「それでは、お化け屋敷の振り分けはこれで決定したいと思います」

文化祭実行委員の言葉にパチパチとまばらな拍手が鳴り響く中、波琉は黒板に書かれた『美術班』の下に続く自分の名前と『キャスト班』の下に続く仙道の名前を交互に見やり、同じ班にならなくて本当に良かったとホッと胸を撫で下ろした。


仙道は一般入試を受けて入学した波琉と違い、バスケ部の監督からスカウトされて陵南に入学してきた男だった。バスケ部以外の他の部にも推薦で入学してきた生徒はたくさんいたが、部活をサボったり遅刻したりとその大物ぶりが遺憾なく発揮されていたのは仙道くらいのもので、美術部に入部した波琉も監督からの命令で体育館からふらっといなくなってしまった仙道を必死に探す同級生の姿をよく目にすることがあった。だが、サボり癖や遅刻癖があるにもかかわらず、仙道はそのルックスの良さから同級生・上級生を問わずモテていた。廊下を歩けば黄色い声が上がり、ラブレターを貰うことも日常茶飯事。──なんで、あんなに人気なんだか。波琉は女子生徒に囲まれて、にへらと笑っている仙道のことをあまり好きにはなれなかった。
仙道に対してあまり良い印象を持たないまま2年生へと進級した波琉は何の因果か、仙道と同じクラスになってしまった。他の女子達が色めき立つ中で波琉は溜め息を零す。だが、クラスメイトといえど関わりを持つことはほぼ皆無に等しいだろう。仙道は今や学校中の注目を浴びる陵南バスケ部のエース、かたやこちらは平凡な美術部員。それに、こちらから積極的に話しかけようとは思わないからだ。仙道にとって、いたかどうかもあやふやなクラスメイトとして1年間を過ごすはずだったのに──。

「波琉ちゃん」

どういうわけか、ある日突然、波琉は仙道から話しかけられた。しかも、親しくなった覚えはないのに馴れ馴れしく『波琉ちゃん』と下の名前で。

「な、に?」
「さっきの授業のノート、貸してくれない?途中から板書できなくてさ」

そんなことならわざわざわたしに借りなくても、越野か隣の席の子に借りればいいのに──。そう言いたくなるのを波琉はぐっと堪える。

「波琉ちゃん?」
「え、ああ……」

机の中からノートを取り出すと「次からは越野か隣の子に借りてよね」とぼやきながら、少し押し付けるような形で仙道にノートを渡した。だが、そんな波琉の態度はあまり気にならなかったのか、仙道は「ありがとう、助かるよ」と笑みを浮かべて、悠々と自席へと戻っていった。──これをきっかけに、波琉は何かにつけて仙道から話しかけられるようになってしまった。百歩譲って会話はいい、適当にあしらえば済むことだ。しかし、下の名前で呼ばれることだけはどうしても我慢ならなかった。何度も何度も下の名前ではなく、名字呼びにして欲しいと注意しても、仙道は頑なに直そうとしなかった。

「いい加減、下の名前で呼ばないで欲しいんだけど」
「えー、呼びやすいのに」
「わたしが嫌なの。しかも、ちゃん付けなんて」
「あ、呼び捨ての方がいい?」
「そういうことじゃなくて!」

こういった堂々巡りのやり取りをしばらく続けているうちに、波琉はとうとう諦めの境地に至った。何を言ってものらりくらりと躱されてしまう。こちらのペースを掻き乱すのが上手い仙道に対して、ますます苦手意識を持つようになった。──だから、本当に班が一緒にならなくて良かったと心からそう思っている。


文化祭準備期間が始まると、放課後の校内はいつにも増して賑やかな声があちらこちらから聞こえてくるようになった。波琉は美術部員ということもあって、リーダーとして美術班のみんなを取りまとめていた。段ボールを繋ぎ合わせた大きなパネルを何枚か作り、絵の下書きをし、丁寧に塗装する──時間と労力をかけた渾身の美術セットや小道具が徐々に出来上がっていく。そうして着々と文化祭の準備が進められていき、準備期間も後半戦に差しかかった頃、衣装班とキャスト班が教室の後方に机の島を作って話し合いをしていた。塗装作業をしていた波琉の目に映ったのは、やはり周りより頭一つ分出ている仙道の姿だった。仙道はこの準備期間中で仲良くなったのか、衣装班のある女子と仲睦まじく会話を弾ませていた。
陵南高校には『文化祭ラブ』と呼ばれる──毎年、文化祭の準備期間から文化祭が終わるまでに必ずクラスの中で何組かのカップルが成立するという、ある種の魔法じみたものが存在している。このクラスではきっとあの2人がカップルとして成立するのかもしれないなあ、と漠然とした考えを巡らせたところで、ハッと我に返った。なんで仙道のことを考えているんだろう。波琉は気持ちを切り替えて、目の前の作業に集中する。──だが、仙道の談笑している声がやけに耳障りに聞こえて仕方がなかった。
やがて16時半を過ぎた辺りから軽音部や吹奏楽部、演劇部に所属しているクラスメイトが次々と部の稽古のために一旦作業を抜けていく。文化祭準備期間中は基本的に全ての部活動は休止となっているが、一部のクラブは部として発表する場が設けられているため、所属する生徒達はこの時間帯になるとそれぞれの練習場所に向かう。「練習頑張ってねー」と作業を抜けていく彼らを次々と見送っていると、気がつけば教室には波琉だけとなっていた。キャスト班と衣装班は15時過ぎから衣装合わせのために家庭科室へ移動して作業を行なっているし、小道具作成を担当している美術班も急遽追加で作ることになった小物や仕掛けのために近くのホームセンターまで買い出しに行っていた。ぽつんと静寂に包まれた教室とは裏腹に、隣の教室や窓の外のグラウンドからは騒がしい声が聞こえてくる。クラスのみんなでわいわいしながら作業をするのは楽しいが、美術部では1人でデッサンをしたり絵を描いたりする時間が多いため、こうして黙々と作業する方が波琉は集中がしやすかった。買い出し組が戻ってくるまでにキリのいいところまでは完成させておこうと、波琉は教室の入口に装飾する看板の塗装作業に取りかかり始めた。作業に集中していくにつれ、遠くから聞こえる賑やかな声も時計の秒針が動く音さえも気にならなくなっていく。まるで全神経が研ぎ澄まされていくような。集中力が極限まで高められようとしていたその瞬間──。

「あれ、波琉ちゃん1人?」

呑気な声色に波琉の集中力は一気に散漫してしまった。やけに耳につく声。このクラスで波琉のことを馴れ馴れしく下の名前で呼ぶ男子など、1人しかいない。ゆっくりと肩越しに振り返ると、衣装合わせで家庭科室にいるはずの仙道が入口から教室を覗き込んでいた。

「うん、そうだけど」
「そっか」
「あの、衣装合わせじゃ……」
「んー、そうなんだけど、ちょっと休憩に」

にへらと笑みを浮かべた仙道は真っ直ぐ波琉の元に向かっていき、すぐ隣に腰を下ろした。何故、わざわざ隣に来る、と波琉は無意識に眉根を寄せた。

「あ、そうだ。どっちかあげる」
「……え?」
「自販機で2本目当たったからさ」

目の前にすっと差し出されたのはスポドリと麦茶のペットボトルだった。一瞬戸惑ったものの、仙道のどうぞという声に押されて波琉は麦茶の方に手を伸ばした。

「……ありがとう」
「どういたしまして。これ、手伝おーか?」
「いや、これくらい大丈夫」
「遠慮しなくていいって。1人じゃ大変でしょ」

仙道は波琉の断りをさらりと受け流し、床に広げられていた設計図を手に取った。そうして鼻歌交じりにハケを動かし色を塗り始めた仙道の横顔を見て、波琉はやれやれと静かに息を吐く。

「……下書きの線から、はみ出さないでね」
「オーケー」

再び静寂な時間が訪れる。黙々と作業をしながら、波琉は時折仙道の様子を横目で窺っていた。意外にも丁寧に色が塗られていて、塗り残しもない。これなら修正を加えなくても大丈夫そうだ──。波琉は視線を外し、止めていた手を再び動かし始める。

「ねぇ、波琉ちゃん」

今まで黙っていた仙道が口を開いた。波琉は作業を続けながら「なに?」と簡単に返事を返す。

「──オレ、波琉ちゃんのこと好きなんだ」
「……はい?」
「だからオレと付き合ってくれない?」

思いがけない言葉に虚を衝かれた波琉は握っていたハケを思わず落としそうになった。何を訳の分からないことを、そう言おうとして口を開きかけたが仙道の顔を見た瞬間、波琉は一言も発することなく口を閉ざした。いつもの──にへらとした気の抜けた表情は見る影もなく、真剣そのものといった表情があった。見たことのない眼差しに心臓の鼓動が一度大きく跳ねた。いつものんびりとしている仙道もこんな真剣な表情ができるんだと頭の片隅で感心しつつも、じわじわと緊張の波が広がっていく。一体何がどうなっているのか、ショート寸前の頭で波琉は必死になって状況を整理した。いやいやこれは何かの間違いだ。そうだ、きっとそうだ。だから「何を馬鹿な冗談を」と軽く流してしまえばいい。そうすればいいのに、その言葉すら喉から出てこなかったのは、あまりにも真剣な眼差しに射抜かれていたからだ。

「……なん、で?」
「んー、分かんない」
「は、」
「だって、いつの間にか好きになってたから」

本気だと言わんばかりの熱を帯びる瞳にまじまじと見つめられる。その時間は一瞬とも永遠とも感じられた。

「あ!やっぱりここにいたか仙道!探したぞ!」

突然現れた越野の大音声が何とも言えない空気を引き裂いた。波琉はまるで金縛りがぱちんと解けたかのように意識を取り戻し、仙道から越野に視線を移した。助かった、波琉は仙道を探しに来た越野が救世主のように見えた。大きく息を吸い込んで吐き出す──そこで初めて、波琉は自分が息を止めていたことに気づいた。

「わりぃな、神坂。仙道が迷惑かけなかったか?」
「え、あ、うん……」
「ならいいんだけど……。ほら、仙道戻るぞ!」
「分かった分かった」

仙道は波琉が知っている普段の表情に戻っていた。ホッとしたのも束の間、「よっこいしょ」と腰を浮かした仙道と不意に目が合った。

「返事、待ってるから」

仙道は囁くように言って、口元に笑みを浮かべた。「じゃあ、またね」と間延びした声と涼しい顔で、仙道は何事もなかったかのように教室を出ていった。大きな嵐が過ぎ去る。どうしてこうも、こちらのペースを掻き乱してくるのか。再び教室に一人ぽつんと残された波琉は声にならない声を上げて、ひんやりとした教室の床に大の字で寝転んだ。天井の汚れを数えながら、ざわざわと落ち着かない心を必死に宥める。答えなど決まっている──はずなのに、初めて見た仙道の表情を忘れることができなかった。



title by 邂逅
20200519 - req boxより美術部員夢主設定で仙道さん夢

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