窓から差し込む光と吹き抜けるそよ風が心地良い放課後。わたしは教室で一人、自席に座っていた。
「──神坂ってさ、好きな奴、いんの?」
そんな声が聞こえて顔を上げると、さっきまでいなかったはずのクラスメイトの清田が椅子に逆さ座りしてこちらを見つめていた。なんで清田がここにいるの?と疑問を口にするものの、わたしを無視して清田は言葉を続ける。
「オレと、付き合ってくんねーか?」
さあっと強い風がわたし達の間を吹き抜けた。まるで時が止まったかのような感覚に陥る。真剣な眼差しを向ける清田がこちらに手を伸ばしてくる。やめてよ、とその手を払い退けたいのに、思いとは裏腹に体は金縛りにあったかのように動かすことができない。清田の少しかさついた指先が頬に触れ──。
突然、体に走った衝撃と痛み。何が起こったのかとパッと目蓋を持ち上げると、暗闇の中でぼんやりと浮かび上がる自分の部屋の天井が視界に広がっている。
「ゆ、め……?」
胸の内側から強く叩きつけられているような鼓動を感じながら、独りごちる。そうか、夢か。びっくりした──。何回か瞬きを繰り返して、波琉はゆっくりと体を起こす。寝る直前まであった全身の倦怠感はもうない。風邪薬が効いたのだろう。ふうっと一息ついて、宮棚に置いた時計で時間を確認すると午前三時を少し回ったところ。中途半端な時間に目覚めてしまったなと思いながら、波琉は再び布団に潜り込んだ。
とんでもなく、生々しい変な夢を見てしまった。教室を吹き抜けた風も頬に触れたアイツの指先の温かさも──。確かな熱を持ったリアルな夢。清田に告白される夢を見るなんて全く、笑えない。けれど、夢から覚めたにもかかわらず、まだ胸はドキドキと高鳴っている。下がったはずの熱がぶり返しそうな感覚に、波琉はぎゅっと目を瞑ると、脳裏にこびりついた清田の顔を必死に振り払った。
「波琉おはよー、もう大丈夫?」
「おはよ、もう元気だよー」
1日ぶりの学校。クラスは相変わらず朝から賑やかだ。波琉は友人から休んでいた授業分のノートを借りて自席に向かった。腰を下ろし、自分だけに聞こえるくらい小さく溜め息をつく。──結局、中途半端な時間に飛び起きた後、一睡もできなかったのだ。それもこれも清田のせいだと、まだ登校していない清田に向かって心の中で八つ当たりした波琉は、小さな欠伸を一つしてから筆記用具とノートを机の上に広げた。
「信長、おはよ!」
「おう!」
不意に聞こえてきた声にノートを写していた波琉の手が止まった。その瞬間、清田らしからぬあの表情が脳裏にフラッシュバックして不覚にも鼓動が跳ねる。顔は上げずに耳だけで清田の声を追う。清田はクラスメイトの会話に返事をしながら混ざっていく。教室後方で繰り広げられる会話。時折、清田の耳障りな癖のある笑い方が耳を劈いた。──波琉は清田のことがあまり好きではなかった。お調子者で、勉強はできなくて、いつも騒がしくて、子供っぽくて。入学当初からそんな印象を強く持っていたため、クラスメイトながらも今まで話をしたことはない。とはいえ、清田はクラスの人気者。知りたくなくても清田の噂や情報は自然と耳に入ってきた。
清田は意外と女子からモテる。特に上級生からの人気は絶大で、インターハイ出場が決まった翌日には「インターハイ頑張ってね!」と鞄やロッカーに収まりきらない程のプレゼントをもらっていた。しかもそれだけに留まらず、何度か告白もされたことがあるらしい。どうしてそこまでモテるのか、波琉には不思議で仕方がなかった。そりゃ、全国に名を轟かせる強豪・海南男子バスケ部に所属するだけじゃなくて、競争率の高いユニフォームを1年生ながらもらっていることは純粋にすごいと思う。けれど、やっぱり運動だけじゃなくて勉強もできて、落ち着いていて、大人っぽい男の人の方がいいに決まっている──。波琉が肩越しに後ろを向くと、大きく口を開けてガサツに笑う清田の姿がちょうど目に飛び込んできた。うん、全然かっこいいとは思えないし、理解できない。そう思いながらも清田の横顔に心臓が僅かに逸る。波琉はそれを変な夢を見てしまったせいだ、気の迷いだ、と自分に言い聞かせるように心の中で唱えて、再び手を動かす。しかし、知らず知らずのうちに清田の声にぼんやりと耳を傾けてしまっていた。
◇
『思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを』
本日最後の授業。夕方の日差しがちょうど窓から差し込む時間帯の古典の授業は睡魔との戦いだった。
「えー、この歌は小野小町が詠んだ歌です。三句切れになり──」
くわえて、おじいちゃん先生のゆったりとした口調も睡眠を助長させる。波琉は欠伸を噛み殺し、必死に目を瞬かせながら板書していった。
「──と、こういった現代語訳になります。ちなみにこの歌以外にも『夢』を詠んだ歌はたくさんありますが、この時代の『夢』は現代と捉え方が少し違い、夢に出てくる相手が自分を想っているという考え方がありました」
耳に入ってきた言葉に、睡魔と戦っていた頭が一瞬で覚醒する。シャーペンを持つ手に力が入ってボキッと芯が折れた。今、なんて……?波琉は思わず顔を上げる。『夢に出てくる相手が自分を想っている』その言葉だけがぐるぐると頭の中を駆け巡り、他の解説は右から左に全て流れていってしまった。
「うるせーーーっ!」
突如として響いた大音声に波琉は現実に引き戻された。一体、何事かと教室がしんと静まり返る。クラス全員が視線を注いだ先には、目をパチクリとさせて突っ立っている清田がいた。
「あれ?ゆ、夢……?」
「清田くん」
「……う、うっす」
「一体、どんな夢を見ていたのかな?」
「そ、それはー……」
先生に怒られる清田を見て、波琉はかっこ悪、と心の中で呟く──と、不意に清田の目がこちらを向いた。ハッと息を呑む。目が合ったような気がして、波琉は反射的に前へ向き直った。自意識過剰だと分かっていながらも、波琉は逸る心を押し鎮めるようにノートに視線を落とした。
放課後、波琉は教室で残りの板書を黙々と写していた。一人、また一人と下校していくクラスメイトを見送っているうちに、いつのまにか教室にいるのは波琉だけとなっていた。残りあと2ページ。ようやく終わりが見えてきた波琉はぐっと背筋を伸ばし、大きく息を吐き出した。
──窓から差し込む光とそよ風が心地良い。
静かだった廊下から何やらバタバタと足音が聞こえてきた。次の瞬間、扉が開かれ、練習着姿の清田が入ってきた。
「……っ!」
「おわっ!びっくりした……」
目を大きく見開いて清田は言う。波琉はびっくりしたのはこっちなんだけど、と思いながら会釈すると、清田もまた「どーも」と言いながら会釈を返してきた。
「あー、ちょっと、忘れ物を取りに」
そろそろと自分の席に向かう清田を目だけで見送った波琉は再びノートに視線を戻すと、シャーペンを走らせようとして──図らずも清田と2人きりになっている状況だということに気づく。一方的に気まずさを感じた波琉はノートを睨みつけながら、早く教室を出て部活に行ってくれないかなと強く念じた。
「……なあ、神坂」
呼ばれて、反射的に顔を上げると眼前に清田がいた。こちらに近づいてくる気配を感じ取れなかった波琉は驚きのあまり思わず体を引く。清田は何処か気まずそうな面持ちで人差し指で頬を掻いていた。
「一つ、聞きてーことあんだけど」
「え?」
清田は波琉の前の席の椅子を手前に引いて逆さ座りするや否や、ぐっと身を乗り出してきた。──この感覚を、風景を、知っている。昨日見た夢と現実が重なり合おうとしていた。
「な、に……?」
清田との距離感に、波琉はたじろぐ。
「お前ってさ、好きな奴いんの?」
「──っ、なにを、いきなり……」
「いいから、どうなんだよ」
清田のいつもと違う声色に波琉の反論は飲み込まれる。
「別にいない、けど……」
ただならぬ雰囲気に気圧され、戸惑いながらも答える。それを聞いた清田は「ふーん」と呟いて、そのまま口を噤んでしまった。2人の間に妙な沈黙が流れ始める。波琉はこんなことあるわけない、と思いながらも次にくる言葉を予想せずにはいられなかった。心拍数が上昇する。清田の伏せられていた目がふっと上がり、視線が再び交わった。
「オレと、その、付き合ってくんねーか?」
「え、は、」
「……神坂のこと、前からいいなーって思ってたんだよ」
前からっていつから?冗談でしょ?と、笑いながら言葉を返したいのに、清田の瞳がそれを許してくれない。清田もこんな顔をできるんだ、と波琉は思った。いや、もしかしたらバスケをしている時の清田はいつもこんな表情なのかもしれない──。今まで知ることのなかった清田の一面に波琉の心はざわめいていく。お調子者で、勉強はできなくて、いつも騒がしくて、子供っぽくて、耳障りな癖のある笑い方が苦手だったはずなのに。
「で、返事はどうなんだよ……」
「え、あ、その」
「うん」
「と、友達から、でいいですか……?」
真剣な表情をした清田を前に、これが精一杯の返事だった。
title by 誰そ彼
20201129
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