もう私はひとりぼっちなので、鬼に喰われてこようと思います


ああ。私の生命が溢れていく。

私の体から出たばかりで、生暖かな”それ”が参道を伝い石段に広がっていく。

どくん、どくんと脈打つ心臓。
その激しさに合わせたかのように、血管が存在を主張している。

“その異形”は、境内の本殿を背に立っていた。


「(鬼だ────)」


人にはありえない大きく立派な体躯、額から生えているツノ、深く歪められた口元。
鋭く尖った指先から、血が滴っていた。

“その異形”は──”鬼”は、おもむろに手を顔の近くまで上げると、指から滴る血をゆっくりと舌で拭いとった。


「(やはり、私はここで死ぬのか…)」


段々と呼吸が浅く、早くなっていくのがわかる。
指先一本までも動かすことができない。

“鬼”の手で貫かれた脇腹が、燃えるように熱い。
最期だから、と村の人々に着せられた綺麗な着物がどんどんと朱に染まっていくのがわかる。

こうなることは、わかっていたのに…、目前に迫った死への恐怖に震えが止まらない。






ひと月前、その”鬼”は突然私の住む村へとやってきた。

一人、二人と、次々と喰われていく村人たち。
立ち向かう大人たちは、皆殺され喰われた。

捕食される恐怖に怯える村人たちに向けて、”鬼”はこう持ちかけた。


──ひと月に一人、12に満たない女子をよこせ。

──村はずれの神社、満月の晩だ。

──渡さなければ、すぐにこの村全員を喰らう。

──これは契約だ。


次の満月までは、ちょうどひと月ほどだった。
連日、村の大人たちは話し合いを重ねた。

村の12歳に満たない子供は、8人。
そのうち10を越えた子供は二人───ちょうど10歳になったばかりの私と、村長の11歳になる娘だけだった。

そして…私の両親は、”鬼”がこの村にやってきたその日に…喰われてしまった。

身寄りのない娘か、村長の娘か。どちらが生贄にふさわしいか。

連夜話し合いは行われていたが、結論など、見誤りようがなかった。


「…私が、いきます…。」


自らそう口にするまで、時間は掛からなかった。
みっともなく震えた声で伝えた言葉。

「申し訳ない」「こんな子供を」、そう口にする大人たちの口は緩んでいた。

だが誰も、私が生贄になることを反対などしなかった。

もう無条件に私を愛してくれる人はいないのだと、痛いほど知った。
痛む胸を抑えようと握った拳から、血が垂れた。




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私は、きっとここで死ぬのだろう。

血が止まらない。生命が溢れていく。

でもせめて…一つ年下のあの娘が…この痛くて苦しい思いを経験するのを、例えひと月だけでも、伸ばすことができたのだとしたら。
もう、生きていた意味があったと思ってもいいんじゃないのか。

腹を貫かれた衝撃で石段ギリギリまで吹っ飛ばされた私の元へと、“鬼”が静かに近寄ってくる。

ああ、視界もぼやけてきた…。

体がすごく寒い…。寒いなあ…。
お日様の下で温まりたい…。

覆いかぶさってくる大きな影(おに)。


「(最後に…太陽の…もとに…)」


真上から降り注ぐ月光により、より大きくなった鬼の影が眼前を覆う。


「(いきた…かった…)」


目の前が真っ黒に塗りつぶされる。


お父さん、お母さん、もうすぐ会えるね───


優しかったお母さん。柔らかく笑って抱きしめてくれるのが大好きだった。
厳しいけど私には甘かったお父さん。大きな肩の上に乗って、走ってもらうのが好きだった。

たった10年だけど、お父さんとお母さんと過ごした日々が脳裏を駆け抜けていく。


-

——


『村外れの神社にはね、神さまが居るのよ』

『かみさま?』


膝の上から見上げたお母さんが、柔らかく微笑んでいる。

その優しい微笑みが大好きだった。


『そう。女神さまよ。』


お母さんの隣に座る、お父さんが大きな手を私の頭に乗せてやや乱暴に手を動かす。

まだ小さかった私にとって、右に左に頭を揺られるその動きは目が回るから嫌だったけど、胸の奥はいつもくすぐったかった。


『太陽を司る女神さまだぞ。』

『太陽の女神さま!すごい〜!』


体を揺らして笑う私と、穏やかに微笑むお母さんを抱きしめるお父さん。


『忘れないで。神さまはどんな時でもあなたのことを見ているわ。』


誰かが笑うのをやめても誰かが笑って。くっついていた体から笑いが伝わって。
いつまでも、三人で笑い続けていた。


——

-


本堂の奥、明かりがないはずのそこから、わずかに漏れる光。

そうか…ここには、神さまがいるんだっけ。
太陽の、神さま。女神さま。


「(あたたかい…)」


温かさに包まれるように、重たくなった瞼を閉じた。

夜のはずなのに、今度は真っ白な闇が広がっていく。
急速に世界が遠くなっていくのを感じた。




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『珍しい人の子。』


誰の声だろう。女の人の声だ。

凛とした、透き通るような声。
安心するけど、この人に従いたくなる静かな圧力を感じる。


『鏡のような心。穢れを感じない。』


女性の手が、お腹の上をなぞったような気配がする。

ちょうど”鬼”に貫かれた辺りだ。
焼けるような熱さとは違った、じんわりと広がる温度。


『…ここで終わるのには、惜しい。…お主に使命を与えよう。』


目を開けているはずなのに、眩しすぎて何も見ることができない。

また女性の手が移動し、私の額へと静かに指が置かれる。


『その身をもって、”鬼”から世を照らせ。』


光が広がる。まるで太陽の光が差し込むように。
白に包まれて、何も見えなくなる。

あたたかい…。日向ぼっこをしているような心地よさ──




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木目が、見える。
いつの間にか寝かされていた布団から、頭を動かして周りを観察する。

小さな文机と書棚だけが置かれた、こじんまりとした和室。

町外れの神社で”鬼”に襲われていたはずなのに、気づけばどこかの家の布団の中。
部屋の窓から差し込む日を見るに、もう正午は過ぎていそうだ。


「(…?お腹…、痛くない?)」


慌てて体を起こして自らのお腹に触れるが、”鬼”に貫かれたはずの傷がない。

あんなに死を身近に感じていたのに、何もなかったかのようだ。


「…なにも、なかった…?」


何にもなかった訳ない。

体から流れ出た血液の生暖かさ。
貫かれたお腹の焼けるような暑さ。体の末端から登ってくる痛いほどの冷たさ。
徐々に狭くなる視界。

逃れられない死の恐怖。
それが、全部、無かっただなんて。

血の跡が少しもない浴衣に、頭が混乱する。
腰紐を解き、浴衣をはだけさせてお腹へと視線を落とす。


「(傷跡…は、あるけど…傷は塞がっている)」

「!」

「…わ、わああ!!」

「え。」


部屋の襖が開いていて、黒髪と宍色の髪の少年が二人、部屋の入り口に立っていた。

どちらも大きくて凛々しい瞳を、見開いている。
顔から耳まで熟れた林檎のように真っ赤にして。


「…っへ、あ!!」

「…す、すまない。」

「…わ、悪い!」


思わず呆けてしまったけれど、大きく前を開けていた浴衣を慌てて重ね合せる。

顔に熱が集中しているのが、自分でもわかった。


「(み、見られてしまった…、)」

「目が覚めたか。」


カタリ、と部屋の入り口にまた誰かが立った音がする。

低く響く静かな声に、ゆっくりと視線を上げた。
先ほどの少年二人の背後に、天狗の仮面を被った男性が立っている。


「…なにをしている、お前たち。」

「「…!」」


私と同じく顔を真っ赤に染めた黒髪の少年と宍色の髪の少年が、激しく硬直した。

完全に私のせいだけど…言えない…、私が不用意に肌を晒したせいです。なんて、恥ずかしくて言えない…。


「とりあえず、中に入れ。」

「「はい…。」」


背中を丸めて、気まずそうに部屋に入ってくる二人。

なんだかその姿に、口元が緩んでしまった。


2019.11.08



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