※『君が美しく笑ったせいだ』の続き
練習試合を一緒に観に行かないかと波琉を誘った翌日の放課後、洋平は早速高宮達に波琉のことを話した。バスケ部の話になり、その流れで一緒に練習試合を観ることになった──そう掻い摘んで説明すると、高宮達は目を丸くしながら「洋平が女の子を誘うなんて珍しい」と口を揃えた。物珍しさから波琉に興味を持った3人にあれやこれやと問いただされ、とうとう波琉が、聞かれてもずっとお茶を濁してきたラブレターの差出人だと知られてしまった。すると途端に3人は何か含みのある笑みを向けてきたが、波琉とは高宮達が思い描いているようなことは何もない。あの出来事をきっかけに『顔も名前もうろ覚えで全く印象になかったクラスメイト』から『知り合い』になっただけのこと。──そう言いながらも日曜日が近づくにつれて、洋平は心が浮つくような、ざわざわと騒めくような感じを抱くようになっていった。
日曜日──。のどかな昼下がり、洋平は湘北の正門前で1人落ち着かない様子で立っていた。自然と深い溜め息が零れ落ちる。待ち合わせの時間までもう少し。毎日学校で、教室で、波琉と顔を合わせているにもかかわらず、柄にもなく緊張しているのは休日に会うのは初めてだからだ。そう自分に言い聞かせながら、すぅ、はぁと軽く深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けていると「ごめんね、お待たせ……!」と少し焦った波琉の声が聞こえてきた。洋平は声が聞こえた方に顔を向ける。オレも今来たところ、なんて気の利いた言葉を口にしようとした瞬間、波琉の姿を捉えた洋平はその言葉を喉の奥まで飲み込んでしまった。心臓がとくりと音を立てる。今まで制服姿しか見たことのなかった波琉の私服姿。普段とはまた違った印象を受ける私服の鮮やかさにすっかり目を奪われてしまう。無意識にじっと波琉のことを見つめてしまっていたのか、戸惑いがちに自分の名前を呼ぶ声にハッと我に返る。
「あの、何か変……かな?」
頭を左右に振って、裾や足元を確認する波琉に洋平は慌てて手を振って否定する。
「違う違う!その、神坂さんの私服見たことなかったから……えっと、なんか新鮮だなって思って」
「そ、そっか……!なら、良かった」
「うん、」
「水戸くんも──」
波琉が口を開いた瞬間、車が洋平達の前を通り過ぎる。波琉が呟いた言葉は車の音に掻き消されてしまい、洋平は聞き逃してしまった。
「え?ごめん。聞こえなかった」
「な、なんでもない!あの、高宮くん達は……?」
「え、ああ、先に行ってギャラリーの場所取ってくるって」
「そっか!なら早く体育館に行こっ……!」
何故か急に慌てふためき始めると、波琉は足早に正門を通り抜けていく。結局、あやふやにされて波琉の呟いた言葉は分からずじまい。何と言ったんだろう?と洋平は僅かに首を傾けると、波琉の後を追うように学校の敷地に入っていった。ずんずんと先に行く波琉に小走りで追いついた洋平はちらりと横目で波琉の様子を窺う。少し俯き加減で歩く波琉の姿を見て、何処となくぎこちない雰囲気を感じた洋平は困ったように軽く頬を掻いた。
体育館ではすでに両チームのウォーミングアップが始められていた。ドリブルの音やシュートが入る音、外れる音──様々な音が反響している中、早足でコート脇を通ってギャラリーに上がると、ニヤニヤと含みのある表情をした高宮達に出迎えられた。またその含み笑いか、と高宮達の表情に洋平が思わず顔を顰めると、更に3人の口角が上がる。洋平は背後にいる波琉に聞こえないように小さく溜め息を零した。
「あー、神坂さん、コイツらが高宮と大楠と野間」
「初めまして。水戸くんと同じ7組の神坂波琉です、今日はよろしくお願いします」
緊張した面持ちの波琉に高宮達は「よろしくー」と声を揃えた。高宮達の気さくな声色に少しだけ強張っていた波琉の顔に普段の柔らかさが戻る。試合が始まるまでの間、5人で他愛もない会話を繰り広げていると、波琉との間に漂っていたぎこちなさもいつのまにか感じなくなっていて、洋平はホッと胸を撫で下ろした。
そして、始まりを告げる笛の音が鳴り響き、第1試合が始まった。序盤から白熱したゲーム展開に館内の温度が急激に上昇する。──スタメンで出場している花道が繰り出す好プレーに応援する熱が更に上がったり、珍プレーに対しては腹を抱えながら笑ってはヤジを入れたりと、普段通りに観戦していたが、洋平はあまり試合に集中することができなかった。何故なら、湘北がシュートを決めれば手を叩いて喜び、ビッグプレーが飛び出せば感嘆の声を漏らす。ころころと目まぐるしく表情を変える波琉の横顔に気がつけば視線を向けていたからだ。──レギュラー同士の試合から始まり、控え選手の試合、1年生同士の試合と、様々な組み合わせで何本も行われた練習試合はあっという間に時間が過ぎていった。
◇
「いやー、今日も花道のヤツ最高だったなあ!」
「波琉ちゃんはどうだったよ?」
高宮達3人に挟まれながら談笑している波琉の姿を、洋平は少し後ろを歩きながら眺める。 練習試合が終わる頃には波琉は高宮達ともすっかり打ち解けていて──それが嬉しくもあり、何処か面白くないとも思う。言葉にできないモヤモヤとした感情に心を支配されながらとぼとぼ歩いていると、あっという間に正門まで戻ってきた。
「今日はありがとうね。楽しかった!じゃあ、わたしは真っ直ぐ帰るからここで──」
「洋平、家まで送っててやれよ〜」
「え、でも……!」
「いいのいいの、洋平が波琉ちゃんを誘ったんだからな」
「ほらほら、2人とも行った行った」
シッシッと追い払うように手を前後に振る3人はニンマリとした笑顔を浮かべるや否や、くるりと踵を返して「じゃあな〜!」と勢い良く走り去っていってしまった。呆然としながら、小さくなっていく3人の背中を見つめていると、申し訳なさそうな表情の波琉に顔を覗き込まれた。
「水戸くん、ごめんね?……この後、高宮くん達と遊びに行くつもりだったんじゃない?」
「ああ、いや……今日は、夜からバイト入ってるし」
本当はバイトなんて入っていなかった。けれど、洋平は何を思ったのか、咄嗟に嘘をついてしまった。
「行こっか」
「うん、ありがとう」
「あー、そうだ。バスケット面白かった?」
「うん、すごく面白かった!」
「そっか、良かった」
頬を染めて、興奮気味に語る姿に洋平は口元を緩ませる。波琉の笑った顔をこれからも傍で見たいと思った。──傍で、見たい?ふと脳裏を過った想いに胸が詰まった。あの時と同じ感覚──。以前、一緒に学校から帰った時のことだった。波琉のさらさらした髪や僅かに赤みを帯びた柔らかそうな頬に触れたいと思わず胸の内から湧き上がった。なんて馬鹿な考えだと一蹴したものの、よくよく考えてみれば、親しい晴子を始めとする他の女子に対してはそんなことを一度も思わなかった。波琉にだけ抱く想い。その正体に洋平はようやく気がついた。ああ、そうか、だから高宮達と談笑している姿を見て、何処か面白くないとモヤモヤしたものが胸に広がったのか。心に引っかかっていたものが、すとんと落ちたような気がした。だが、彼女の告白を『今は誰かと付き合う気がない』と断ったのは自分で、その返答に対して彼女は『気持ちを伝えられて良かった』と言った。今更言ったところで何が変わるのだろうか。彼女がまだ自分を好きでいてくれている──そんな都合の良いことがあるのだろうか。深く深く考えている内に無意識に歩みを止めてしまったのか、波琉が「水戸くん、大丈夫?」と顔を覗き込んできた。心配そうにこちらを見つめる波琉に洋平は徐ろに口を開いた。
「神坂さん。今度の週末、空いてるかな?」
「うん?空いてるけど、」
「じゃあさ、遊びに行かない?──今度は、2人きりで」
「それって……」
何かを言いかけた波琉は口を噤むと、ゆっくりと洋平から目線を逸らした。
「──2人きりだなんて言われたら、わたし、その……勘違い、しちゃうよ?」
「いいよ、勘違いしても」
問いかけに即答すると、波琉が息を呑む音が聞こえた。驚きと困惑が複雑に溶け合った波琉の瞳がくるりと揺れた。
「神坂さんの告白断ったくせに何言ってるんだって思われるかもしれないんだけど──。オレ、いつのまにか神坂さんのことが気になってた」
それはきっと、あの時美しく笑いかけられたせいだ。全身に突き抜けた衝動を洋平は思い出す。
「……神坂さんのこと、好きに、なりました」
柄にもなく声が震える。なんてかっこ悪い告白の仕方なんだ、と洋平は思った。洋平の言葉に唇をきゅっと引き結んだ波琉が戸惑いがちに視線を彷徨わせる。ひりつくような長い沈黙に反して洋平の心臓はどんどん速くなり、煩くなっていく。波琉が次に発するのはどんな言葉か。固唾を飲んで波琉の動向に注目していると、やがて下を向いていた波琉の顔がゆっくり上がった。視線が交わり──目が細められる。
「……ありがとう、嬉しい」
花が綻ぶ。目の前に現れたそれは今まで見たどの笑みよりも美しかった。
title by 星食
20191104 - req boxより『君が美しく笑ったせいだ』の続編
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