※土方さん(FGO)
※史実を基にした生前捏造
時は明治二年五月、蝦夷地にて新政府軍と旧幕府軍による戦い──俗に言う箱館戦争が勃発している最中であった。旧幕府軍は二股口にて新政府軍の進撃を二週間に渡って阻止したものの打ち破るまでには至らず、軍を率いていた土方歳三はなくなく五稜郭への撤退を余儀なくされた。それにより江差・松前・そして二股口から南下する新政府軍が箱館総攻撃の態勢を整えつつあった──。
土方軍が五稜郭へ戻ってきたとの報せを受け、先刻まで榎本に弁天台場の状況報告をしていた波琉はすかさず奉行所正門まで土方を迎えに行った。
「土方さん!」
泥にまみれ、疲労困憊といった兵士達の波をかき分けながら波琉は土方の元へ辿り着く。久方ぶりに見た土方の姿はどこかやつれているように見え、二股口での戦いが過酷だったことが窺えた。
「……神坂か」
「はい、こちらの状況を総裁に報告しておりました」
「そうか、いいところに来たな。お前も来い」
「え?」
「行くぞ」
戦いから戻ってきた土方は奉行所内には入らず、外套を翻して足早に何処かへ向かって歩き始める。咄嗟に背中を追いかけて、波琉は土方に声をかけた。
「……っ、あの、総裁に帰還報告をしなくても良いのですか?」
「構わん」
「は、はあ……」
土方はブーツを鳴らしてずんずんと歩いていく。土方が何処へ向かっているのかさっぱり見当もつかなかったが、ついて来いと言われた波琉はとりあえず土方の後を追って足早に歩いた。──やって来たのは五稜郭の南西に位置する兵糧庫。ここには少し前に敵陣からかっぱらってきた樽酒が保管されており、土方はその酒を使って二股口での激戦を戦い抜いた兵士達を労おうとしたのだった。
「──たらふく飲め、と言いたいところだが……へべれけになってもらっては戦いに支障が出る。前にも言ったが皆、一杯ずつで我慢してくれ」
土方の言葉に兵士達から笑いが零れ、何日かぶりの酒に皆が沸いた。波琉は奮戦した土方軍ではない自分がそのような酒をいただくことはできないと遠慮したが、兵士達に押しに押され、渋々と器を受け取った。波琉にとっても──最後にいつ飲んだか思い出せない程──懐かしさを感じる酒だった。果ての見えない戦いの中で唯一と言ってもいい安息。器に並々注がれた酒を、皆、後生大事に味わっていた。兵士達の表情は何処か明るい、二週間も戦い続けてきたとは思えない程に。しんしんとした夜に彼らの談笑が響き渡った。波琉はそんな彼らから少し離れた場所に腰を下ろし、ちびちびと嘗めるようにして酒を嗜んでいた。五月になってもまだ冬の寒さが残る蝦夷地、京はもう初夏を感じられる季節になっただろうか──波琉はふと、京の街並みを思い出した。
波琉はかつて京の街で恐れられていた新選組の隊士だった。と言っても立ち上げ当初からではなく、新選組という名が世に知れ渡ることになった池田屋事件の後に行われた第二次隊士募集で自ら志願し、入隊した女隊士であった。──波琉の家は片田舎で町道場を経営していた。小さな道場且つほとんど知られていない無名の流派ということもあって、経営は順調とは言えなかったものの近所の子供達を中心に剣術を教えていた。女でありながらもただ一人の跡取りだった波琉も小さな道場生と共に剣術を習っていたが、波琉が成人して程無く、道場主である父親が病に伏した。父親は借金のある道場を波琉が継ぐことを良しとせず、道場を勝手に売りに出した。「自分の好きなように生きていい」と父親は最期の言葉を残したが、波琉はどう好きに生きればいいのかてんで思いつかなかった。物心ついた頃から竹刀を振っていたし、幼心にも道場を継ぐのだろうとしか考えていなかった。それが自分自身の人生だとばかり思っていたから。なんとか剣の道を生業にしたいと考えてはみたものの、道場は売られてしまったし、食客として他の道場に出入り出来る程の卓越した技量を持ち合わせているわけでもなかった。八方塞がりになった波琉は、やはり親戚筋から来る縁談話に乗るしかないのかと諦めかけた時、京の都で新選組という組織が活躍しているとの噂を聞きつけた。数多の剣豪達で組織されたその中に沖田総司という天才的な剣士が所属しており──なんと自分と年も近く、同じ女だと言う。平凡な技量なれど自分も剣に生きることができるのではないかと、波琉は新選組に全てを賭けることにした。今まで生まれ育った故郷を飛び出し、身一つで京へ赴いた波琉は新選組の門戸を叩いたのだった。
そして──見事、新選組への入隊を決めた波琉は幹部達との初顔合わせの日に運命に会った。目の前にぞろぞろと現れた幹部一同、その中で近藤勇の横に控えている──鬼の副長と呼ばれる土方歳三の姿を目にした瞬間、波琉は一筋の眩ゆい光を見たのだった。ああ、私はこの人のために生き、そして死ぬのだと、直感した。人生で初めて自分の命を捧げてもいいとさえ思った。何故、そこまでの想いに至ったのかは分からない。ただ、この瞬間から土方歳三という男は波琉の世界の全てになった。
新選組として活動していく日々、土方が取り決めた局中法度のあまりの厳しさに耐えかねて、波琉と時を同じくして隊士となった者達が脱走や法度破りのために次々と粛清されていく中、波琉は言われるままに淡々と仕事をこなした。多士済々の武芸者達が揃う新選組の中で比べると、やはり波琉の剣の技量は平均的ではあったが、その真摯な姿勢を認められ、近藤や土方といった幹部組から波琉は大きな信を得た。その後の組織再編により波琉は監察方の島田魁の下につき、土方の命で拷問や粛清といった謂わば汚れ役であったり、攘夷志士達の動向や情報を掴むために女中として長期間旅籠屋に潜り込むといった重要な任務を受けることが多くなった。土方の、どんな命令も波琉は受け入れ、言われるがままに任務を遂行した。全ては土方のために。波琉の胸中はただ、それだけだった。しかし、そんな日々も長くは続かない。目まぐるしく変わっていく世の流れに飲み込まれる。少しずつ綻びが生じていく新選組は瓦解していく道を辿る他なかった。
戊辰戦争が勃発すると新選組は旧幕府軍の一員として戦った。──そこでたくさんの同志が死んだ。共に戦ってきた同志と袂を分かった。新選組の柱である近藤が捕縛され、罪人として斬首された。そして波琉が同じ女剣士として尊敬の念を抱いていた沖田が病床で亡くなった。北へ北へと転戦していく中で、数えきれない程の死や別れに遭った。だが、どんなことがあっても波琉は土方の背中を追いかけて走り続けた。土方と共に戦い、そして死ぬ。ただ、それだけのために。──そう、思えば遠くへ来たものだ。
ざりっと砂利の擦れる音がして、感傷に浸っていた波琉は現実に引き戻された。音がした方向に目を向けると、そこには穏やかな笑みを浮かべた土方が立っていた。
「土方さん……っ!」
「美味いか?」
「あ、はい!美味しくいただいております」
「そうか」
ふっと短い息をついた土方の雰囲気が僅かに変わる。波琉は無意識に居住まいを正した。
「少し、いいか」
「……はい」
波琉が立ち上がると、土方は一瞬、他の兵士達の様子を窺うために後ろを向いた。彼らは器を片手に陽気に歌を歌っていて、土方と波琉に気がついていないようだった。
「ついて来い」
誰にも気づかれず、土方と波琉は兵糧庫から離れる。しばらく歩いて、今は使われていない蔵の前で足を止めた土方はくるりと回って外套の裾を払いながら階段に腰を下ろした。そして射抜くような視線を波琉に向ける。
「お前、いくつになった」
そう問われて自身の年齢を口にすると、土方はもう一度確かめるかのように波琉の年齢をゆっくりと呟いた。そうして足元の一点をじっと見つめていたかと思うと、手に持っていた器を一気に呷り、ゆっくりと口を開いた。
「──」
身震いする冷たい風がさあっと二人の間を通り過ぎた。
「今、なんと……?」
「聞こえなかったか?お前はこの五稜郭を抜け出し、逃げろと言ったんだ」
予期せぬ言葉に波琉の手から器が滑り落ちる。貴重な酒が地面を濡らしたが、波琉はそれどころではなかった。がつんと頭を強く殴られたかのような重たい衝撃。五月蝿い耳鳴り。頭が、真っ白になる。土方の言葉が頭の中で暴れていた。逃げる?それは目の前に迫る新政府軍を前にして恐れおののく敵前逃亡ということではないのか?
「お前は器量も良い。今から嫁に行くこともそう難しくはないだろう」
「──っ……嫌、です」
なんとか絞り出した声はとてつもなく小さかった。だが、土方の耳にはしかと届いたらしい。柔らいだ表情を浮かべていた土方の眉間に一瞬にして深い皺が寄る。
「なんだと?」
「私は、誰が何と言おうと、新選組隊士です。命果てるまで、新選組に土方さんに忠誠を誓い、付き従う覚悟なのです」
波琉の想いを聞いた土方は黙ったまま、ゆったり腰を上げると目にも止まらぬ速さで抜刀した。瞬き一つ、気がつけば土方の手先から自分の首筋に向かって、月の光を反射して鈍く光った銀色が伸びている。切っ先からはひしひしと殺意を感じる。少しでも動いただけでそれは波琉の首をいとも容易く刎ねるだろう。
「副長の命に逆らうは、法度を破ることだ。──となれば俺はお前をここで斬る」
土方の目にぎらりと炎が揺らめく。今、波琉の前にいるのはあの『鬼の副長』と呼ばれ、敵からも味方からも恐れられた男だった。息を押し殺すことしかできない波琉はこの時初めて土方に畏怖の感情を抱いた。炎を宿す土方の双眸をしばらく見つめていた波琉はやがて観念したように目を伏せ、ぽつりと言葉を零す。
「……分かり、ました」
呟いた声は自分でも笑えてしまうくらいに震えていた。その瞬間、波琉を押しつぶさんとしていた殺意が霧散する。首筋にあてがわれていた切っ先はいつの間にか鞘に収まっていた。
「振り返ることなく、ただ走れ。そして生きろ」
生きろ──。それは人生のほとんどを新選組に捧げてきた波琉にとって、この世で一番残酷な言葉だった。
「はい……」
「見つかる前に早く行け」
「土方さん」
「なんだ」
「──どうか、ご武運を」
土方の凛とした姿をしかと目に焼き付ける。これがきっと、最後になるだろう。今までの感謝の気持ちを込めて頭を下げると、波琉は土方に背を向けた。振り返ってはいけない。涙が出そうになったが、歯を食いしばって必死に我慢した。そこから先、波琉はどうやって船に乗り込んだのかほとんど覚えていない。覚えていることは暗闇に紛れながら四肢が千切れてしまうのではないかと思うくらい一心不乱に走り続けたことだけ。そうして波琉は無念の想いを抱えたまま、土方や同志達が残る蝦夷地を後にした。長い航海を経て波琉が江戸に着いた頃、旧幕府軍の降伏によって箱館戦争は既に終結していた。波琉が蝦夷地を後にして三日と経たずに総攻撃が開始された。土方は、死んだ。鬼の副長と呼ばれた苛烈な男は、北の大地でその短い生涯を終えたのだった。
心にぽっかりと穴が開いたような虚無感を覚えながら、波琉は名前を変え、身を隠して日々を無為に過ごしていた。やがて風の噂でかつての上司・島田が京で剣道場を開いていることを知った波琉は半ば衝動的に京へ向かった。懐かしの京の都。最終的に脱走という形になってしまったにも関わらず、島田は波琉との再会を心から喜んだ。
「無事だったか」
「……はい」
「そうか、元気そうで何よりだ」
島田はそう呟きながら、素振りをしている子供達に目をやる。つられて波琉も視線を動かして、子供達を見た。一心不乱に竹刀を振る姿に懐かしさを感じた。風がそよぐ。波琉は晴れやかな青をした空を見上げた。
「あの時を思い出すな」
「そうですね」
「近藤さんに土方さんに沖田さん……みんなでこうやって稽古したよなあ」
同志達と自分と姿が重なる。もう二度とあの日々には戻れない。
「神坂はこれからどうするんだ?」
「正直……よく分かりません。土方さんには嫁に行けなんて言われましたけど、残念ながら私は剣しか学んできませんでした。それに今から結婚も難しいでしょうし」
苦笑いの波琉に、島田は腕を組んだまま難しい顔をして「うーん」と小さく唸った。しばらく唸っていた島田は何か良いことでも思いついたと言わんばかりにポンと手を打ち、波琉に向かって快活な笑顔を浮かべる。
「ここで子供達に剣術を教えるのはどうだ?」
「え?」
「ああ、それがいい!確かお前の家は町道場をやっていたな。なら、子供達に教えるのは得意中の得意なんじゃないか?」
島田の一言により、道場の食客として招かれた波琉は道場近くにある長屋の一室を借り、再び京での生活を始めた。かつて町道場の跡取りだった波琉は稽古をつけるのに長けていたため、すぐに子供達の人気者となった。更に女の剣術師範がいるとの噂が町内に回り、道場には剣術を習いたいという人々が年齢問わず殺到した。その中には波琉に一目惚れをし、熱心に波琉に求婚する者も少なからずいたが、波琉はにこやかな笑みを浮かべるだけで決して首を縦に振ることはなかった。
◇
あれから随分と月日が経ち、京の街は大きく変わった。不穏な空気が満ち満ちていた動乱の時代は影も形もなく、人々の顔は底抜けの明るさで溢れている。賑やかな大通りをゆったりとした足取りで歩いていると、少し先の曲がり角から子供達が声をあげながら駆けてくるのが見えた。チャンバラでもしているのだろうと微笑ましく眺めていると、逃げる彼らの後を追うように駆ける浅葱が目に飛び込んできた。思わず足が止まる。波琉は徐々に近づいてくる浅葱に目を奪われたまま、その場から動けずにいた。久方ぶりに見た色、美しいその色。浅葱のダンダラを羽織った集団の一人が声高らかに叫ぶ。
「新選組副長、土方歳三!御用改めである!」
風を纏った子供達がわあっと波琉の側を通り過ぎる。ふわり、ひどく懐かしい匂いが波琉の鼻腔をくすぐった気がした。
人生のほとんどを捧げた初恋があなただったこと、あなたが死んだら教えてあげる
──ああ、そうだ、と引かれるように振り返って、小さくなっていく眩ゆいばかりの浅葱を見つめた。懐かしい、愛おしい、それは波琉の世界の全てだった。
title by お題*bot(@0daib0t)
20180511 - 土方歳三、一五〇回忌
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