※スタクル全員生存
空条承太郎という人間は手を伸ばしても決して届かない星だった。
彼は飄々としていて、彫刻のような端正な顔立ちと日本人離れしたエメラルドグリーンの瞳を持つ、女子の憧れの的。そんな承太郎に波琉も高校1年生の頃から密かに想いを寄せていた。ただ、承太郎とは接点は全くなく、かっこいいなと遠くから見つめるだけの日々。それでも波琉は自分の片想いに満足していた。たとえ、承太郎に存在を認知されないまま高校を卒業したとしても、大人になった時に眩い星に恋い焦がれたことをふとした瞬間に思い出しては、好きだったなと懐かしむ。そうやっていつまでもキラキラと輝き続ける初恋として、この気持ちを心の中に置いておければ──。承太郎に恋をした瞬間からずっとそう考えていた波琉にとって、50日にも及ぶ旅はまるで夢のような出来事だった。
それは体調が優れず、医務室へ行こうと思い立ったことがきっかけだった。
階段を降りていると突然、とてつもない衝撃音が耳を劈いた。それは今向かおうとしている方角から聞こえたような気がして、波琉は急いで医務室へ向かった。医務室の扉がひしゃげて廊下に転がっているのが見える。一体何が起きているのか、開け放たれた入口から中の様子をそっと窺うと、そこには波琉の想像を遥かに超える異様な光景が広がっていた。ひゅっ、と喉が鳴る。だが、波琉は想い人である承太郎が他校の制服を着用している男子学生と向かい合っているのに驚いたわけでも、血を流して床に倒れている女医や不良達に驚いたわけでもなかった。──波琉には物心ついた頃から不思議な能力を持つイマジナリーフレンドがいた。ヒトのような造型をしているもののヒトではなく、自分以外には一切視認できない無口な《彼女》。その《彼女》と何処か似たような雰囲気を持つ《彼ら》が承太郎達の間で交戦していることに驚いたのだ。
「てめー、見えるのか」
承太郎に初めて声をかけられた瞬間、雷にでも打たれたかのような衝撃が体に走った。だが、承太郎の目には波琉に対する警戒心が宿っていて、先程戦っていた屈強な戦士が承太郎の傍らに現れる。波琉は承太郎に《彼》が見えていること、敵意が全くないことをしどろもどろになりながらも懸命に伝えると、いきなり「なら、てめーもついてこい」と言われてしまった。えっ、と戸惑う波琉を余所に承太郎は男子学生──花京院を肩に担いで、瓦礫の山を跨ぎ越していく。医務室は屈強な戦士の拳によって跡形も無く吹き飛ばされてしまった。破壊音を聞きつけた教師達の声がざわざわと聞こえ始めてくる。この状況を説明する言葉が上手く思いつかなかった波琉は言われた通り、承太郎について行くことを決めた。
その後、辿り着いた先はまさかの承太郎の家。そこで波琉は承太郎の祖父・ジョセフと彼の友人であるアヴドゥルから話を聞いているうちに、ずっとイマジナリーフレンドだと思っていた《彼女》が『スタンド』と呼ばれるものであることを知った。いつからスタンド能力があったのか、海外に渡航したことはあるか、DIOという男を知っているかなどとジョセフ達に矢継ぎ早に尋ねられ、状況が全く掴めないままあれよあれよと事が進み始める。──やがて、波琉は空条邸で朝を迎えた。鳥の囀りが聞こえるのどかな朝だと思ったのも束の間、承太郎の母・ホリィが突然の高熱で倒れてしまった。事態は急転、ホリィの命を救うためにはDIOを倒さなければならないと慌ただしくエジプトへ発つ準備をし始める承太郎達。そんな彼らの姿を目の当たりにした波琉は不思議な運命に導かれるように、エジプトへの旅に同行することとなった。
──だが、想像していた以上に旅は苦難の連続だった。東京からの飛行機の中でいきなり敵に襲われてしまいエジプト直通の飛行機は墜落、なんとか香港に降り立ったもののジョセフがチャーターした船はスタンドの襲撃に遭い大破、漂流していたところに運良く近づいて来た巨大貨物船に助けを求めて乗り込むも、その船自体がスタンドだったために再び漂流──と、DIOの放った刺客達が次々と現れては行く手を阻んできたのだ。
様々な国や地域を訪れながら、少しずつ旅にも慣れてきた頃だった。太陽の暗示を持つスタンドを倒し、広大な砂漠で野宿した時のこと。波琉はあまりの忙しなさに今まで思い出す暇もなかった──否、意識的に思い出そうとしなかった家族や友人といった『日常』を不意に思い出してしまい、眠れなくなってしまった。焚き火がパチパチと爆ぜる。その音に混ざってポルナレフのいびきが微かに聞こえてくる。寝返りをうって体勢を変えてみるものの、なかなか寝つけない。やがて、寝ることを諦めた波琉は寝袋の中から起き上がることにした。昼間と打って変わって夜の砂漠は冷える。波琉はブランケットに包まって焚き火の前に腰を下ろすと、糠星までハッキリ見える空を見るともなく見ていた。
「眠れねぇのか」
そんな声が聞こえてハッと顔を上げると、寝ていたはずの承太郎がすぐ傍に立っていた。
「あ、うん。ちょっと目が覚めちゃって」
「そうか」
「もしかして、起こしちゃった?」
「いや、俺も少し眠れなくてな。……スープでも飲むか、冷えるだろ」
「うん、ありがとう」
承太郎からマグカップを受け取ると、波琉はそっとスープを一口飲んだ。何度も飲んだことのあるインスタントのスープなのに、承太郎が作ってくれたというだけでいつもより美味しく感じられた。「美味しい」と言葉を零すと、マグカップを片手に煙草を咥えた承太郎が微かに笑みを浮かべて波琉の隣に座る。ふわりと漂う煙草の匂いに、不覚にも心臓が高鳴った。
「星が好きなのか?」
「え?」
「ずっと見てただろ」
「うん、あまり詳しくはないんだけどね。こんなにたくさんの星、東京じゃ見えないから……すごいなあと思って」
「そうだな、俺もここまでの星空を見るのは初めてだぜ」
東京から香港、シンガポールと様々な国を経由しながら旅してきたが、こうして承太郎とじっくり話すのは初めてかもしれない。焚き火がパチパチと爆ぜる。ここまでの道中や敵との戦いを通して、波琉は改めて承太郎に恋をしていた。家族を想い仲間を大切にし、卑怯な敵には容赦しない強い正義感と気高い精神の持ち主。強くて頼もしくて、そして優しい。スタンド能力を持っていなかったら、きっと承太郎の内面を知る由もなかっただろう。──波琉は言葉を紡ぎながら隣に座る承太郎を見つめる。焚き火の明かりで照らされた承太郎の顔はあまりにも美しくて、どうしようもなく胸が熱くなった。
エジプト入りした後も更なる強力なスタンド使いと戦う日々が続き──そうした長い旅路の果て、ついにDIOとの戦いに決着がついた。厳密に言えば波琉は攻撃を受けて戦闘不能になってしまい、意識を取り戻した時には少しマットレスが硬いベッドの上に横たわっていた。生きている、それが波琉の最初の感想だった。目だけを動かして、自分の腕に繋がっているであろう点滴袋に目を向けた波琉の胸に、達成感と一抹の寂しさが去来した。
比較的平和な日本で生まれ育ったために今まで感じることのなかった『死』を身近に感じ、常に神経を研ぎ澄ませていた50日間の旅。しかし、何も辛く苦しいことばかりではなかった。お茶目で気さくなジョセフ、性格は正反対だがとても頼りになる兄のようなアヴドゥルとポルナレフ、自由気ままで一匹狼のイギー、気兼ねなく話せる花京院とずっと憧れを抱いていた承太郎。彼らと出会い、行ったことのない異国を旅し、嬉しいことも楽しいことも分かち合った。──そして、承太郎の宝石のように美しい瞳に映してもらえたこと、みんなに倣って『承太郎くん』と名前を呼べたこと、『波琉』と下の名前で呼んでもらえたこと、ジョセフにこっそりと承太郎の幼少の話を聞かせてもらったこと、紫煙を燻らせている姿に何度も焦がれたこと。ああ、本当に、思い返せばキリがない──。視界がじんわりと滲み始める。日常に戻ってしまえば、承太郎との関わりはなくなる。だが、十分過ぎる程にできた思い出のおかげで、もう二度と承太郎と運命が交わらなくても生きていけると思った。高校を卒業し、社会人になり、やがて年老いたとしてもこの旅の記憶と承太郎への恋心は決して色褪せることはない。──波琉は窓の外に広がる美しい街並みを噛みしめるように眺めた。
それから数週間後。重傷を負って動けないアヴドゥルと花京院、イギーを病院に残して、それぞれの場所へ帰ることになった。落ち着いたらまたみんなで会おうと涙ながらにポルナレフと約束をして、波琉は承太郎とジョセフと共に日本行きの飛行機に搭乗した。──往路での妨害が嘘だったかのように何事もなく帰国し、空条邸でホリィの無事を一目確認した波琉は承太郎に家まで送ってもらっていた。2人の間に会話はなかったが、波琉は不思議と心地良さを感じていた。やがて、家の前に到着すると今まで口を閉ざしていた承太郎が徐ろに口を開いた。
「じゃあな」
「うん、送ってくれてありがとう」
波琉は、また学校で、という言葉は口にしなかった。明日からはまた、以前のように関わり合いのない関係に戻るのだから。承太郎は帽子の鍔に軽く指を置くと、くるりと踵を返す。波琉は少しずつ遠のいていく承太郎の背中をしばらく見つめてからゆっくりと門扉を開けて、懐かしい我が家へ足を踏み入れた。
SPW財団の手回しによって短期留学という名目で休学していた波琉を待っていたのは、時差ボケを治すことと急ピッチで授業内容に追いつくことだった。日々、倦怠感や疲労感と戦いながら今までの遅れを取り戻すのに精一杯で、旅の余韻に浸る余裕など波琉にはこれっぽっちもなかった。
ようやく時間にも精神的にもゆとりを持てるようになった頃だった。次の授業のために友人と共に別教室へ移動していると、波琉は廊下で取り巻きの女子達に囲まれている承太郎を見かけた。──そういえば、久しぶりに姿を見たかも。相変わらず、かっこいいなあ。旅の合間に交わした会話が不意に脳裏に浮かんで、ちくりと胸が痛んだ。承太郎は女子達に対してそろそろ堪忍袋の緒が切れそうになっている。元気そうで何よりだ、と心の中で呟きながら波琉は承太郎の前を通り過ぎた。もちろん、声はかけないし、向こうからかけられることもない。階段を下りる直前で「やかましい!」といつもの怒号が聞こえてくる。──その声に、日常に戻っていることを波琉は強く感じ取った。
その日の放課後、日直の仕事を済ませて学校を出た波琉は正門前で突然声をかけられた。ひどく懐かしい声にハッと顔を上げると、そこに花京院が立っていた。花京院の元気そうな姿に、涙が溢れそうになるのをぐっと堪えて波琉は口端に笑みを乗せる。
「典明くん!久しぶり……!」
「うん、久しぶり」
「こっちに戻ってきていたんだね」
「つい半月程前にこっちの病院に転院してきて、ようやく退院したんだ。……まだ、本調子ではないけどね」
そう言って花京院はおなかを摩る。ここで立ち話もなんだからと、波琉は花京院と共に駅前にあるカフェに立ち寄った。ここはエジプトへ向かっている間にできていた新しい店だった。店員に案内されて波琉と花京院は窓際の席に腰を下ろす。旅の間は基本的にDIOや敵のスタンドの話題ばかりだったために、2人はなんとも学生らしい他愛ない話で大いに花を咲かせた。──やがて、花京院が「ところで……」と話題を切り替える。
「承太郎とは話をしているのかい?」
「……ううん、エジプトから帰ってきてからは全然だよ。空条くんは相変わらず女の子達に囲まれてるからね」
「そうか……。だが、波琉はそれでいいのかい?」
「え?」
「承太郎のことが、好きなんだろう?」
秘めていた想いを言い当てられてドキッとした。支障が出ないようにと、旅の間は細心の注意を払っていたはずなのに──目敏い彼には気づかれてしまっていたか。波琉は観念したようにふうっと息をつくと、花京院を真っ直ぐ見た。
「うん、好きだよ」
「だったら──」
「別に、空条くんとどうにかなりたいって思ってたわけじゃあないの」
「どういうことだい?」
「ずっと遠くから見つめるだけで良いって思っていたのが、スタンド能力のおかげで空条くんと接点ができた。それから一緒に旅をして話をして……わたしは、もうこれ以上にないくらい満足してるんだよ」
波琉の言葉をじっと聞いていた花京院は切なげに目を細めた。
「僕は、君の恋が上手くいけばいいとずっと思っていたんだ」
「ありがとう、典明くん。その気持ちだけで十分だよ。だからさ、そんな顔しないでよ」
「……波琉」
「空条くんとの思い出だけで、わたしは生きていけるんだから」
◇
それから数日後の昼休み。一つの机を囲んで友人と共に昼食を取っていると、賑やかだった教室の空気が突然一変した。友人を始めとする女子達は色めき立ち、男子達は目を大きく見開いてひどく動揺していた。みんなの視線は一点に向いている。その視線を追うように後ろを振り返った矢先、呼吸が一瞬止まった。教室の入口になんとも言えない威圧感を全身から放っている承太郎が立っている。どうして、と波琉は驚きのあまり仰け反りそうになった。すると、入口に一番近い席の男子と目が合う。彼は緊張からか声を震わせながらこう言った。──神坂さん、JOJOが呼んでいるよ、と。
その瞬間、教室中の視線は承太郎から波琉へ集中した。背中に冷や汗が、つ、と流れ落ちるのを感じる。波琉は縫いつけられてしまったかのようにその場から一歩も動けなかった。呼吸音すらも聞こえない静寂が満ちた室内、一向に動き出さない波琉にとうとう痺れを切らした承太郎がずかずかと教室に足を踏み入れて、波琉の元へやって来る。抵抗する間もなく腕を掴まれた波琉はそのまま廊下に連れ出されてしまった。騒めきが徐々に広がっていき、肌を突き刺すような視線を次々と送られる。波琉はポッと出の女が空条くんと一緒にいてすみません、と心の中で謝り倒す。これは間違いなく、あとで取り巻きの女の子達にどやされる羽目になる。ハラハラと落ち着かない面持ちのまま、承太郎に連れてこられたのは屋上だった。
穏やかな風が吹き抜けているのに、波琉の心はちっとも穏やかではなかった。険しい顔をした承太郎が見下ろしてくる。逃げようにも逃げられない。圧倒されるその眼差しに、波琉は今まで出会った敵のスタンド使いの気持ちが少しだけ分かったような気がした。波琉は無意識に唾を飲み込む。昼休みのはずなのに、喧騒が全く耳に届いてこない。まるで自分達以外の時が全て止まってしまったかのように、校舎は異様な静けさに包まれていた。
「俺は、思い出だけで終わらせるつもりなんてねぇぜ」
鼓膜を震わせた承太郎の声。一瞬、波琉は承太郎が言った言葉の意味を理解できなかった。だが、じわじわと先日の花京院との会話を思い出して、ひどく動揺した。
「あの、空条、くん」
「日本に帰ってきてから、やけに他人行儀じゃあねぇか」
「うっ……それは、その──」
「これからも俺の傍にいてくれねぇか」
その言葉が波琉の胸を貫いた。──確かに、充足感があった。どうにかなりたいだなんて、微塵も思わなかった。思い出だけでこれから先もずっと生きていける、そう思っていたのに。
「波琉」
呼びかけに反応するよりも早く、腕を引っ張られてそのまま承太郎の胸に飛び込んだ。久しぶりに鼻腔を擽った煙草の匂いに胸が疼き始める。
「好きだ」
「──っ、承太郎、くん」
承太郎の抱きしめる力が強くなった。運命が再び交わろうとしている。──決して届かないと思っていた星に、わたしは、手を伸ばしてもいいのだろうか。
「で、返事はどうなんだ」
承太郎に催促された波琉は深く息を吸い込んで吐き出すと、覚悟を決める。顔を上げて、承太郎を見た。海よりも深いエメラルドグリーンの瞳と視線が交差する。
「……わたしも、好き。承太郎くんの傍に、いたいです」
波琉の返事に、承太郎は口端に笑みを乗せる。自分に向けられたその柔らかな表情に思わず見惚れていると、承太郎の顔が焦点が合わない程の距離までぐっと近づいてきた。
title by エナメル
20210118
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