溶けたアイスが手首を伝う。肘に向かって真っ直ぐに滑り落ちていく。ベタベタと腕に纏わりつくそれを早く拭わなければならないのに、波琉は洋平が放った言葉に意識を持っていかれてしまっていた。──いきなり、何を。波琉は唖然とする。理解の範疇を超えてしまい、洋平の顔をまじまじと見つめたまま固まっていると、洋平は表情を変えずにゆっくりと口を開いた。




夏休みに突入して、数日。朝からクーラーを効かせた部屋で悠々自適な生活を送っていた波琉は唐突に映画を観ようと思い立った。しかし、一歩外に出れば夏の陽射しが容赦なく襲いかかってくるし、今日の気温は今月の最高気温まで上がると朝のニュースでお天気お姉さんが言っていた。茹だるような暑さを想像して一瞬辟易したが、家に引きこもってばかりではいられないと波琉は思い切って家を飛び出し、駅前のレンタルビデオ店まで足を運んだ。以前から気になっていた映画を何本かレンタルし、映画鑑賞のお供にジュースとお菓子を買おうと店に隣接するコンビニに立ち寄った。扉を押し開けるとキンキンに冷えた風を一身に受ける。「涼しい……」と独りごちながら、店の中に立ち並ぶ棚に沿ってぐるりと歩いて一番奥に設置された飲み物コーナーに向かった。陳列されているジュースの中から何を飲もうかと棚の上からじっくり吟味していると、不意に誰かに名前を呼ばれた。声の聞こえた方に顔を向けると、目の前にはガッチリとリーゼントを決めた男の姿。

「──あ、水戸くん」
「よっ、久しぶり。こんなところで会うなんて奇遇だな」

そう言った洋平に対して、波琉の脳裏には確か洋平の家はここから遠かったような気がする……とぼんやりとした記憶が蘇る。わざわざここのコンビニに足を運ぶなんて少し珍しいなと思いながら、波琉は洋平と軽く立ち話をする。
水戸洋平は中学からの同級生だ。とはいえ、実際に中学3年間で同じクラスになったのは最初の1年だけで、それ以降──湘北に入った今も同じクラスになったことはない。クラスメイトだった中学1年の頃でさえも、近くの席になることも同じ班になることもなく、洋平とは接点らしい接点を持つことはなかったはずだが、何故かクラスが離れてからもこうしてたまに顔を合わせると話しかけられ、軽く会話をすることが過去に何度かあった。洋平は所謂不良と呼ばれるタイプの人間で、洋平が所属する『桜木軍団』もまた和光中学校区の総元締めとして非常に有名な不良グループだったが、波琉のような不良とは無縁の一般人に対しては物腰柔らかく──その雰囲気のおかげもあってか、波琉は話しかけられても洋平と臆することなく会話ができていた。
話し込んでいると、洋平が買い物かごを持っていることに気がつく。そこにはお茶やスポーツドリンク、ゼリーや塩飴といった、およそ洋平らしくない物が大量に詰め込まれていた。何かの買い出しだろうかと買い物かごを訝しげに見つめていると、波琉の視線に気づいた洋平が小さく笑った。

「今、学校の体育館で花道のシュート合宿してるんだけど、それの買い出しってわけ」
「……それにしてもすごい量だね」
「と思うだろ?これ、全部花道のなんだぜ」
「えっ」
「こうやって大量に買い込んでも一瞬で食われちまう。アイツのエネルギー消費量、ハンパないんだよな」

苦笑いする洋平につられて波琉も笑む。「買い出しも大変なんだね」と口にすると、洋平は何かを思いついたように僅かに目を見開く。

「あ、そうだ。ここで会ったのも何だし、一緒にアイスでも食べない?今日、すげー暑いしさ」
「え、でも……」

洋平の手にある買い物かごに再び目をやると、洋平は「ああ、」と笑う。

「多少の寄り道は大丈夫ってことで。……ま、オレのちょっとした息抜きに付き合ってよ、ね?」

洋平の誘いを無下にするわけにもいかず、波琉は二つ返事で了承した。アイスのワゴンを覗き込んだ波琉の目を引いたのは『夏季限定』の文字がパッケージに入ったアイスキャンディー。惹かれるように手を伸ばしてそれを選び取ると、洋平が「これで決まり?」と波琉の手元からアイスを掠め取っていった。

「あっ、悪いよ……!」
「いいっていいって。買い出しの分と一緒に買うから、神坂さんは気にしないで」
「……ありがとう」
「どういたしまして。って、厳密に言えばオレのお金じゃないんだけど」

洋平は笑いながら自分の分のアイスもかごに入れると、足早にレジへ向かっていく。その背中をボーッと見つめていたが、ここでようやく自分が何故コンビニに来たのかを思い出した波琉はジュースとスナック菓子を適当に選ぶと、洋平の後をすぐさま追いかけた。
会計を済ませた波琉は洋平と共にコンビニを出ると、喫煙コーナーに設置されたベンチに腰をおろす。再び夏の熱気に晒されて、全身が一瞬でじとりと汗ばんできた。

「はい、これ神坂さんの」
「ありがとう」

洋平から手渡されたアイスキャンディーの袋を早速開けて、中身を取り出す。アイスの先を一口齧ると、つんとした冷たさが口内に広がった。

「それ、美味しい?」
「うん、美味しいよ」
「そっか」

からからと笑って洋平はカップアイスをスプーンで掬い取り、口の中に放り込んだ。「冷てー」と満足げにアイスを食べる洋平に波琉は話題を投げかける。

「そういえば、水戸くんは今度のインターハイ観に行くの?」
「もちろん。なんだって花道の晴れ舞台だからな」
「へぇ、すごいなー。でも確かインターハイって広島でするんだよね?」
「うん。今、広島までの行き方を調べてるんだけどやっぱ広島って遠いよなー。今まで稼いだバイト代が一気に飛んでいきそう」

洋平の仲間である桜木花道のこと、湘北バスケ部のことを中心に他愛もない話をしていたが、不意に言葉が途切れて沈黙が訪れる。軽く会話をする仲と言っても、波琉と洋平は中高合わせた4年間でまだ1回しか同じクラスになっていないのだ。洋平の趣味も嗜好も波琉はよく知らない。知らないから──次にどんな言葉を繋いで会話を弾ませればいいのかも分からない。長引く沈黙に少しだけ居た堪れないなと思いながら、波琉はそっと目の前の景色に視線を移した。夏特有の鮮明な青空に薄い雲がちらほらと広がっている。そして、何処からともなくセミの声も聞こえる。きっと駅前に立ち並ぶ街路樹からだろう。ふっと止んだかと思えばまた一匹のセミが鳴き始め、呼応するかのように声が徐々に拡大していく。暑さで少しだけ柔らかくなったアイスキャンディーをしゃくり、と齧りながら、左右に流れていく人や車の動きを目で追っていると「神坂さん、」と洋平の柔らかな声が耳朶に触れた。最後の一口を齧ろうとしていた波琉はその動きを止めて、洋平の方を振り返る。──今まで見たことなかった洋平の真剣な表情が視界に入り、波琉の呼吸が一瞬止まる。射抜くような眼差しに、次第に心が落ち着きを失っていく。

「神坂さん」

もう一度名前を呼ばれて、波琉は無意識に居住まいを正した。

「ど、どうしたの……?」
「オレ、中学の時から神坂さんのこと好きなんだ」
「──へ?」

何とも間抜けな声が口から零れ落ちた。──溶けたアイスが手首を伝う。肘に向かって真っ直ぐに滑り落ちていく。ベタベタと腕に纏わりつくそれを早く拭わなければならないのに、波琉は洋平が放った言葉に意識を持っていかれてしまっていた。──いきなり、何を。波琉は唖然とする。接点なんてほとんどなかった。顔を合わせれば軽く会話をするくらいの仲。趣味も嗜好も互いに知らない。それが中学の頃から好きとは一体どういう風の吹き回しなのか。中学の頃の記憶をざっと思い返してみても、波琉には全く見当がつかなかった。理解の範疇を超えてしまい、洋平の顔をまじまじと見つめたまま固まっていると、洋平は表情を変えずにゆっくりと口を開いた。

「返事はすぐじゃなくてもいいから。ゆっくり考えてみてくれないかな?」

その声に、その表情に、波琉は反射的に首を縦に振っていた。そんな波琉の頷きに洋平は少しだけ表情を緩ませると、大きく息をついた。

「今までずっと言うタイミングを見計らってたんだけど──やっと言えた」


そしてきみはアイスを頬張りながら笑う



title by へそ
20191130 - 診断メーカーより『こんなお話いかがですか』

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