※人理修復後、IF話
人類の未来は取り戻された。平々凡々なとある人間の手によって。
神坂波琉。数合わせのためだけに呼ばれた一般人枠のマスター。しかし彼女のなし遂げた功績は偉大すぎた。彼女は今や人類史を救った英雄だ。人類史を救っただけでなく、数多のサーヴァントを使役できる手腕を持つ波琉を魔術協会がこのまま黙って見ているはずがない。遅かれ早かれ、波琉は必ず協会の派閥争いに利用され、巻き込まれてしまうだろう。──そう危惧したカルデア所員達は寝る暇も惜しんでこの1年間の膨大なデータを書き換えた。全ては波琉と、波琉のこれからの輝かしい平穏な未来を守るために。ダ・ヴィンチとカルデア所員達の努力もあって《人理焼却事件》の波琉に関するデータは全て書き換えられた。これで波琉はデータ上では人類史を救った英雄ではなくなった。長きに渡るグランドオーダーも終わり、波琉はカルデアを去った。何事もなかったかのように故郷へ──平穏な日常の中へと帰っていった。
2017年も3ヶ月が過ぎた。空白の1年間の混乱も少しずつ収まりつつある。世界各国の意向により2017年はその《空白の1年》をやり直すために運営されていて、本来であれば進級して高校3年生となっているはずの波琉は高校2年生として地元の高校に通っていた。家族、友達、学校──。かつてこの日常が失われてしまったことを知っているからこそ、今の波琉にとってはそのどれもが愛おしく、キラキラと輝いているように見えた。ずっとこの平穏が続くものだと、思っていた。
いつもよりバイトの時間が長引いてしまった。少しだけ手伝ってほしいと店長の懇願を受け入れたのが全ての間違いだった。まさか大量の荷を解くなんてこと、誰が予想しただろうか。
「少し給料弾むからって言ってたし、まあいっか」
独りごちながら夜が深くなった街を歩く。この時間帯になると人通りはぐっと少なくなる。波琉はローファーをこつこつ鳴らしながら家路を急いでいた。バイト先を出てからずっと背後に不穏な気配を感じ取っていたからだ。気のせいかもしれないと、わざと歩くスピードを速めたり遅くしたりすると、その足音は急ぎ足になったり立ち止まったりと波琉との距離を一定に保っている。つけられている、とそう感じた波琉は背後に神経を集中させながら、なだらかな坂道を登りきる。突き当たりにぶつかると波琉はごく自然に家とは反対方向に角を曲がった。その瞬間、波琉は勢い良く駆け出す。
「はあ、はあ、はあ……!」
脇目も振らず駆け抜ける。相手の方も波琉が逃げたことに気づいたらしく、革靴を踏み鳴らしながら追いかけてきた。距離は縮まることも遠ざかることもない。一定の距離を保ったまま。ひたすら道なりに走っていると微弱な魔力の気配を感じた。相手は魔術師だ──と察した瞬間、びりっとした衝撃が背中に走った。
「──っ!」
崩れそうになる体勢をなんとか持ち堪える。波琉が背中に受けたのは指差しにおいて対象を呪う北欧の魔術。波琉も礼装の補助で何度か打ったことのある魔術だった。物理的威力が特化したそれはマシンガンのように次々と波琉に襲い掛かってくる。肘に当たる。肩口に、スカートの襞に掠る。だが、不思議と怖くはなかった。むしろ段々口元が綻んでくる。魔術師といっても相手は自分と同じ人間だ。女神を抱えて、ヘラクレスから逃げ回った時の方がよっぽど怖かったと波琉は思った。しかし、この状況を打開できる策は何もない。かつて右手に宿していた三画の令呪は跡形も無く消えているし、カルデアのサポートもなければ魔術礼装を着用しているわけでもない。ましてや、従えているサーヴァントなどいなかった。多少の魔術や体術であれば様々なサーヴァント達から教わっていたが、それで太刀打ちできる相手かどうか分からない。とにかくここは逃げるしかないと、無我夢中で走った。波琉はやがて橋を渡り、川を越えた。追いかけてくる足音は止まない。馴染みのある地元からほとんど土地勘の無い隣町に入ってしまったため、波琉は自分の勘だけを頼りに街中を走り回った。大通りを抜け、一本筋に入る。しかしそれが運の尽きとなった。昔ながらの屋敷が建ち並ぶ住宅街、しばらく走ったところで行き止まりに突き当たった。誰も住んでいない寂れた屋敷の前で波琉はとうとう袋の鼠になった。足音が近づき、そして立ち止まった。波琉は息を吐き出すと、朽ちた門構えを背にして相手に向き直った。暗がりと目深くかぶっている帽子のせいで相手の表情は窺い知れない。決して目線を合わせないように相手の口元をじっと見つめる。
「──お前がカルデアのマスターか」
低く、重厚な男の声が響き渡る。波琉は何も答えない。その沈黙を肯定と受け取ったのか、男は懐から何かを取り出すと、地面に放り投げた。からんからんと音を立てて転がったのは何かの鉱石。ばら撒かれた鉱石は魔力を込められていたのか、男が呪文を詠唱すると瞬時に変形していく。鉱石を核にして次々と現れたのはゴーレムの類。それらは波琉を取り囲むようにゆっくりと近づいてきた。波琉は息を呑み、じりじりと後退りする。ガシャンと背中が柵にぶつかった。今の自分には力がない、今の自分には何もできない。けれど、どうしても諦めることだけはしたくなかった。カルデアの所員達が労力を費やしてまで、神坂波琉という人間の未来を守ろうとしてくれたのだ。波琉は距離を縮めてくるゴーレムの群れを睨みつけた。
助けてほしい、助けてほしい。こんなところで死んでたまるか──!
その瞬間、目の前の空間が歪み、赤い閃光が迸った。1体のゴーレムを穿ち、そこを起点として荒れ狂う風が巻き起こった。風と砂塵がこの空間を支配する。目を開けていられなくなった波琉は吹き飛ばされないように片手で柵を掴み、もう片方の手で顔をガードして暴風が収まるのを必死に耐える。時折、石片が飛んできては波琉の手や頬を切り裂いていった。しばらくして、一帯を渦巻いていた風と砂塵の力が徐々に衰え始める。と同時に魔術師とは桁外れの魔力を感じて波琉は恐る恐る目を開けた。目の前に何かがいた。
禍々しい武装は絶望の具現。
赤い荊棘は死の呪い。
──目を見張る。どうしてここに、彼が存在しているのか、波琉は全く理解できなかった。かつて特異点の旅の最中で縁を繋ぎ、サーヴァントとして使役していたクー・フーリン・オルタがゴーレムと波琉の間を遮るように立っていた。
「この気配、サーヴァントか!?」
相手の狼狽えた声が聞こえ、波琉はハッと我に返った。「オルタ」と、名前を呼ぼうと口を開きかけて思い留まる。
「──バーサーカー」
波琉が呟いた声に空気が張りつめ、相手が萎縮するのが分かった。『狂戦士』は聖杯戦争で召喚される7騎の中で最も破壊に特化したクラス。──バーサーカーと呼ばれたオルタは肩越しに振り返った。赤い瞳が薄っすらと光る。その目は波琉の指示を待っているように見えた。
「やはり、この女がカルデアのマスター……!」
相手が構える。オルタの槍によって破壊され、ただの瓦礫と化したゴーレムは再び魔力を通され、姿形を復元していく。
「……バーサーカー!このゴーレム達を壊して!」
最後に魔術師は殺さないように、と付け加えた波琉の指示にオルタは引き結んでいた口元を歪ませると「了解」と応えた。
◇
「くっ……!」
ゴーレム達は魔力の核を破壊され、跡形も無く粉々になった。使い魔を失い、おまけに魔力切れとなった魔術師は苦虫を潰したような表情でこの場から走り去る。やがて男の姿が見えなくなると緊張の糸が切れたのか、波琉は膝から崩れるようにすとんと尻餅をついた。久々の戦闘に指先が小刻みに震えている。そんな波琉をオルタは無表情で見下ろしていた。
「──おい」
《あー、テステス。やっと繋がった!天才ダ・ヴィンチちゃんの登場さ!》
「ダ・ヴィンチちゃん!?」
何か言いかけたオルタの言葉を遮り、突然入ったダ・ヴィンチからの通信に波琉は驚きの声を上げる。
《やあ、ハルちゃん。久しぶりだね、元気だったかい?》
「え、あ、元気……でした、けど」
《端的に説明すると実は人理焼却事件に関するデータの改竄がバレちゃってね〜。協会が血眼でハルちゃんの居所を探し始めてしまったんだ。こちらで先にハルちゃんを保護したかったんだけど、予想以上に協会の動きが早くてさ。……怖い思いをさせてすまなかったね》
「いえ、わたしは大丈夫です。それにヘラクレスから逃げ回ってる時の方が怖かったですから」
《さすがハルちゃんだ!伊達に7つの特異点を乗り越えただけはある!君の度胸に向こうもびっくりしただろう!》
通信越しにダ・ヴィンチがからからと笑った。
「あの、追いかけられていた理由は分かったんですけど、どうしてここにオルタが?」
波琉は小首を傾げながらオルタを見つめた。
《ああ、そのことか。このままではハルちゃんが危険だと感じてね、ちょちょいとレイシフトを応用してサーヴァントを送り込むことを思いついたのさ!何、この天才ダ・ヴィンチちゃんの手にかかれば、造作もないことさ!》
「さっすが、ダ・ヴィンチちゃんだー」
《だろう?そこでだ、誰をハルちゃんの元に送り込もうかと悩んでいる時にオルタが真っ先に管制室に来てくれてね。彼を送り込むことに決めたんだ》
「そうだったんだ……オルタ、来てくれてありがとう。助かったよ」
「礼を言われる筋合いはない。サーヴァントとして当然のことをしたまでだ」
《さて、ハルちゃんには申し訳ないけど、協会がキミを狙っている。身の安全を確保するためにももう一度カルデアに来てほしい》
「……分かりました」
《では、明日の朝一番でこちらからハルちゃんの元に使者を送ろう》
「はい」
《それからさっきみたいなことがまた起きてもおかしくない。オルタには護衛としてハルちゃんについていてもらう。いいかい?オルタ》
「ああ」
《ではハルちゃん、また明日。今日は早く帰ってゆっくり寝たまえ》
ダ・ヴィンチの言葉に波琉が頷くと、カルデアからの通信が途切れた。波琉とオルタだけがこの場に取り残される。波琉は地面に手をつきながらゆっくりと立ち上がるが、すっかり忘れていた肩や背中に受けた怪我が今更ジクジク痛み出した。あまりの痛さに波琉の顔がほんの一瞬苦痛に歪むが、すぐに何事もないように平然を取り繕う。
「じゃあ、えっと……家に帰ろうか」
「おい」
「え?──あ、い……った!!」
思いきり腕を引っ張られて、肩と肘が悲鳴を上げた。オルタは波琉が受けた傷を淡々と見つめている。
「あいつにやられたのか」
「あ、うん……逃げてる最中にちょっと後ろからガンド打たれちゃ、って」
「──チッ」
見逃さずに殺しておけば良かった、とでも言いたげにオルタは舌打ちする。あからさまに不機嫌になったオルタを見て、波琉は叱られた子供のようにしゅんと小さくなった。
「ご、ごめん……」
自分が至らないせいだと項垂れる波琉をオルタは一瞥する。──やがて短く息を吐き出すと、傷口に向かって幾つかのルーンを刻み波琉の傷を次々と治療していった。
「……お前はそのままでいい」
そう呟いたオルタは先程とは比べ物にならないくらい優しく繊細な力加減で波琉を抱き寄せた。オルタらしからぬ行動に波琉の思考が停止する。
「え、ちょっ、オルタ……?」
「──」
オルタは反応を示さない。ただ、オルタの穏やかな息遣いと心音だけが波琉の耳朶に触れていた。
title by 慧誓
20170628
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