愛おしい今日
※結婚済み
じぃっ、と旦那の外套の内ポケットから出てきたものを見つめる。これが例えばの話キャバクラの名刺とか、コンドームとかであればまだましだったのかもしれない。
だって、これって・・・私の指輪。
2年前に無くした私の、「彼」との婚約指輪。この内側に埋め込まれたダイヤモンドと、刻印はあの指輪に違いない。
「・・・なんで・・・」
「名前、お湯ご馳走様でした。」
がらり、と扉が開けられ入ってきた風呂上がりの夫。慌てて指輪を自分の胸の隙間に突っ込み、外套をハンガーにかける。
「あ、えっと・・・えへっ バスソルト入れておいたけどどうだった?」
「・・・なんですか、いつも以上にとっ散らかった顔をして。」
「とっ散らかった顔ってなに?!」
明らかに不自然な反応だったのは、間違いない私の顔を訝しげに見つめる彼の顔を、これ以上怪しまれないように目を逸らさず見つめ返す。
「そんなに見つめられると照れてしまうでおじゃるよ」
「え!?なんかラブラブ熱々の新婚さんっぽい!」
「・・・いや、嘘だけど。」
「うっ、一気に氷点下、冷たい家庭だ。・・・」
「いつものことでしょう。」
「ねー、子供欲しい・・・」
「何故このタイミングで言うんだろうかこの子は」
「だって・・・子供がいたら」
「いたら、なんです?」
「あー・・・・ううん、なんでもない!御飯作るね!」
私の旦那様とは、幻太郎とは、いつもこんな感じなのだが。急に、胸にある指輪の存在を思い出し、はたと言い留まってしまった。逃げるようにして部屋を出てきてしまい、そのまま台所には行かず自室に入り扉を閉めた。胸から指輪を取り出し、机の引き出しにしまった。
「・・・、どうしよう・・・どうしよう、やっぱり、私・・・」
幻太郎に、愛されてなんてないんだ。
【回想】
あぁ〜、大好き大好き!本当に大好きっ!彼のこと大好きなの!彼はね、とても知的で優しくて私の王子様なの。でもねでもね、とっても残念なことに彼は囚われの王子様なのです!あぁ、神様、なんて御無体な。彼にはなんの罪もないはずなのです!そんな彼を何故こんなところに閉じ籠めるのです?
「おっはよー!ダーリンっ!今日も一日頑張っていこうー!」
差し入れに持ってきたエクレアが入った箱、基、袋を掲げて病室に入ると栗毛色の髪をした端正な顔の青年が私の指定席に座っていた。
「もう夕方ではありませんか?日が傾いてますよ。」
「・・・ねぇ、ダーリンは?」
ベッドはもぬけの殻だ。
「ダーリン、と言うのがここの病室の主であると言うのならば、彼は今売店に行ってますよ。」
あまり私に興味がない、という顔を向けすぐに手元の本に目を落とした。なにこの人。
青年が座るその1人掛けソファは私が毎日座る場所・・・そこ、私の指定席なんですけど。
「退いて?」
「は?」
「そこ私の席」
「・・・名前も書いていらっしゃらないのに?ふふっ、失礼ですが、それは笑止千万。」
「なに、馬鹿にしてんの?」
失礼極まりない無礼男の開いた脚の間に膝を入れ込み、近づき、ソファの笠木に手を置き、顔を覗き込んだ。
眼鏡越し、冷たくこちらに向けられるこの眼は、敵意だ。つまり、こいつもまた・・・私のダーリンが好きなのだ。そうに違いない。
「もう一度言うね。退いて?」
フ、と目の前の彼は息を吐き本を閉じた。
・・・ふふん、私の彼への想いに勝てないと悟ったのか。
刹那。トン、と顎になにかがあたりくいっと上げられる。
冷たい、青年が持っている本の表紙だ。
「滑稽だ。」
掛けていたグラスコードがついた眼鏡が外され、首に下げられる。
「雌猫を取られまいとする盛りのついた雄猫のようですね貴女。」
「五月蝿い、私がそれだとしたら君は泥棒猫だよ」
一触即発、その瞬間春の訪れのような温かいオーラを纏いながら彼が帰ってきて「なんだ君たち、もうそんなに仲良くなったのか」とふわりと微笑んだ。
そうだ、幻太郎と私の出逢いは最悪だった。
【現在】
半開きの口を閉める気力もなく、ぼんやりとただお風呂の天井の水滴だけを無気力に見つめていた。
湯舟から上がる湯気はジャスミンの香りをさせていた。
あの指輪は、私が今は亡き彼に貰ったもの。忘れもしない、3年前。彼が亡くなる1年前のあの日。長い長い私の片想いがついに実り、彼からプロポーズを受けた。
嬉しかった。もう世界が私と彼の2人きりになったのではないかってくらい、時が止まったような感覚がしてただ私の速い鼓動と2人の息の音だけが病室で聴こえていた。
だから、私が彼をダーリンと呼んでいたのは伊達や酔狂ではなく本当に彼が私の未来の旦那様だったから。私は、それまで当時大学生だった。だから講義を受けその後に彼の病室に訪れていたので大体夕方とか夜に行くことになる。幻太郎は昼間に病室に訪れることが多かったので私たちはすれ違っていたのだ。ずっと話には聞いてはいたその友人が幻太郎だと知らずに、彼も彼でつい先日友人がプロポーズをしその日紹介される相手が私だと知らずに。(プロポーズしたことも伝えていなかったようで彼から伝えられた幻太郎の顔は鳩が豆鉄砲を食ったようだった)
【回想】
それからは、3人で過ごすことが多かった。最初はやっぱり、不仲だった。けれど、彼のことを大切な友人として接してくれている幻太郎を少しずつ受け入れるようになった。幻太郎も、だいぶ私に対して柔らかくなった気がした。
「・・・名前の気持ち、よく分かった。俺への想いはそんなものだったんでしょう。」
そんな矢先、私はあろうことか彼からもらった婚約指輪を無くしてしまったのだ。有り得ない、本当に、そんなの、絶対。だって肌身離さず身に付けてたのだもの。左手の薬指に、ずっとはめてある。外したことなんて貰ってから一度もない。病院のロビーでうたた寝し、目覚めるとなかった。もしかしたら盗まれたのかもしれない、その可能性はあるけれど、とにかく家から病院までの道を必死になって探した。朝大学に行く前にはちゃんとあったのだ。それは確か。
でも・・・ないんだ。それは紛れも無い事実で。その事実を伝えると、彼からはそのようにぴしゃりと伝えられてしまった。
それでも私は諦められなかった。だからこそ、探して探して、それから気づく。もしかしたら病院敷地内の池の中かもしれないと。何故なら、その日私は池の中で亀を探していたからだ。
べつに暇を持て余していたわけではない。病院に来ていた女の子が家で飼っていた亀を兄と喧嘩した際に池に放流されてしまったのだという。
その亀はなんと甲羅にハート形が入っているそうで、私はその女の子のために池さらいをしていたわけであった。亀自体は30分で見つかった。それからへとへとになって病院のロビーで寝ていたのだ。
亀は網で掬いながら見つけられたが、指輪は小さいのでそうもいかない。服が濡れるのなんてかまやしないと、11月の冷たい池に入り必死に指輪を探した。約2時間池に浸かりずっと探していた。日が落ちれば完全に分からなくなる。冷たい、寒い、でも指輪だけはなんとか見つけなければと必死だった。
急に腕を掴まれて振り向くと、幻太郎だった。
「はぁ、聞こえてなかったか。ずっと呼んでたのに私まで濡れ鼠だ。」
「うっ・・・はっ、・・・どうしようっ・・・」
「とにかく、一度上がりますよ。この水の冷たさは死ぬ」
「・・・指輪、ないの・・・ねぇ、幻太郎・・・私」
私の言葉を無視し池から引き摺り出した幻太郎はそのまま病院の患者用のシャワールームに引っ張っていき服もそのままに私にお湯をかけた。相当身体が冷えていたのだろう、多分私はそれまで意識が朦朧としていたらしい。身体が温められるに従って、視界が鮮明になっていくのが分かった。
シャワールームに無断で駆け込んだ私たちを追ってきた看護師に事情を説明し、ついでに服を貸して欲しいと説明する幻太郎に頷き看護師はシャワールームを飛び出し、再び私たち2人だけになった。
「幻太郎、私・・・婚約指輪無くしちゃった。どうしよう・・・どうしよう、彼に嫌われちゃったっ・・・!」
「名前」
シャワーが床を打つ音が響く、その床にへたり込む私を抱きしめる幻太郎の方がなぜか苦しそうだった。
「名前、貴女が好きです・・・俺のものになってください。」
いつもだったら、きっと殴り飛ばして、なにを言うんだと罵倒していたと思う。けれど、幻太郎の気持ちはきっと本当だと思ったし、それに、もう彼とは元通りになれないと分かっていた。彼の、あの表情と声のトーンは・・・もう絶対に。
だから私は頷いてしまった。
【現在】
「幻太郎・・・私のこと、好き?」
吹き出しはしなかったが、飲んでいた緑茶が気管に入り噎せこんだ。この原稿を濡らすまいとなんとか吹き出すのだけは絶対にいけないと堪えた結果だ。
今日の名前は、なんだかおかしい。
「・・・えぇ、まぁ。あの時の言葉に嘘はありませんし、今でも・・・けほっ、愛してますよ。」
普段言い慣れない言葉に喉元がむず痒くなる。
「・・・ほんと?」
「・・・なんですか、急に。」
そこで思い出す。夕食前に妻が子供を欲しがっていたことに。・・・そういうことだろうか。
俺も欲しいし、彼女が望むのならばこの原稿を死ぬ気で書き上げ今夜にでも・・・。
ことり、と机に指輪が置かれる。一瞬、離婚を切り出されるのかとも思ったが、事態はより深刻な事実を告げていた。
「・・・見つけたんだな」
「幻太郎、彼から私のこと・・・託されたんでしょう」
【回想】
「俺はもう長くない」
彼は、窓の外を見ながらそう呟いた。
「笑えない冗談だ。」
「・・・冗談じゃないよ幻太郎。」
こちらに振り向いた彼の表情はどこか自嘲的で、けれど、だからこそ、あぁ、そうか、確かに冗談の顔ではないと悟った。
「名前のことはどうするんだ、結婚するんだろう」
「あぁ、・・・したかったなぁ、好きなんだよ。どうしようもなく。」
分かるよ、その気持ちは。
だって、俺もだから。なんて、絶対に言えないけれど。
「だからこそ、あいつを未亡人になんてしたくないんだよ」
「・・・未亡人ってキャラでもなさそうだしね。」
「ははっ、たしかに!・・・だからさ、幻太郎・・・あいつのこと、貰ってやって?」
「・・・は?!」
思わず彼のことを二度見した。なにを、言いだすんだ、と。
「幻太郎、名前のこと好きだろ」
「そ、んなわけないだろ!君の婚約者だ!それに彼女は君が好きじゃないか・・・」
そうだ、俺にこの2人の間に入る余地なんてない。
だから、会う度に彼女に惹かれてしまっていっても心を殺していたというのに。
「・・・幻太郎とも長い付き合いだし、分かるよ。俺と同じで、本気で名前を好いている。」
「ごめん・・・すまない、本当に・・・」
「ううん、だからこそお前になら彼女を託せられる。」
【現在】
「確かに、あの時俺は彼のシナリオ通りに君から指輪を奪って、あの展開にした。」
指輪を指先で転がしながら、幻太郎は少し悲しそうな表情を浮かべてあの時の本当の話を語った。
「・・・ごめんね、彼のお願い聞いてくれて。私を・・・貴方の人生を犠牲にしてまで。」
「名前、聞きなさい」
「・・・ふっ、ううっ・・・わたしっ」
「名前、俺のこと好きですか?」
「・・・・・げん、たろう・・・?」
「俺は、彼からのお願いをされなくても いずれ貴女を彼から奪っていたと思います。だって、苦しかった。愛していた、貴女が彼のもので、彼のことを心底愛していたことも分かりきっていたから。それでも、貴女が俺の横にいる生活を空想した。抱きしめて、口付けをして、一緒に眠る生活を、この生活をできたら、どんなに幸せだろうと思った。・・・そして、今実際、幸せなんだ。」
好きだと、言って欲しい。
それは、さっき私が、望んだこと。それを今彼が強く望んでいる。
幻太郎が、どんな想いで私に結婚指輪を渡したのかなんて、プロポーズされたとききっと3割しか分かってなかった。でもやっと、分かった。きっと、悩んでた、苦しんでた、覚悟してた。
だから、きっとこの指輪もずっとあそこに入ってたのでしょう。
「貴方が好き」
明日は、分からないかもしれないけれど。・・・
けれど、確実に今、私は貴方が好き。
「(ううん、きっと、明日はもっと貴方を好きになる)」