召喚に応じてくれたサーヴァントの中には通常の聖杯戦争の経験者が何人かいて、波琉は彼らと会話をしていく中で聖杯戦争のことや、朧げに──または強烈にサーヴァントの記録に残っているかつてのマスターのことを知り得る機会があった。
通常の聖杯戦争ではマスター一人に対してサーヴァント一騎、弱点となり得る真名を隠すためにサーヴァントはクラス名で呼ぶことが一般的とされているが、カルデアでは複数のサーヴァントと契約を結ぶことができるし、そのために秘匿されるべき真名は秘匿されず、波琉もサーヴァント同士でさえも真名で呼び合っていることが多い。そんなイレギュラーな環境にいるからか、波琉が聖杯戦争でのマスターとサーヴァントの関係に興味を惹かれたのは必然的なことだった。
一度でいいから通常の聖杯戦争のようにクラス名でサーヴァントを呼んでみたい、そんなささやかな願望が日毎に波琉の中で大きくなっていった。超がつく程の個人的な興味に「呼んだ?」と応えてくれるサーヴァントはいるだろうか?セイバーなら、ランサーなら、アサシンなら、と波琉はサーヴァント達の顔を頭の中に思い浮かべる。そして、アーチャーは……と考えた瞬間、真っ先に思い浮かんだ顔は数多くいる『アーチャー』の中でも波琉が密かに想い慕っているサーヴァントだった。
彼はまだマスターとして右も左も分からない頃に召喚に応じてカルデアに来てくれたサーヴァントだった。数々の聖杯戦争を経験してきたベテランの彼はその経験を生かして──先輩のように、または兄のように導いてくれた。時折、母親と見紛う程の甲斐甲斐しさに驚きもしたが、全幅の信頼を寄せるようになるまで然程時間はかからなかった。その信頼はいつしか憧れにも似た想いになり──やがて、それが大きく形を変えて胸の内に根付いたのは彼の霊基を限界まで引き上げた時のことだった。
「キミの信頼に応えよう」
そう言って、彼が笑んだのだ。いつも眉間に皺を寄せて難しい表情をしていることが多い彼の、まるで少年のようなあどけない笑みに一瞬にして心を奪われてしまった。「これからもよろしく頼む、マスター」と彼はすぐに表情を引き締めたが、垣間見せた屈託のない笑みは頭から離れることはなかった。──その瞬間から彼は波琉の《特別》な存在になった。だが、この《特別》な想いは口にしてはならない。何故なら波琉は彼だけのマスターではなく、また彼も波琉だけのサーヴァントではなかったからだ。
「……とはいえ、いの一番に反応してくれると、嬉しいなあ」
彼とはもうかれこれ長い付き合いだ。人理修復の旅を始めた頃と比べると契約したサーヴァントの数も随分と増え、必然的に彼と共にする時間は少し減ってしまったが、レイシフト前の最終調整をする際は必ず彼に協力を仰いだ。だから、本来の一対一の主従関係でなくとも『アーチャー』という特別な呼びかけに誰よりも早く彼が反応してくれたら──なんてことを願ってしまう。しかし、頭の中で何度シミュレーションしてみても想像の中の彼は呆れた表情しか浮かべてくれないし、口を開けば怪訝そうに「一体何を考えているのだね、マスター」としか言ってくれない。どうあがいても波琉の思うようにはなってくれなかった。──うん、やっぱり、そうなるよなあ。波琉の口から無意識に溜め息が零れ落ちた。
それでも、一か八か試してみるしかない。膨れ上がる想いを抑えきれなくなった波琉はとうとう実行に移す決意をした。思い立ったが吉日、波琉は昼食を終えてからずっとくつろいでいたマイルームを飛び出し、廊下を早足で歩いていた。彼がいる食堂が近づくにつれて、鼓動が高鳴っていく。たとえ彼が想像した通りの反応になったとしても、幸いアーチャークラスはノリのいいサーヴァント達が集まっている。扉の前で一度立ち止まった波琉は自分の戯言に付き合ってくれるであろうサーヴァントを指折り数え、そして大きく頷く。深呼吸を何度か繰り返して逸る鼓動を落ち着かせてから踏み入った食堂は、とっくに食事時を過ぎているものの歓談の場として未だ賑わっていた。サーヴァントやカルデアスタッフの笑い声に耳を傾けながら奥にあるキッチンをちらりと見やると、ブーディカとタマモキャットが忙しなく作業しているのが視界に入る。ここからでは姿を確認することができないが、彼も同じように作業していることだろう。よし、と両手をぐっと握りしめた波琉は短く息を吸い込み、そして声と共に吐き出す。
「アーチャー!」
自分が思っていた以上に響き渡った声に賑わいでいた食堂が一瞬にして静まり返り、色とりどりの瞳が一斉にこちらを向いた。
(……しまった)
驚きと困惑の色が滲んだ数多の視線に体の芯が冷えていくような感覚。冷や汗が背中を、つ、と伝う。誰も彼もが反応しない状況に波琉はとんだ誤算だ、と思った。重苦しい空気感にこの場を支配されていく。
「あっ、えっと……」
そのせいか、思うように言葉が出てくれない。実は……と真意を説明することも、改めて真名で呼び直すことも、なーんてと笑って誤魔化すこともできない。思わず唾を飲み込むと、喉がごくりと鳴った。居た堪れなくなって、一歩二歩と後退りした瞬間「どうしたのかね、マスター?」と背後から声をかけられた。程良く低い、耳馴染みの良い声。耳朶に触れたその声に驚いて勢いよく振り返ると、大量の食材を両腕で抱えた彼──エミヤの姿があった。
「エミヤ!?え、いや、その……」
「今しがた『アーチャー』と聞こえた気がしたのだが、私に何か用だろうか?」
「……え?」
波琉は思わず耳を疑ってしまった。いや、確かに『アーチャー』と叫んだ。エミヤがいの一番に反応してくれたら、と僅かな期待を込めて──。がつん、と頭を鈍器で殴られたような凄まじい衝撃が波琉を襲う。想像とは違う予期せぬ展開にひどく困惑した。これ程までにごく自然な反応をされるとは微塵にも思わなかった。思わなかったから──次にどうすればいいか、分からなくなる。
「ああ、そうか、今日の夕食のメニューを聞きに来たのか。今日は……」
丁寧に夕食のメニューを教えてくれるエミヤの声は残念ながら全く耳に入ってこない。先程の言葉が頭の中で繰り返され、凍りついたはずの体の芯が一気に熱くなっていくのを波琉は感じた。落ち着かせたはずの心臓が再び早鐘を打ち始める。
「な、なんでもないっ!」
エミヤの煤色をした瞳に見つめられることに耐えきれなくなった波琉は目線を足元に落とすと、反射的にエミヤの脇をくぐり抜けて、来た道を全速力で引き返す。
「マスター!廊下を走ってはいけないと何度言ったら……!」
さながら学校の先生のような声が廊下に反響する。しかし、波琉にはどくどくと体中を駆け巡る心臓の音の方が五月蝿くて、エミヤが何と言ったのかよく聞こえなかった。──ああ、本当に。
「これだから、エミヤは……っ!」
そう呟きながらも口角が自然と持ち上がってしまう。──きっと今のわたしは、とてつもなくひどい顔をしているに違いない。次々と出くわすカルデアスタッフ達に何事かと驚かれる中、波琉はぐっと奥歯を噛み締めて表情が崩れそうになるのを必死で堪えた。
寄せては返す波のように胸を去来し続けていたのは、驚きと気恥ずかしさと──そして、言いようのない嬉しさだった。
◇
マスターが逃げるように出て行った後、食堂内にはより深い静寂が満ちていた。目敏い者はマスターと赤い弓兵の短いやり取りだけで、何か察するものがあっただろうと、後方から事の顛末を眺めていた男は思った。しかし、当の弓兵は──未だ入口の前で固まっているところを見ると──自分の言動の重大さに誰よりも気づいていないように見て取れた。自分の言葉がマスターにとってどれ程の爆弾になったか、まるで分かっていないのか。同じくカルデア古参の一人である男は弓兵の背中を見て、小さく溜め息を零す。
「──」
男が独りごちたと同時に何処からともなく声が上がり、それを皮切りにして食堂は徐々に普段の喧騒を取り戻していく。男の言葉は誰の耳にも届くことはなかった。
title by 誰そ彼
20191225 - Thx.河童さん
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