カルデア内時間にして午前2時。波琉はまだ眠れずにいた。最終決戦に向けてしっかり休息を取り、心も体もベストコンディションにするようにとロマニから言われたものの、布団に潜り込んだ途端に目が冴えてしまい、波琉は小さく唸りながらしきりに寝返りを打ち続けていた。つい数時間前までレイシフトしていたウルクでの戦いの余韻が尾をひいているのか、はたまた人類史を賭けた最後の戦いを目の前にして柄にもなく緊張しているのか──。波琉は閉じていた目をかっと見開くと、無機質な天井をじっと睨みつける。
「──はあ」
やがて短く息を吐き出すと、体に乗っていた布団を思い切り剥ぎ取った。半身を起こして床に足をつけ、この眠れない時間をどう過ごそうかと考えながら、辺りを見渡す。常夜灯の明るさに慣れた目が徐々に部屋の調度品の姿形を認める。
「あ、そうだ」
視界にクローゼットを捉えた瞬間、何かを思い出した波琉は微かな明かりを頼りに立ち上がると、徐ろにクローゼットへ近づいていく。観音開きの扉を勢い良く開け、カルデアに来る際に持ち込んできた自分の荷物を手探りで漁った。がさごそと荷物を調べることしばらく──波琉は小脇に抱えられる大きさの箱を取り出した。そこには幼い頃に買ってもらったプラネタリウムが綺麗に梱包されて入っていた。これは閉鎖的な空間で長期間の滞在になることを見越して持ち込んだものだったが、結局自分の置かれた環境の目まぐるしい変化や特異点修復という忙しない日々に追われ、今の今まで投影する機会が一度もなかった。人理焼却を阻止して未来を取り戻し、忙しい日々が落ち着いたとしても、それからの自分が一体どういう立場に位置付けられるのか全く予想がつかない。──とすれば、ゆっくりとプラネタリウムを観ることができるのは今日ぐらいしかないのかもしれない。波琉は想いを巡らせる。そうだ、どう頑張っても目が冴えて眠れないのだから、ここは気分転換も兼ねて慣れ親しんだ部屋ではない何処かでプラネタリウムを鑑賞しよう。誰にも邪魔されない場所など、このカルデアにはいくらでもある。波琉はプラネタリウムの箱をそっと抱きかかえると、着の身着のままで自室を飛び出した。こんな大事な時に夜更かしするとは何事だと、みんなには怒られてしまうかもしれないが、その時はその時だ。
足元を照らす明かりを目印に、波琉はひんやりとした廊下を足早に突き進んでいく。第一級戦闘状態宣言が出され、最終決戦を目前に控えているからか、定期的に見回りをしている所員も食堂で小さな宴を開いてアルコールを嗜んでいるサーヴァント達の姿もなく、廊下は珍しくしんと静まり返っていた。聞こえるのは自分の息遣いとパタパタと鳴るスリッパの音だけ。こうして夜中に抜け出すのは初めてで、まるで悪いことをしているみたいだと波琉は鼓動を逸らせる。何処までも続く廊下を延々と歩き続け、波琉は自室から随分と離れたエリアに辿り着いた。このエリアには本来であれば波琉以外のマスター達が使うはずの部屋がいくつも並んでいた。他のエリアの部屋は現在、現界したサーヴァント達の居住区として充てがわれていたが、唯一このエリアの部屋だけが無人のままだった。管制室や食堂などから離れたこのエリアは基本的に見回り以外で人が踏み入れることはないため、誰にも邪魔されずにプラネタリウムを鑑賞するのに都合が良い。波琉は一番近くの部屋へと足を踏み入れる。真新しい匂いがする部屋の明かりをつけると、波琉はいそいそとプラネタリウムの投影準備を始めた。──準備はすぐに終わり、再び部屋を真っ暗にする。暗闇の中、手探りでプラネタリウムのスイッチを入れると、一瞬にして眩い光を放つ無数の星が現れた。
「……うわあ」
懐かしい光景を前に、思わず感嘆の声が洩れる。随分前の古い型のプラネタリウムではあるが、星の輝きは変わらずに美しかった。天井も壁も無くなり、そこにはただ宇宙が広がっている。波琉は硬い床の上にごろりと大の字で仰向けになると、まるで幼い頃に戻ったかのように、頭を空っぽにして瞬く星を目で追いかけた。
時間が経つのも忘れ、無我夢中で星を眺めていると、突如として静寂を引き裂くかのように扉の開く音が聞こえ、部屋に微かな光が射し込んできた。
「探しましたぜ、マスター。こんなところで、なーにやってんですか」
「え……ロビン?」
「ご名答」
予期せぬ来訪者に波琉の思考は現実に引き戻される。波琉は慌てて半身を起こすと、隣にやって来たロビンフッドの姿を見上げた。やれやれと言いたげな表情のロビンフッドと視線が交わる。
「斥候を得意とするサーヴァントを舐めてもらっちゃ、困るってもんですよ」
「どうして、ここに……?」
「職業柄、オタクのコンディションは逐一把握してるもんでね。ちょいと気になって様子を見にきたってワケです」
ロビンフッドが「どーぞ」とマグカップを床に置いて波琉の隣に腰を下ろす。ロビンフッドから差し出されたマグカップに目をやると、微かに湯気が立っているのが見えた。ここを訪れる前にわざわざ食堂で淹れてきてくれたのだろうか。何もかもがお見通しなことに、やっぱり敵わないなあと思いながら波琉はマグカップを両手で掴み取った。息を吹きかけながらゆっくりマグカップを傾けると、ホットココアの甘い匂いが鼻腔を擽り、程良い温かさが全身に沁み渡る。
「美味しい……」
「赤マントの作り方を見よう見まねしただけですからね、美味しいのは当たり前ですよ」
薄い笑みを浮かべたロビンフッドは両手を後ろ手について、仰け反るようにして天井を見上げる。波琉はマグカップに口をつけながら、ロビンフッドの横顔をそろりと見つめる。プラネタリウムの光がロビンフッドの整った顔を静かに照らしていた。
「寝付きが悪いなんてマスターにしちゃあ、珍しいってもんだ」
「あー、うん、そうだね。寝たいって気持ちはあるんだけど……なんだか目が冴えちゃって」
「で、気分を変えたいと思い立ってこんなところまで来てプラネタリウムですか」
「……ご名答」
波琉はマグカップの熱で暖を取りながら、視線を目の前に広がる満天の空に移す。
「夜更かしするのもいいですけど、少しばかりは睡眠を取っとかないといざって時に力が出ませんぜ?何しろ相手はあの魔術王だ」
「……あー、うん、そうだよね」
波琉の言葉を最後に2人の間に沈黙が流れる。7つの時代を乗り越えた果てで待ち受けているのはこの人理焼却事件の黒幕・魔術王ソロモン。決して一筋縄ではいかない手強い相手だ。魔術王とロンドンの地で初めて対峙した時のことが思い出され、波琉はココアを一気に飲み干した。ふう、と息をつく。
「ロビン、ココアありが──」
「……眠れないんなら、オレがここで傍にいててやりましょーか?」
重ねられたロビンフッドの言葉に波琉の動きがピタリと止まる。眼前で少し気恥ずかしそうな表情を携えたロビンフッドが胡座をかいた自身の膝をポンポンと軽く叩いている。「まっ、寝心地は保証しませんけどね」と呟かれた言葉に波琉は一瞬だけ目を丸くすると、小さく笑った。ロビンフッドの優しさに胸が熱くなる。人類最後のマスターになった時から誰にも甘えたことはなかったし、甘えたいと思ったこともなかった。だが、こんな夜──いや、最後の夜だからこそ、柄にもなく甘えてみるのもいいかもしれない。波琉はロビンフッドの好意に甘え、膝元に頭を預けた。鍛え上げられた筋肉は固く、ロビンフッドの言うようにお世辞にも寝心地が良いとは言えなかったが、ロビンフッドの纏う森の匂いが波琉の心をひどく安心させた。森の匂いと先程飲んだホットココアの温かさがきっかけとなったのか、波琉の瞼は少しずつ重みを増していく。目が冴えて、眠れないと言っていたのが嘘みたいだ──と沈み込もうとする意識の中で波琉は思った。波琉の瞼は閉じては開き、閉じては開きと抵抗を繰り返していたが、だんだん抵抗する力が弱まっていき、そのまま深い眠りへと落ちていった。
ロビンフッドは波琉が眠りについたのを確認すると、ホッと安堵の息を吐く。
「全く、世話のかかるマスターだな」
羽織っていたマントを波琉の体に優しく掛けると、規則正しい寝息を立てる波琉の顔をそっと覗き込んだ。マスターとしての責務からか、随分と大人びて見える普段の凛々しい波琉からは想像できない程のあどけない表情が、そこにはあった。いや、きっとこれが本当の彼女の姿なのだろう。ロビンフッドは波琉の髪にすうっと指を通した。波琉はみんなから一目置かれ、慕われてはいたが、自分からしてみればまだまだ『子供』だ。小さな子供をあやすような手つきで頭をぽんぽんと撫でてやると、波琉が擽ったそうに身をよじった。
「おやすみ。いい夢を、マスター」
慈愛を含んだ声色でぽつりと言葉を零したロビンフッドは視線を部屋一面に輝き続けるプラネタリウムに移す。キラキラと瞬き続けている星を目で追っていると、その中に一際眩い光で輝く星を見つけた。「おっ」と無意識に声が出る。あの星の名前をロビンフッドは知らない。だが、強く惹きつけられるその光にロビンフッドは願いを込めずにはいられなかった。──晴れやかに笑う少女の顔を思い浮かべながら。
title by 誰そ彼
20171105 - Polaris
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