暖かさと寒さが混在する3月中旬。日当たりの良い中庭で波琉は花の手入れをおこなっていた。
中庭の中心にはレンガ造りの大きな花壇が鎮座していて、黄色のパンジー、オレンジ色のビオラ、白のスイートアリッサムが見事な花を咲かせていた。その花壇の足元には淡いピンクのパンジー・ビオラとカラーリーフが寄せ植えされたプランターが花壇を囲むようにして幾つも並べられている。──それらは全て波琉が手ずから育てたものだった。


波琉はこの学校で唯一の園芸部員だった。顧問がいるとはいえ、花の世話は基本的に波琉1人の仕事だった。季節の変わり目に行う植え替えなど、1人で作業するには大変なことも多いが、部員が自分しかいない状況を苦だと思ったことは一度もなかった。自分が育てたいと選んだ花を愛情を持って育て、好きなようにレイアウトし、花壇を彩ることができる。誰にも邪魔されず、夢中で作業ができるこの時間は波琉にとって癒しと安らぎの時間だった。
鼻歌交じりに手入れをしていると、一際色濃い黄色のパンジーが目に止まった。花びらにそっと触れる。黄色は波琉が一番好きな色であり、そして想い人を連想させる色でもあった。
──忍足謙也。テニス部に所属している彼とは1年生の時に同じクラスだった。クラスメイトだったというだけで接点を持つことは叶わなかったけれど。地味でひどく人見知りな波琉とは対照的に明るく、人懐っこく、謙也はクラスの人気者だった。周りにはいつも人が集まっていて、そこは笑いの絶えない温かな空間だった。まるで春の陽気のような人だと思った。謙也に対する羨望の想いは季節が巡るにつれ、ゆっくりと特別な想いへと変わっていった。2年のクラス替えによって別クラスになり、見かける頻度は極端に少なくなってしまったが、それでも移動教室や放課後に謙也の姿を見つける度に波琉の心は躍った。
謙也のことを考えていたせいで無意識に手が止まっていたことに気づく。ぶんぶんと頭を振って、謙也を思考から追い出す。ほのかに上がった体温に気づかないふりをして枯葉や花がらを摘むと、今度は校舎沿いに置かれたプランターの手入れをしようと立ち上がる。──刹那、波琉の動きが止まる。

「あ──」
「あ……」

波琉の視線の先には先程まで波琉の頭の中を占めていた謙也が渡り廊下の柱の影に佇んでいた。相変わらず鮮やかな金色に目を奪われる。気まずそうな顔をした謙也と驚きのあまり口を固く結んだ波琉との間に、この季節独特の強い風が吹きすさんだ。中庭の木々が葉を揺らす。──いつから、そこに?

「……あ、その、驚かしてごめん!」

口を開いたのは謙也が先だった。

「う、ううん……大丈夫」
「その、花が、えらい綺麗に咲いてるな〜と思っ、て」
「う、うん」
「……」
「……」
「あー、神坂さんも……その、鼻歌とか、歌うねんな」

何のメロディーでもない下手くそな鼻歌を口ずさんでいた時から見られていたのかと波琉は顔が熱くなるのを感じた。顔も耳も首筋も全てが熱を帯びている。恥ずかしさで波琉はスカートをぎゅっと握りしめた。──しかし、それよりも。

「!……どうして、名前……」
「何言うてん、去年同じクラスやったやん!」

「もしかして俺がおったの覚えてない!?」と焦る謙也に波琉は慌てて首を横に振る。「良かったー」と心底ホッとしたような声で謙也は笑う。覚えてないわけがない。ずっと、見ていたのだから。心臓の鼓動が僅かに逸るのを感じた。こんなわたしにも笑いかけてくれる。優しく話しかけてくれる。ちゃんと名前を、覚えてくれている。あまりの嬉しさに心が打ち震えた。

「──きれい」
「……え?」
「え?……あ!ちゃうねんちゃうねん!その…」
「……?」
「あ!あー、そや!そろそろ部活行かな!白石に怒られてまう!」

「ほなまた!」と謙也は波琉に背を向けて走り出す──が、何かを思い出したように足を止めて振り返る。靡く髪が太陽の日差しを浴びてキラキラと輝いていた。

「3年は同じクラスなれたらええな!」

その言葉にひゅっ、と息がつまる。うん、というたった一言が声にできなくて、波琉は代わりに小さく頷く波琉の返事に満足した謙也は破顔すると、今度は振り返らずグラウンドに向かって走り去っていった。あっという間に姿が見えなくなる。「3年は同じクラスになれたらいいな」と謙也からの言葉を思い出して、波琉はスカートを──シワが寄るのもお構い無しに、より一層ぎゅっと力強く握りしめた。手入れしようとしていたプランターに目を向ける。そこにはもうすぐ開花しそうな状態の花々が暖かい日差しを一身に受けていた。時折冷たい風が吹いてくるが、降り注ぐ日差しは作業をしていると少し汗ばむ程の暖かい春の陽気。この陽気が続けば、きっとこの子達も綺麗な花を咲かせてくれるだろう。その中で一足先に春を告げる純白の花──スノードロップが1つ、下に向かって咲いていた。

「同じクラスになれるんかな……?」

独りごちた言葉は陽気の中に溶けていく。
春はもうすぐそこだ。





彼女のことを初めて中庭で見かけたのは放課後に受けていた補習終わりのこと。早く部活に行きたいという一心で少し近道をしようと中庭の前を通り抜ける渡り廊下を歩いていた時、しんと静まり返った中庭で微かな鼻歌を聞いたような気がした。グラウンドに向かって急いでいた足が止まり、惹かれるように中庭に目を向ける。そこには女子生徒が1人、花壇の前でしゃがみ込んでいた。どうやら花の世話をしているらしい。垂れた髪からちらりと覗いた横顔に謙也は見覚えがあった。神坂波琉。同じクラスにも関わらず、未だに接点を持ったことがない女子生徒だった。大人しく、休み時間はいつも自席で本を読んでいる物静かな女の子だと謙也は記憶していた。学校唯一の園芸部員だと話を耳にしたことはあったが、波琉が実際に作業しているところを見るのは今日が初めてだった。あんな風に笑うんや──。教室ではほとんど見ることができない笑みを浮かべた波琉の姿に謙也は目が離せないでいた。
それから謙也は中庭で花の世話をする波琉の姿を見るのが日課になった。ここでしか見られない柔らかい笑みが隠れてしまうことを恐れ、謙也は話しかけることをしなかった。ただ静かに、花に夢中な波琉を見つめるだけ。それは季節が巡り、クラス替えで違うクラスになっても変わらなかった。


暖かさと寒さが混在する3月中旬。午後練の始まる時間より早めに学校へ来た謙也は、少し乱雑に物が置かれた顧問の机から部室の鍵と部誌を取ると足早に職員室を後にし、いつもの場所へ足を運んだ。渡り廊下の柱の影から中庭を眺める。そこには変わらず花の世話をしている波琉がいた。
ふと、波琉の手が止まる。目線の先には鮮やかな黄色いパンジーがあった。見つめる波琉は今まで見たことがない優しい笑顔、花びらに触れる手つきは溢れる程の愛おしさを孕んでいた。まるで好きな相手を思い浮かべているかのように見えて、謙也の心臓はちくりと痛んだ。しばらくしてハッと我に返ったのか、波琉は頭をぶんぶんと振って止まっていた手を動かし始めた。次の作業に取り掛かろうと立ち上がった波琉がふいにこちらを向いた。しまった、と思った時にはすでに手遅れ。ばちんと視線がぶつかった。あたたかで優しい空間に部外者がいることがとうとう彼女に知られてしまった。

「あ──」
「あ……」

波琉が驚きの表情を浮かべている。そりゃ、驚くよなと謙也は慌てて言い訳を考えた。

「……あ、その、驚かしてごめん!」

まずは謝らなければと謝罪の意を口にする。

「う、ううん……大丈夫」
「その、花が、綺麗に咲いてるなと思っ、て」
「う、うん」
「……」
「……」
「あー、神坂さんも……その、鼻歌とか、歌うねんな」

その言葉でかあっと顔を赤らめた波琉は自分のスカートをぎゅっと握りしめた。と、同時に驚いたように再び目を丸くする。

「!……どうして、名前……」
「何言うてん、去年同じクラスやったやん!」

「もしかして俺がおったの覚えてない!?」と叫ぶと、波琉は思いきり首を横に振った。覚えていてくれたことに「良かった──」と本気で安堵する。下を向いてバレないよう、一瞬のうちに息を吐いた。再び顔を上げると、目の前には笑っている波琉。不意打ちを食らった。芽吹く春のような微笑み、花にしか見せない表情が今、自分だけに向けられているだなんて。──あー、なんちゅー顔してんねん。

「──きれい」
「……え?」
「え?……あ!ちゃうねんちゃうねん!その…」
「……?」
「あ!あー、そや!そろそろ部活行かな!白石に怒られてまう!」

恥ずかしさを隠すように謙也は「ほなまた!」と波琉に背を向けて走り出す──が、ふと頭に浮かんだ言葉を伝えるために謙也は足を止め、波琉に向き直った。

「3年は同じクラスなれたらええな!」

するりと口から出た言葉に波琉は小さく頷いてくれた。その返事に嬉しくなる。踵を返して今度こそ、振り返らずにグラウンドに向かって走り出した。
春はもう、すぐそこだ。




title by カカリア
20170317 - Happy Birthday! Kenya Oshitari
(前サイトよりリメイク)

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