澄み渡る快晴が眩しい4月下旬。朝夕はまだ肌寒さが残る季節だが、昼間の降り注ぐ陽射しはもう十分に夏の気配を帯びている。日曜日、部活は久々の休み。真田はいつにも増して眉間に皺が寄った難しい顔をして、最寄駅の改札前にいた。今日はクラスメイトの波琉と市外の宇宙科学館へ行く約束の日。何処となく落ち着かない様子の真田は何度も何度も腕時計に目をやる。針は午後12時半を回ったばかり。待ち合わせ時間にはまだ30分もあった。
──遡ること1週間前。それは部活を終えて、下校している時の出来事だった。途中のY字路で柳と分かれた真田と幸村は来たるゴールデンウィークに行われる合宿についての話をしながら、歩を進めていた。すると突然、幸村が何かを思い出したように「そう言えば……」と、鞄から長方形の紙切れを取り出した。「真田にあげるよ」と幸村が差し出したのは市外にある宇宙科学館のペアチケットだった。

「幸村、これは──?」
「ご近所さんからいただいたんだ」
「うむ、そうなのか。しかし俺は……」
「確か神坂さんって、星とか好きだったよね?」
「な……っ!?」
「神坂さんのこと、前から好きなんじゃないのかい?だったらこれで神坂さんをデートに誘いなよ」

何故彼女を好いていることを知っているのかだとか、何故彼女が星に詳しいことを知っているのかだとか、とにかく言いたいことは山ほどあった。しかし、幸村の穏やかな笑みの向こうに見える有無を言わせないオーラに気圧されて、真田は反論出来ないまま眼前に突きつけられているペアチケットを反射的に受け取った、のだが──。2日経っても真田は波琉に話し掛けられずにいた。一体どのように誘えばいいのかと、ペアチケットを眺めてはらしくない溜め息を何度もつく。クラスメイトと言っても波琉とは片手で数えられる程の接点しかなかった。関わりの薄い自分が、ましてや星や宇宙に造詣のない自分が誘っていいものだろうかと真田は思い悩む。「きっと、迷惑に違いない」と独りごちると、ペアチケットを丁寧にクリアファイルに挟み込んだ。


翌日。結局この日も波琉に話しかけることが出来ないまま放課後を迎えた。定期的に行われる委員会の集まりを終えて昇降口に向かうと、偶然にも波琉とばったり出くわした。「あっ」と2人の声が揃う。

「今、帰りか?」
「あ、うん。今日は部活も休みだから。……真田くんは委員会終わり?」
「ああ。今から部活に向かうところだ」
「そうなんだ」

何ともたどたどしい会話が続く。もしかしたらここで会ったのも何かの運命なのかもしれない。誘ってしまえ、と声が聞こえたような気がした。きっかけは貰ったのだ、と真田は一か八かの覚悟を決めて波琉に向き合う。飲み込んだ唾がごくりと喉を鳴らした。

「……神坂」
「ん?」
「……今度の日曜日は、何か、予定はあるか?」
「日曜?特に予定とかはないけど……」
「では、今度の日曜日にここに一緒に行かないか?神坂が良ければ、の話だが。もし俺と行くのが躊躇われるのであれば、2枚とも神坂に譲ろう」

鞄からクリアファイルを取り出して、挟み込んでいたチケットを波琉に見せる。チケットを見た波琉は一瞬静止するや否や「あっ」と再び短い声を上げた。

「行きたい……!え、真田くん、一緒に行こうよ!」

顔を上げて、こちらを見上げる嬉々とした表情に不覚にもどきりとした。

「ほ、本当か……?」
「うん!」
「俺は、あまりこういったものに造詣が深いわけではないのだが──」
「そ、そんなこと気にしなくてもいいよ!星とか詳しくなくても、結構楽しめると思うし!」
「そ、そうか……。では、時間はまた改めて決めるとしよう」
「分かった!」

にこやかに頷いた波琉は「じゃあ部活、頑張ってね」と真田にくるりと背を向けて昇降口から駆け出していった。後ろ姿が見えなくなるまで真田は固まったまま動かない。頭の中がどうにもふわふわとしてしまっているらしい。──思わず、これは夢なのではないかと手の甲を思い切り抓る。ピリッとした痛みがこれは夢や妄想の類ではなく、れっきとした現実なのだと教えてくれた。


パタパタと足音が聞こえて顔を上げると、波琉が小走りで真田の元に向かっていた。見慣れない波琉の私服姿に心臓が僅かに逸る。申し訳なさそうな表情で息を切らせた波琉の額には薄っすらと汗が滲んでいた。

「ごめん!お待たせ……!」
「いや、問題ない。まだ待ち合わせの10分前だ。慌てて走らなくても良かったのだぞ?」
「真田くんの姿が、遠目で見えたから……待たせちゃ、悪いかなって」
「そんなことはない。……俺が早く来すぎてしまっただけのことだ。その、今日が楽しみで仕方がなかったからな」
「あ、うん、わたしも!わたしも今日すごく楽しみにしてて……!」
「う、うむ。では……行こうか」

ぎこちない雰囲気を纏いながら、券売機で切符を買って改札を通り抜ける。予定していたよりも1本早い電車に乗り込んだ2人はちょうど空いていた席に腰を下ろした。互いに妙な緊張感と距離感を持っているのか、大した会話もなく、ただただ電車に揺られ続けていた。2回程乗換をして、ようやく目的地の駅に到着した真田と波琉は再び陽気の下に降り立った。改札を出ると、更にここから10分の道程を歩いた。大通り沿いをひたすら真っ直ぐに進む。やがてうっすらと見えてきた橋の向こうに、目的地である宇宙科学館はあった。橋を渡りきり、個性的な形をした建物の中に入ると真田と波琉はチケットカウンターで本日最終のプラネタリウムのチケットを購入した。日曜日とあってか、家族連れやカップルが多く見られる。周りから見れば自分達も恋人同士に見えるのだろうか──。そう考えると体の芯が熱くなったような気がした。意識しないようにしていたつもりだったが、一度そう思ってしまうと途端に気恥ずかしくなってしまう。

「真田くん、どうしたの?」
「……あ、いや、何でもない」

まだまだ修行が足りないなと、自分の心の甘さに喝を入れると真田は波琉と共に入場ゲートをくぐった。




星や宇宙に詳しくなくても、宇宙科学館は予想以上に楽しむことができた。展示品だけでなく、様々な体験コーナーや科学的な仕掛けがあり、サイエンスショーなども開催されていた。それに対して波琉はまるで童心に返ったかのようなはしゃぎっぷり。真田は波琉の新たな一面を見られたような気がして、嬉しさを覚えた。そうして一通り遊び尽くしたところで、プラネタリウムの開演時間が近づいてきた。エスカレーターを降りて再び1階に戻ると、別館のプラネタリウムに繋がる扉が開かれており、大勢の人々がぞろぞろと入場していた。

「楽しみだね」
「ああ、そうだな」

その波に乗るようにして真田と波琉も扉をくぐり抜ける。薄暗い廊下をひたすら突き進んでいくと開けた空間に到着した。一段と高いドーム状の天井、部屋の中心には大きな投影機が鎮座している。真田の口から感嘆の声が微かに漏れた。真田と波琉は後方の席にゆったりと座り、天井を見上げた。全員が入場、着席し終えたところでゆっくりと照明が落とされていく。辺りは闇一面。ざわざわとした空気が一瞬で静まり返る。何も見えない、何も聞こえない。やがて中心の投影機から光が放たれ、曲面スクリーンに天体の映像が投影された。全身が包み込まれるような、何とも言えない幻想的なBGMと共に幾千もの星が降り注ぐ。

「では、まず最初に見ていただくのは柄杓の形をした北斗七星です」

学芸員の声をきっかけに夜空に瞬く星々の中で7つの明るい恒星が線で結ばれていく。おおぐま座の腰から尻尾を構成するこの星列が春の夜空の中でよく目立ち、世界各地で様々な神話が作られている北斗七星だった。

「この北斗七星を形成する恒星のα星とβ星は指極星として用いられています。α星とβ星とを結んだ線分をα星の方向に約5倍程伸ばすと、北極星へと辿り着きます。──今回はα星ではなく、柄の部分から線を伸ばしていきましょう」

北斗七星の柄に位置する星からすーっと線が伸びていく。緩やかな曲線を描きながら、うしかい座、おとめ座を通り、やがてからす座に至る。これが春を代表する明るい恒星の並び『春の大曲線』。

「この春の大曲線を構成する星の中で一際美しい色をした星があります。うしかい座のアークトゥルスとおとめ座のスピカです。この2つの星が一体どのような星なのか、もう少し近くで見てみることにしましょう」

大曲線の一部がズームされ、左手にうしかい座、右手におとめ座が大きく映された。オレンジ色のアークトゥルスと青白く輝くスピカはそれぞれの星座の中で最も明るい恒星だ。

「この2つの星は色の対比から『夫婦星』と呼ばれています。アークトゥルスが男性、スピカが女性を表しています」

穏やかな声で語る学芸員の話を聞きながら真田はこっそりと頭を動かして、プラネタリウムから隣にいる波琉の横顔を見つめた。興味津々な輝かしい目元、形の良い鼻、きゅっと引き締まった口元がスクリーンに映し出される光によって微かに照らされていた。

「このように今は遠く離れて輝いている2つの星ですが、実はアークトゥルスが猛スピードでスピカの方へ近づきつつあります。約5〜6万年後には彼らは文字通り、夫婦のように寄り添って輝くことでしょう」

こんなにも近くにいるのに、遠い。まるでアークトゥルスとスピカとを隔てる間のようだ。もっと、もっと近づきたい。真田の手が無意識に波琉の手に向かって伸びかける。
ふと、波琉がこちらを向いた。目が合うと思っていなかった真田と波琉は互いに「あっ」と声にならない声を上げる。こちらを向いた波琉の目はプラネタリウムの光を映してキラキラと輝いている。小宇宙のようなそれに真田は目を逸らすことができなかった。見つめ合うこと数秒──。大きく見開かれていた波琉の目がゆっくりと細められた。

「今日は、ありがとう」

2人にしか聞こえないように囁かれた言葉にきゅうと心臓が痛む。

「……手を、繋いでもいいか?」
「え……?」
「あ、いや──」

何を馬鹿なことを言っているのだと伸ばしかけていた手を引っ込めようとすると、その手に温かいものが触れた。目を凝らして見るとそれは波琉の指先だった。

「いい、よ……?」
「──」
「──」
「……あ、うむ。では、その、失礼する」
「う、うん」

暗がりで良かった──と真田は心の底から思った。きっと今の自分は柄にもなく、顔が火照っているに違いない。そろそろと手を動かして、手の甲に触れている波琉の指先を捕まえる。小さくて柔らかい波琉の手をまるで壊れ物を扱うかのように優しく包み込んだ。2人は互いの温もりと近くなった距離を感じながら、目の前に広がる疑似天体を見上げた。



title by 誰そ彼
20170603 - Spica

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