アリスのためいき



01


「お兄様は、るいのことが好きなんですわ」

レティシアの唐突な発言に、るいは目が丸くなった。

お泊り会をしよう、との提案があり遊びに来たレティシア邸は何から何まで至れり尽くせりだ。昼からたくさんクロージーを楽しんで、レティシアのコレクションを見せてもらって、お互いのアリスたちを交換して着せ替えたり、とにかく楽しい時間を過ごした。

そしてこれが本日最後にして最高の楽しみとでも言わんばかりのレティシアの目の輝きに、るいはほんのり圧倒された。

「もちろん、私への愛情とあなたへの愛情は違うものですわ」
「いや、あの、待って…レティシア」

突然何の話?と思ったが、レティシアはとても真剣だった。真剣に、大真面目に、兄の恋を応援する妹の目をしていた。

少し前からソワソワしていたのには気付いていたが、どうやらメイドたちが出払うのを待っていたらしい。助け舟を求めて部屋の入り口を見ると、そこにはすでにメイド達はいなかった。

「るいはどうなんですの? お兄様のことはお嫌い?」
「え、いや、もちろん嫌いではないけど……グレンをそういう目で見たことは……」

ないかな、という言葉は、きらきら輝くレティシアの瞳を見てしまうと、最早音にはならなかった。レティシアは前のめりに、そして、熱っぽくため息をついた。

「わたくし、お姉様になる方は…るいのような方だったら嬉しい、と……」
「レティシア…」
「それとも、るいは私の事がお嫌い…?」
「そ、!」

子ウサギのような潤んだ瞳で見つめられ、るいは鼓動の速さを感じた。可愛い。レティシアを抱きしめて、そのままベッドに倒れ込む。

「そんなわけないでしょー…!私もレティシアみたいな妹が欲しいに決まってるでしょ〜〜!!」
「わ、ひゃぁ、るい…くすぐったいですわ〜〜」

そうしてひとしきりレティシアと戯れると、笑い疲れてしまう。ベッドに寝転がったままでいると、レティシアがるいの顔を覗き込んできた。

「るい、お兄様と結婚して下さいますか?」
「う、うーん?それとこれとは…別問題なような…」
「るいには、誰か想い人がいらっしゃるんですの?」

レティシアの疑問は、るいの心を針先で突いた。特にいない、と言ってしまうのは簡単だが、そうするとまた同じ会話を最初から巡る気がした。少し卑怯かと思ったが、るいは強制的に話を区切ることにする。

「レティシア、ごめん、ちょっとお手洗い借りていいかな?」
「えぇ、もちろん構いませんわ。場所はおわかりですの?」

うん、と返事をしてベッドから飛び降りる。アリスたちが反応したが、お手洗いに行くだけなので片手で彼女たちを制して、るいはそっとレティシアの部屋を出た。

「…ふぅ」

そっと、溜息をつく。そして、手洗い場へ向かって歩き出す。

グレンのことは嫌いではない。彼のアリスたちに対する愛情は尊敬に値するし、複数のアリスオーナーでありながらすべてのアリスに平等に愛情を注ぐ姿勢は本当に素晴らしいと思う。もちろんレティシアの気持ちも嬉しい。

ただ、急に異性としてして見れるか?と問われても、今まで想像していなかった状況であるため、返答に窮する。

ならば想像してみようかと思うが、

「玉の輿、ってやつかな?…貴族だもんね」

行き着く答えはせいぜいそんな程度である。うーん、急に貴族の妻にはなれないなぁ、と苦笑していると、目の前に突然大きな影が現れた。

「わ!?」
「おっ、…と」

驚いて飛び退こうとして、バランスを崩す。後ろの壁にぶつかると思い身構えたが、壁にぶつかることはなく、現れた大きな影に体を支えられた。

「とと…ごめんなさい、前見てなくて…」
「なんだ、下僕のるいじゃないか」

聞こえてきたのはグレンの声だった。るいははっと頭上を見上げる。そこには夜着に身を包んだグレンが、ワインのボトルを片手に立っていた。いつもの帽子を外し、結った髪をほどくと別人のような印象だ。いや、人どころか艶っぽい輝きを帯びた美しい髪と瞳の精巧なバランスが、天使や精霊のようにさえ思える。あまり考えたことはなかったが、グレンはるいが今まで会ってきた男性の中でも抜きん出て美青年だ。るいの腕を掴んだグレンは、そっと手を離すと、にこりと笑顔になった。

「はっはっは、冗談だ。どうしたのだ?喉でも乾いたのか?」
「ううん、ちょっとお手洗いに…。グレンは?ワイン取りに来………え?何?」

るいは問われたことに答えたつもりだったが、グレンはその回答をあまり聞いていないようだった。るいと話しているのに、目線が合わない。グレンは自分の顎の下に触れながら、何かに納得したように数度頷いた。

「いや、なかなか眼福だな、と思ったのだ。普段より何倍も色香を感じるぞ」

え?何の話?と思い、下方を見つめるグレンの視線を追う。そろそろと視線を下げて行くと、途中で動作が止まり、瞬間的に顔が真っ赤になった。

「う、わぁあああ…!」
「るい、夜中だぞ。少し静かにしたまえ」
「う、…うぅ…」

大声を出さないようにグレンの大きな手に口元を押さえられる。るいは空いた手でガウンの前を合わせて、グレンの視界から遠ざけると、涙目でグレンを睨んだ。

寝る直前だったので、自分も夜着のまま…当然下着すら着けていなかったことをすっかり失念していた。普段はシキがいるから気を付けているのに、今日はレティシアとメイド以外には誰とも会っていなかったので、同じ建物内に成人男性がいること自体をすっかりと忘れていた。

廊下は別段暗いわけではない。角を曲がったところでぶつかったので驚いたが、廊下そのものは明かりがしっかりと灯っていた。見られた…。

「るい。ここには男性の使用人もいる。私的には嬉しい限りだが、色っぽい姿を晒すのはあまり感心しないな」

ただでさえ羞恥で顔から火が出そうなのに、グレンは更に恥ずかしい状況を思い知らせる様なことを言う。耳元にふ、と息を吹きかけられ、るいの背中にはゾクゾクとした感覚が走った。思わず力が抜けそうになるのを寸でのところで踏ん張って、るいはそのままグレンから離れた。

「ところで一緒にワインでも?」
「〜〜〜〜っ!! 結、構、です!!」

お手洗いに行こうと思っていたのに、そのこともすっかり忘れ、るいはレティシアの部屋までひたすらに走った。どうやって部屋まで戻ったのかわからないほど、猛ダッシュしていた気がする。

勢いよく部屋に入ると、レティシアはベッドサイドに腰掛けてアリスたち全員の髪を梳いてくれていた。るいは思わずベッドにダイブして、枕を抱きかかえて涙ながらにレティシアに謝罪した。

「レティシア、ごめん!!私やっぱりグレンと結婚とか、難しいと思う!!!」
「え…?」

聞き取れなかったとでも言うように、レティシアはぽかんと口を開けた。そしてその言葉を意味を咀嚼すると、レティシアは櫛を割るのではないかと思うほど、手に力を込めて、ふるふると涙目で震えだした。

「お兄様のばか〜〜!るいに何を言ったんですの――!?!?」



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