※社会人設定
懐かしい恋を思い出している。
それは久しぶりに開いた高校の卒業アルバムに挟まっていた、渡せなかった──いや、渡さなかったラブレターを見つけてしまったからだ。
華の金曜日。毎週視聴しているドラマを見終わってホッと一息ついていると、唐突に携帯が短く震えた。ディスプレイには1件の新着メールが表示されていて、開いてみるとそれはかつてクラス委員を務めていた高校の友人からのメールだった。
《夜遅くにごめんね!突然だけどクラス会を開催しようと思ってて、この日程の中ならいつが都合良さそう?》
何でも仕事で海外出張中の同級生が来月末に一度帰ってくることになり、それならば久しぶりに元3組で集まろうとクラス会の話が持ち上がったらしい。波琉はテーブルに置いていた手帳を開くと、自分のスケジュールとクラス会の候補日を照らし合わせる。《この日とこの日なら都合つくよ!》とメールをすぐさま返すと、波琉は懐かしさのあまり本棚から高校の卒業アルバムを引っ張り出した。卒業以来開いたことがなかったアルバムをゆっくりと順を追ってページを捲る。そうして自身のクラス──3年3組のクラスページに辿り着くと、そこには1通の手紙が挟み込まれていた。封筒の真ん中には今よりも少し崩れた字体で書かれた『三井くんへ』という文字。それは一瞬にして波琉が心の奥底にしまい込んだ想いを目覚めさせた。渡さなかったラブレター、書いたことさえ今の今まで忘れていた。ああ、捨てていなかったのか。恐る恐る二つ折りにした便箋を取り出して中身を確認すると、便箋にはびっしりと想いが綴られていた。よくもまあ、こんな恥ずかしいことをつらつらと書けたものだと、波琉は過去の自分に敬意を示す。読み進めていく度に三井への想いと当時の甘酸っぱい記憶が蘇ってきた。
それは青春だった。目に見える全てのものがキラキラして見えた。これからの人生においてきっとこれ以上の恋を、ときめく胸の温かさを二度と経験しないだろうと思った──。
波琉は同じクラスでバスケットボール部に所属している三井に密かに好意を抱いていた。いつからその想いを持っていたのか分からない。けれど「インターハイに出て、全国制覇する」と闘志を燃やして宣言した三井の精悍な顔つきを見た瞬間、波琉は確かに三井への恋心をハッキリと自覚したのだった。2年のブランクを取り戻そうとがむしゃらにボールを追いかける姿を、三井の手から放たれるボールの美しい軌道を目にする度に波琉は急速に三井に惹かれていった。そこで、波琉はそんな想いを吐き出すような形で三井に宛ててラブレターを書いてみることにした。とめどなく溢れる想いを言葉にして便箋に乗せていく。しかし、思うままに書き綴ったものの、波琉はこのラブレターを渡す勇気を持つことができなかった。何故なら三井にはバスケットボールが一番だということは嫌という程分かっていたし、何より自分の想いを伝えて、三井との関係が壊れてしまうのが怖かった。どんな顔でどんな言葉で断られるのか、想像するだけで胸が痛んだ。張り裂けるような痛みを突きつけられるくらいなら、好きという気持ちは伝えずに綺麗な思い出として昇華させてしまおうと考えた。そうして波琉は三井宛てに書いたラブレターを手渡すことなく、そのまま高校を卒業した。
卒業して早数年。三井とは卒業と同時に連絡を取り合うことはなくなった。時折ふとした瞬間に思い出すも、三井の存在は確実に思い出になっていた、はずだったのに。
もし、良かったら返事をください──という言葉で締めくくられた、真っ直ぐすぎる純粋な想いを読み終えたところで波琉は手帳からボールペンを引き抜くと文末の言葉に赤色で二本の線を引いた。懐かしい甘酸っぱい記憶をもう一度しまいこむために。枠外に矢印を引っ張って、言葉を書き足す。──返事はいりません。この想いは思い出として大切に心の奥底にしまっておきます、と。
大きく息を吐き出して、ぐうっと上体を反らす。壁に掛かった時計はすでに午前0時を過ぎている。いつのまにかもうこんなに時間が経ってしまったのか、どうやら思い出に浸りすぎてしまったようだ。久々の3連休が待っているとはいえ、やることが山のように溜まっているのだ。朝から数々の課題を消化して、充実した休日を送ろうと心に誓いながら波琉は布団に潜り込むと、すぐに意識を手放した。──だが、波琉の思い描いていた休日は残念ながら現実とはならなかった。
カーテンの隙間から漏れる日差しに目が眩み、意識がゆっくりと浮上していく。ベッドの中でもぞもぞと体を動かしながら宮棚の上で充電していた携帯に手を伸ばす。ようやく掴み取った携帯のボタンを押してディスプレイを表示させると、そこには01:91の数字。──ん?あれ?波琉の意識はそこでバッチリと覚醒した。慌てて携帯の向きを変えると、時計は16:10から16:11に変わった。
「……やってしまった」
貴重な3連休の1日目をなんて無為に過ごしてしまったのか。波琉は慌ててベッドから起き上がると、一直線にキッチンへ向かう。水分補給をしようと冷蔵庫を開けると、ひんやりとした冷気が波琉の顔を直撃した。昨日の夕飯ですっからかんになった冷蔵庫を見て「ああ、ご飯……買ってこなくちゃ……」と独りごちながらペットボトルを取り出すと、勢い良く水を飲んだ。喉を潤して大きく息を吐き出すと、波琉は急いで身支度を整える。乱れた髪を直し、ラフな格好に着替えて、財布と携帯と鍵といった必要最低限のものをトートバッグに突っ込むと家を出た。
ついこの間まで蒸し蒸しとした茹だる暑さが続いていたのに今では涼しい風がやんわりと吹き抜け、すっかり秋の気配が充満している。秋だなあ、と閑静な住宅街をとぼとぼと歩いていく。やがて町内で比較的大きな公園の前に差しかかると、ガシャンと何かがぶつかる音が波琉の耳朶に触れた。高校時代、よく聞いていた馴染みのある音に波琉の足は止まる。つま先立ちをして木々の隙間から公園の中を覗いてみると、フェンスに囲まれたバスケットボールのハーフコートで誰かがシューティング練習をしているのが小さく見えた。波琉はその後ろ姿に惹かれるように、公園の中へ足を踏み入れる。今日の公園内は子供達の賑わう声がなく、やけに静かだ。コートには淡々とシューティング練習をしている男の人が1人。波琉はフェンス越しに彼のシューティングを眺めていた。鋭いドリブルからのジャンプシュート。右手から放たれたボールは美しく高い放物線を描き、ボードに当たることなくリングに吸いこまれていく。その華麗な一連の動作に感嘆の声が漏れる。彼と似ている、そう思った。ずっと好きだった三井の姿と目の前の彼の姿が重なる。そんなことあるはずがないのに。──不意に、コートに佇む彼がこちらを向いた。あまりにも凝視していたせいか、集中を乱してしまったのかもしれない。波琉は慌てて頭を下げ、そそくさとその場から立ち去ろうとする。
「あの!」
踵を返したところで呼び止められる。何処か聞き覚えのある声に波琉は反射的に足を止めてしまった。懐かしい──と波琉の胸が甘く疼く。
「……もしかして、神坂、か?」
金縛りにでもあったかのように、波琉はその場所から一歩たりとも動くことができなかった。何も考えることができず、ただただ近づいてくる足音をじっと聞いてる他なかった。もう一度「神坂?」と声をかけられて、波琉はゆっくりと振り返る。フェンスを隔てた向こう側に、少しだけ大人びた──でも高校の時と変わらない三井がいた。波琉は思わず目を細める。三井の端正な顔立ちが何故か、眩しく感じられたからだ。
「ひ、久しぶり、だね……三井くん」
「お、おう」
「元気そうで、何より」
「神坂の方こそ、って……あー、なんだ。立ち話もなんだし、良かったらこっち来るか?」
「え?」
「あ、いや、急ぎの用事があるんなら無理強いはしねぇけど」
「……大丈夫、だよ」
三井に誘われるようにして、波琉はハーフコートに足を踏み入れる。その瞬間、高校生に逆戻りしたような気分になった。こういう時に限って近所だからとラフな格好をした自分が恨めしかったが、波琉は三井と共にコート脇にあるベンチに座って、お互いに近況を話し合った。高校生の頃とは大きく違い、仕事中心の話題で会話が盛り上がる。なんだか変に大人になってしまったなあ、と波琉は深い感慨を覚えた。──秋の柔らかい風が2人の間を通り抜ける。
「……バスケット、続けてるんだね」
「まあな。働き出してからボールに触れる時間は少なくなっちまったけど、たまの休みの日はこうやってシューティング練習してるぜ」
三井は白い歯を見せてニイッと笑うと、ドリブルをしながら立ち上がって、再びコートの中へ入っていった。心地良いボールの弾む音、ゴールネットが揺れる音が鼓膜を揺らす。夢ではなく、目の前で三井がバスケットをしているという事実が波琉の胸を熱くさせた。スリーポイントラインの外側に立つ三井の姿に懐かしい思い出が次々と蘇ってくる。10代の、キラキラと輝く綺麗な思い出として心の奥底にしまっておこうと考えていたのに。とくりとくりと緩やかに鼓動が速くなっていく。
(ああ、やっぱり昔と変わらずに──)
「好き、だなあ」
今も昔も、三井のバスケットをしている姿が一番キラキラしていてかっこいいと思った。三井の手から放たれるボールの美しい軌道を目で追う。偶然にも出会えたこの奇跡の瞬間を、すっかり大人の男性になった三井の姿をしっかりと脳裏に刻もう。波琉は瞬きをすることも忘れ、三井の後ろ姿を見つめた。三井の得意なスリーポイントシュートが綺麗に決まったところを見届けた波琉はゆっくりと腰を上げて、未だゴールリングを見続けているコート上の三井に向かって声をかける。
「じゃあ、わたし……そろそろ行くね。夕飯の買い物しないといけないし」
そう言ってコートの出入り口に向かって歩き出そうとした瞬間、三井に強く呼び止められた。振り返ると、三井はどこか気まずそうな表情を浮かべている。
「あのさ、聞き間違いだったら悪りぃんだけど……神坂、オレのこと好き、だったのか?」
三井の口から零れ落ちた言葉に波琉は息が詰まる。どうして?声に出していた?自分の無意識の行動に波琉は頭を悩ませた。どう言い訳をしようかと必死に考えあぐねていると、三井の眉間に深い皺が寄った。どうなんだ、と急かしてくるような威圧感に顔を伏せ、視線を泳がす。散々迷ったあげく、波琉は観念して「うん、好きだったよ」と静かに白状した。『好き』ではなく、『好きだった』という過去形にしたのはせめてもの抵抗だ。しかし──いつまで経っても言葉を返してくれない三井の沈黙に心が痛む。やっぱり冗談とかなんとか言って誤魔化せば良かっただろうか、と波琉はもう一度言葉を紡いで取り繕う。
「あははは。まあ、昔の良き思い出といいますか」
「……違う」
「え?」
あまりにも小さい声を聞き取れず、思わず顔を上げると真剣な表情をした三井と目が合った。
一歩、三井が近づく。
「……オレは、違う。高校の時から今でも、好きだ」
「……え、ちょっと、何言って」
「神坂が好きだ」
「は。……嘘」
「嘘じゃねぇ」
もう一歩、三井が波琉に近づく。
手を伸ばせば触れてしまいそうな距離だ。
「なあ、今からでも遅くねぇか?」
「──!」
その言葉が、長い間波琉の心を堰き止めていた枷を壊した。思い出にしたはずの三井への想いが涙となって波琉の目から溢れ出す。泣き顔を見られたくなくて咄嗟に両手で顔を覆うと、その瞬間ぐっと手首を引っ張られた。不意な出来事に体が前につんのめって、そのまま三井にがっちりと抱きとめられる。──少し汗ばんだウェア越しに三井の体温と鼓動を感じる。
「オレと付き合ってくれ」
「……わたしに、彼氏がいたら、どうするの」
「あ?いんのか?」
「──いないけど」
「んだよ。ビビらせるなよな……」
焦ったような声に思わず笑みが零れる。こうしてすぐに焦ってしまうところも昔から変わらない。くすくすと肩を揺らして小さく笑っていると、両肩に手を置かれて少しだけ引き剥がされる。
「神坂」
だが──どことなくむず痒い、甘さを含んだ声と共に顎を掬われる。三井君、と名前を呼び切る前に波琉の声は掻き消されてしまった。
title by るるる
2018928(前サイトよりリメイク)
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