※社会人設定

呆れた声が聞こえた。

「……これで何回目だ」
「ゴメンナサイ」

深い溜め息をついて、目の前の男──真田弦一郎はお酒を飲み干した。からり、と氷が音を立てる。波琉は真田が空にしたグラスをぼんやりと見つめた。煙草の煙と人々が発する熱気が入り混じるこの馴染みの居酒屋で飲むのはもう、何回目か。くるくると意味もなくマドラーでグラスをかき回していると、本日何回目かの溜め息と共に、真田の骨ばった男らしい手がテーブルの端に置かれた小さなボタンを押した。
真田とはもう長い付き合いだ。大学附属の中学から始まった交友関係。最初はおっかない奴だと思っていた真田への気持ちが、一学年一学年と上がる度に少しずつ変化し、高校に上がった頃にはそれは完璧な恋心へと育っていた。しかし、真田は中学と同じく、常勝と謳われるテニス部に入部し、中学では果たすことのできなかった悲願の三連覇を──と、中学以上にストイックにテニスに打ち込んだ。その姿に想いが成就しないと察してしまった波琉は、真田への恋心を胸の奥に閉じ込めて、当たり障りのない『友人』という関係になることを決めた。そのおかげで大学を卒業して、社会人として働くようになった今でも真田との交友関係は続いていたが──その代わり、波琉は恋愛関係にひどく無頓着な人間になってしまった。付き合ったとしても長くは続かない。別れは決まって相手の方からだった。その度に彼氏に振られた、と理由をつけて真田を居酒屋へ呼び出すのが常套手段になった。特段、失恋話を聞いてもらいたいわけではない。振られる自分が100%悪いのは分かりきっていたから。ただ、どうしようもなく真田に会いたくなるのだ。「お待たせしました」と真田の頼んだ2杯目のハイボールがテーブルに届く声にふと、我に返る。

「今回は長く続いていただろう。なのに、どうして別れを告げられた?今回もまた飽きられたのか?」

矢継ぎ早に飛んでくる質問に波琉は言葉を濁すしかなかった。もやもやと喉で燻る言葉をグラスに残ったお酒で流し込んで、再度、ボタンを押した。今日は無性に飲みたい気分だ。すぐに威勢のいい店員がやって来る。同じものを、と先程飲んでいたオレンジ色の飲み物──スクリュードライバーを頼んだ。

「お前は男を見る目がなさすぎる」

店員が席を去ったのを見計らって口を開いた真田に「本当だね」と波琉は苦笑する。その力強い目は彼とそっくりだった。
お前は本当に俺が好きなのか?俺じゃなくて、誰か別の人を見ているような気がする──。彼の言葉を思い出した。それは今までにない別れの言葉だった。
彼とは会社の同僚と行った合コンで知り合った。すぐに意気投合して、連絡先を交換して──2人が付き合い始めるのに然程時間はかからなかった。一本筋の通った凛とした人で、遊びやノリなんかじゃない、波琉にとって久々に好きだと思えた人だった。自分なりに彼のことを愛しているつもりだった。しかし、波琉は無意識に彼と真田を重ね過ぎてしまっていたらしい。別の人を見ている、その言葉が頭の中で反芻される。──わたしは最低な女だ。
もっと自分を大切にしろ、と叱咤する真田の言葉に自嘲的な笑みを浮かべて小さく頷いた。

「神坂、お前は俺の大切な友人だ。お前には幸せになってもらいたい」
「……うん」

友人。その言葉が胸に深く突き刺さった。告白する勇気を持てなくて、友人としての立場を選んだのは自分だったはずなのに。本当に好きな人には言えず、他人には軽々と好きだと言えてしまう自分が、幸せになれるというのか。──先程頼んだスクリュードライバーがテーブルに置かれる。波琉は胸の痛みを忘れるかのように、それに口をつけた。他にも真田が何かを口走っていたが、聞こえないフリをした。




「飲みすぎだ。いつもよりペースが早いぞ」

何杯目かのスクリュードライバーを飲み干して、新しく注文しようとボタンに手を伸ばすが──真田によって阻まれる。触れた手が、あつい。

「何故、泣いている……?」
「ごめ、」
「泣く程までに奴を好いていたのか?」

ボタンを押そうとするのを制止していた手が離れて波琉の顔に伸びる。熱を持った真田の指がぐっと下瞼をぬぐった。あつい、あつい。──実直で不器用だった真田がいつの間か大人になっていた。やめてくれ。そんなことをされると、わたしは。
友人関係となってからも胸の奥で燻り続けていた想いに、再び火が付くのを波琉は感じた。小さなそれはやがて広がり、大きく育っていく。後悔を、した。関係が崩れてしまうくらいならと、溢れる想いに蓋をしたのは間違いだった。友達でいることの方が何倍も何十倍も苦しい。

「もう泣くな」

真田の声はひどく優しかった。



title by へそ
20160522

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