煌びやかなシャンデリアが会場を照らす。今宵はこのホテル・バンドーの大広間にて『御剣怜侍検事局長就任パーティー』が盛大に執り行われていた。法曹関係・警察関係のみならず、御剣と親交のある芸能人までもが多数招待されていて会場には多種多彩な顔ぶれが出揃っている。また、検事局きっての天才検事と謳われた御剣が史上最年少でトップに登りつめたということで各局の報道陣や新聞社の記者達も大勢詰めかけていて、パーティーはさながら異職種交流会のような多彩さとそれ以上の盛り上がりを見せていた。そんな燦爛たるパーティーの中でただ一人、波琉は何処か憂いを帯びた冴えない表情で、シャンパンの入ったグラスを片手に壁の花と化して佇んでいた。口元にほんの少しだけグラスを当て、舐めるようにシャンパンを口に含んでは大きな溜め息を吐き出す。生まれてこのかた袖を通したことのないドレスに少し高さのあるヒール、飲み慣れないシャンパン、そして何よりもこの高級感溢れる──波琉にとっては異世界と言える──雰囲気に波琉は言葉にできない程の疎外感を感じていた。ドレスコードのある場所でワインやシャンパンといったお洒落なドリンクを口にするよりも、リーズナブルな大衆居酒屋で大ジョッキを呷る方が自分には性に合っている──。波琉は一向に中身の減らないシャンパングラスを傾けながら、そんなことばかり考えていた。
波琉は自身が所属する科捜研の所員達と共に招待された。御剣の新たな門出を祝福するパーティーに招待されたのは良かったものの、職業柄日がな一日研究所にこもっているため波琉はこの場にいるほとんどの人間と親交を深めたことがなかった。唯一の関わりを持っている御剣は本日の主役であるし、糸鋸は張り切ってこのパーティーの司会進行を務めている。時折、仕事上で一度や二度、顔を合わせたことのある面々が波琉の前を通るが、簡単な挨拶や会釈を交わすだけで会話として成立することはなかった。──ちなみに、同伴した所長はかつて同じ鑑識課に所属していた同期との会話に花を咲かせており、後輩達は周りの目も気にせず、ここぞとばかりに豪勢な料理とアルコールの飲み食いに勤しんでいる。この雰囲気に物怖じしない彼らにある種の羨ましさを感じつつ、波琉は壁にもたれかかって会場をぐるりと見渡した。と、波琉から少し離れた円卓の近くで警察局の上層部と談笑している──国際警察の捜査官、狼士龍の姿を見つけた。
「うわ……狼捜査官も招待されていたんだ」
まあ、御剣さんと良きビジネスパートナーの関係であれば当たり前か、と波琉は少し渋い表情を浮かべた。
──狼と出会ったのは今から半年程前。御剣から頼まれた裁判用の鑑定資料を持って検事局・御剣の執務室を訪れた時のことだった。執務室にて視線が交わったのはほんの一瞬、たった一瞬だったが、オオカミのような鋭い瞳に絡め取られた波琉は本能的に逃げ出したくなるような感覚に陥ってしまった。頭が混乱した状態で御剣から狼を紹介され、互いに自己紹介と簡単な挨拶を行なったものの、波琉はいつもいただく紅茶を遠慮し、持ってきた資料を御剣に押しつけるように渡してそそくさと科捜研へと逃げ帰った。その後のことは記憶からすっぽり抜け落ちてしまったようで、覚えていない。ただこのことがきっかけで波琉は狼に、そして狼の炯々とした瞳に苦手意識を持つようになった。だが、幸いなことにその一件以降、狼とばったり会うことはなく──気がつけば半年が過ぎていた。こんなところでまさか再会するとは思ってもみなかったが、この人混みに紛れてやり過ごせばたぶん……大丈夫だろう。たった一度見ただけの顔と聞いただけの名前などきっと覚えていないはず──。
そんなことを頭に巡らせながら波琉は狼をちらちらと盗み見る。苦手人物とはいえ、上層部との会話に花を咲かす狼の姿はこの煌びやかな会場においても一際目立っていた。彫りが深い端正な顔立ちに加えて上背もあってスタイルも抜群だ。俳優やモデルと見紛うその容姿を、こうして遠くから眺めているだけなら平気なんだけどなあ、とぼんやり考えていると歓談中の狼の視線がふっと目の前の人物から逸れ──離れた場所にいるはずのこちらに向いた。 時間にして刹那、しかし十分に視線がぶつかってしまったことに驚いた波琉は反射的に顔ごと逸らして視線を断ち切った。はっ、と短い息を吐き出して波琉はようやく我に返る。いやいや、何を慌てて逸らす必要があった?向こうはわたしのことなんて覚えているはずがないじゃないか、と心の中で自問自答を繰り返す。が、こうして大げさに逸らしてしまった以上、顔を元に戻すことはままならない。波琉はドクドクと高鳴っている鼓動に気づかないふりをして、足元に広がる絨毯の模様をひたすら目線でなぞっていたが、視界にロングノーズの革靴が入り込んできた途端、驚き固まってしまった。波琉はギギギ、とまるで錆びついたロボットのようなぎこちない動きで顔を上げる。眼前には波琉が苦手とする狼の琥珀色の瞳がこちらを見下ろしていた。──痛い沈黙が流れる。
「さっきから熱い視線をずっと送られていると思ったら、アンタだったか。……一瞬、誰だか分らなかったぜ。カミサカ研究員」
覚えているはずがないだろう、とばかり思っていた狼の口から自分の名前が滑り落ちてきたことに波琉は目を丸くする。
「どうして、名前……」
「名前?」
「どうして、覚えていらっしゃるのですか……」
「忘れるはずがねぇだろ。狼子曰く、袖振り合うも他生の縁≠セぜ?」
「は、はあ……どうも……ご無沙汰してます、狼捜査官」
「まさかアンタも招待されていたとはな」
「ええ、まあ……はい、一応」
曖昧に笑って波琉は答える。
「なんだ、楽しそうな雰囲気じゃあねぇな」
「まあ……正直に言いますと、かなり気まずいのです。職業柄、ずっと部屋に引きこもっていて、交友関係は狭い方なので」
「そうか。まあ、オレもアンタと似たようなもんだ。ミツルギ検事さん──いや、検事局長だったな……ミツルギ検事局長さんからパーティーに招待されたのはいいが、ニホンの警察や司法の関係者との関わりなんざ、ごく少数だしな」
そう言いながら狼の左手が波琉に向かって伸びてきた。突拍子もない行動に何の反応もできなかった波琉だったが、狼の左手は波琉がずっと手に持っていたシャンパングラスをサッと掠め取っただけ。
「全く減っているようには見えねぇな……。アンタ、シャンパン飲めねぇんだろ?」
「あっ……」
言葉が口から出てくるより早く、波琉が飲みきれなかったシャンパンを狼が一気に煽ってグラスを空にする。そして片手を上げて、近くを歩いていたウェイターを呼び止めた狼は空になったグラスを返すと共にウーロン茶を2つ持ってくるように頼んだ。──その流れるような一連の動きに波琉はただ見惚れるしかできない。
「す、すみません……」
「気にすんな。飲み慣れねぇものを無理して呷る必要はねぇさ」
「あ、はい……。ありがとうございます」
程無くして、トレンチにウーロン茶2つを載せたウェイターが波琉と狼の元へやって来た。「お待たせいたしました」とにこやかな表情で差し出されるグラスをおずおずと受け取ると、そのまま狼のグラスと突き合わせる。
「仕切り直しだな。まあ、ノンアルコールだが」
「そうですね」
グラスに口をつけて、ウーロン茶を流し込む。
──美味しい。ようやくまともに摂取することができた水分に、波琉は引き結んでいた表情をほんの少し和らげた。と、目の前の狼がじっとこちらに視線を寄越していることに気づいた。目線をそろそろと上げて見てみると、そこには何を考えているのか分からない狼の表情。会場の明かりを吸収した琥珀色の瞳が魅惑的にゆらゆらと揺らめいていて──波琉は思わず目線を元に戻した。そんな波琉と狼の間を流れる居た堪れない雰囲気をバッサリと断ち切るかのように、
「さあ、会場の皆さん大変長らくお待たせしましたッス!これよりは御剣検事局長のためにネオ・エドシティからはるばるやって来たトノサマンのスペシャルステージが始まるッスーーー!!」
糸鋸の耳が痛くなる程の大音声が会場に響き渡った。糸鋸の言葉をきっかけに会場の照明が全て落とされ、大音量で流れるトノサマンのテーマが会場のボルテージを上げていく。暗闇の中で割れんばかりの拍手と歓声が湧き上がった瞬間、波琉はぐっと誰かに肩を引き寄せられた。甘いコロンの香りが鼻腔を擽る。
「ここを、抜け出さねぇか」
「え、あ、狼、捜査官……?」
頭上から降ってきた言葉に波琉の体が硬直する。
「ど、どういう意味で……」
「そのままの意味だ。退屈なこの会場から抜け出して2人で飲み直さねぇか?」
「いや、そんな、今日は御剣さんの記念パーティーなんですよ?……抜け出していいわけがないじゃないですか」
「誰にもバレやしねぇよ。全員、ステージに釘付けだからな」
無数のスポットライトがステージ上を明るく照らす。そこには暗転の中で登場していたトノサマンとヒメサマンがそれぞれのポーズを決めて立っていた。──狼の言うように、周りの視線は皆、トノサマン達に注がれている。
「どうする?」
「……っ」
至近距離で目と目がかち合う。炯々たる眼光に射られた波琉は狼の問いかけに答えることができなかった。それどころか、このまま連れ出してほしいとさえ──。いや、何を馬鹿げたことを考えている。脳裏に浮かんだ気持ちを波琉は瞬時に掻き消すが、この逡巡している時間を肯定と見なされてしまい、波琉の右手は狼の骨張った手によってするりと掴み取られてしまった。抵抗する間もなく、会場の後方へ向かう狼の足取りの速さに波琉はただついていく他なかった。慣れないヒールと暗闇のせいで蹴つまずかないように懸命に足を動かす。背後から再び大歓声が聞こえ、波琉は肩越しに振り返った。ステージでは今まさに華麗なるトノサマンショーが始まったばかり。ステージの前方でショーを楽しんでいるであろう御剣に波琉は心の中で詫びの言葉を入れる。──せっかく招待してくださったのに途中で抜けるようなことをして申し訳ない、と。
そうして2人は喧騒と闇に紛れて会場を抜け出し、ネオン煌めく街の中へと人知れず消えていった。
title by 花洩
20180914
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