハッとして視線を戻すと、したり顔の三井が右手に作った拳を波琉に向かって突き出していた。予想外の行動に驚きながらも反射的に同じように拳を作って小さく突き返すと、三井は嬉しそうに白い歯を見せて笑った。──そんな表情も出来るんだと、くしゃりとしたその笑顔がとても可愛らしいことに波琉はこの時初めて気がついた。
title by 誰そ彼
20161116
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