年の暮れ。親しい友人達の中で唯一の実家組である波琉は常に暇を持て余していた。それはゆるりと新年を迎えても変わらず。何時間も続くスペシャル番組、朝昼晩と続くおせち料理と餅の味。遊ぶ予定も無く、ただ時間が過ぎていくだけの毎日に若干の飽きを感じ始めてしまった波琉は、気分転換に初詣以来の外出を決意した。厚手のコートを羽織り、首には長めのマフラー、最後に手袋をはめて徹底的に防寒対策を施した。そして最低限の貴重品だけを持って、波琉は外へと繰り出す。今まで味わっていた幸せな環境から一転、縮こまるような寒さに体がぶるりと震えた。息を吸い込む度に鼻の奥がつんと痛む。鼻頭を押さえ「寒いなあ」と独りごちた言葉は白い息となって消えていく。午後5時前、辺りは薄暗くなりつつある。一番星が瞬き始めた空の下、波琉は近所のコンビニに向かって歩き始めた。
目的地のコンビニは住宅街を抜けた、比較的車通りの多い道沿いにある。徒歩にして約10分前後。波琉のペースで考えると、然程遠くない距離だ。車も自転車も歩く人さえいない。しんと静まり返った道を波琉は一人、寒さと戦いながらてくてく歩いた。そうして無心で歩き続けた波琉は、ふと気がつくと大きな道に躍り出ていた。目の前に広がる横断歩道を渡りきれば、目的地はもうすぐそこ。信号は赤。波琉は動きを止めないようにその場で足踏みをしながら、信号が青に変わるのを待ちわびた。
信号が青に変わった瞬間、波琉は早足で横断歩道を渡る。速度はそのままに、コンビニの自動ドアをくぐり抜ける。途端に温かい空気が凍えた波琉を優しく出迎えてくれた。──ああ、なんて温かい。そんな小さな幸せを噛み締めていると、
「あ」
「……ム」
クラスメイトの流川楓が目の前にいた。こんなところで偶然にも遭遇するなんて。流川は入学当初から学校中の女子生徒の注目を集めているにもかかわらず、バスケ以外にはてんで興味がないというなかなかのくせ者だった。人の顔も名前も滅多に覚えようとしない流川のことだ。わたしの名前もクラスメイトであることも絶対に覚えているわけがない──と波琉は流川に対して軽く会釈し、脇をすり抜けようする。
「おい、神坂」
「はい……っ、え?」
波琉の口から何とも間抜けな声が飛び出す。──あの流川が、わたしの名前を覚えていた……?あまりの衝撃にぐらりと頭が揺れる。
「あ、うん、神坂です。……まさか、わたしのこと覚えてくれてたなんて、意外。びっくりしちゃった」
「隣の席、なっただろ」
「あー、うん。そうだったね」
夏前の、ほんの一瞬の席替えで隣同士になったことまで流川は覚えていた。なんとまあ、流川に対する考えを改めなければならないようだ。
「あ、そうだ。あけましておめでとう」
「……オメデトウ」
「……」
「……」
不意に会話が途切れる。今までまともに会話したことすらない流川を相手に苦戦していると突如、きゅるるる……と空気の読めない音が鳴り響いた。ハッとして波琉はおなかを押さえる。──は、恥ずかしい……!波琉はカッと顔が熱くなるのを感じた。
「あはははは……ごめん、今のわたし」
「でっけー」
「うっ……そろそろおなかが空く時間帯だから、ね。──肉まんでも、買って食べよかな……。あ、流川も、いる?」
「奢るからさ」と続いた言葉にピクリと反応した流川は3秒程の間を置いて、こくりと頷いた。その姿がなんだか可愛らしく見えて、波琉は小さく笑みを零す。「じゃあ、買ってくるね」と真っ直ぐにレジへ向かい、店員に肉まん2つを注文した。──少々身を犠牲にしたものの、なんとか流川との会話が繋がったことに波琉は深く安堵する。別々の袋に入れてもらった肉まんを手に、入口付近でぬぼーっと突っ立っていた流川に「次は奢ってよね」と冗談を口にしながら、肉まんを手渡した。
「サンキュ」
「いいえー。じゃあ、わたしはそろそろ帰ろっかな。流川って家どっち?」
「向こう」
そう言って流川は波琉が来た道とは反対の方向を指差す。流川とはこのコンビニで別れることになるようだ。波琉は流川の方に向き直り「じゃあ、また休み明けに」と、軽く手を挙げて別れを告げる。しかし──。
「家まで、送る」
「え!?」
それは耳を疑うような発言だった。
「あぶねーだろ」
「……い、いや、大丈夫だって!真っ直ぐだし、走れば問題ないし!うん、ありがたいけどね!?ほら、流川が遠回りになるでしょ!?」
「自転車使えば、遠回りでも関係ねー」
思いつく限りの言い訳を口に出すが、そのどれもが華麗に避けられていく。コンビニの入口で繰り広げられた押し問答は、万策尽きた波琉の敗北に終わった。
「……ほら、とっとと行くぞ」
「ああああああ〜っ!」
流川に右腕をガッシリと掴まれると、波琉は引っ張られるようにして鋭い寒さの中に再び舞い戻るのだった。
「……」
「……」
無言が、続いていた。──とぼとぼと歩く波琉の隣には、チャリチャリと自転車を押し歩く流川。行きと同じ道、同じ距離を歩いているにもかかわらず、何故か距離が長く感じられる。波琉はこの物苦しい雰囲気を紛らわすためにコンビニで購入した肉まんをゆっくりと咀嚼していた。肉まんを頬張りながら視線だけを動かして、ちらりと流川の様子を窺う。こんなに近くで、流川の顔をまじまじと見つめるのは初めてだ。綺麗に通っている鼻筋。肌荒れの無い白い肌。さらさらと流れる黒い髪。これでもう少し愛想があれば、もしかしたら自分も流川にときめきを覚えていたかもしれない。──まあ、流川の愛想がよくなることなど、天地がひっくり返ろうともありはしないだろうが。
「あ、もう家の近くだから、ここまででいいよ。その、送ってくれてありがとう」
「おー」
「……」
「……」
鋭い眼光にじっと見つめられ、思わずたじろぐ。どうしていいか分からず、流川の顔を見つめたままでいると、ずいっと眼前に伸びてきた流川の大きな掌に頭をポンポンと優しく撫でられた。見たことのないその表情にハッと息が止まる。
「じゃあな、神坂」
呆然とする波琉とは裏腹に、流川は自転車に跨り、元来た道を颯爽と帰っていった。段々小さくなっていく流川の背中を見つめていると、止まっていた息がぶはあと吹き返す。一体どういう風の吹き回しなのか。流川の真意が掴めず、波琉はしばらくの間その場で立ち尽くしていた。
◇
時は流れ、始業式の朝。友人達と取り留めのない談笑をしている波琉の前にぬるっと黒い影が現れた。顔を上げるとそこには少し眠気まなこな流川の姿。目がしぱしぱと細かい瞬きを繰り返している。友人達を始め、教室内が妙に騒つく。一体何事かと身構えていると「神坂」と名前を呼ばれて、机の上にがさりとコンビニ袋が置かれる。何を言うでもなく、流川はその開ききっていない双眸でじっと波琉を見つめていた。若干の躊躇いを覚えながら、流川から貰った(であろう)コンビニ袋の中を覗き込むと、そこには肉まんが1つ。ハッと顔を上げると流川はただ一言「……この間の、お返し」と。あー、あれはほんの冗談のつもりで、本当に奢ってもらおうとは考えていませんでした。──などと、律儀に言葉を覚えていてくれた流川に対して言えるはずもなく、
「あ、ありがとう」
「……ウス」
流川が波琉の前から立ち去ると同時に女子生徒達が悲鳴を上げ、教室内は騒然とする。隣でやり取りを聞いていた友人達が一斉に波琉の肩を揺さぶった。
「え、ちょっ、一体何がどうなってんのよ……!」
「あー、それはですね……」
新学期早々、1年10組が阿鼻叫喚の図さながらの状態になったことは言うまでもない。
title by 花洩
20170117 - Happy Birthday! Kaede Rukawa
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