ざあ、と大きな音がする。しかしその音は自然と不快に感じる事は無い。
葉の擦れる音は風鈴の如く、私に快適な温度を運んでくる。
大木の幹が軋む音は母の心音を感じさせた。
ここは深い森の中。何故ここに私が居るのか、ここが地図で言うところのどこに位置するのかは全く知らない。
しかしそこら中に漂う魔力の残滓はどこか知っているような気がする、そう思った。
だがここは森。あまりはしゃいで辺りを彷徨くとろくな事が無いと昔誰かに教わったので少し回りを見渡して、手頃な木によじ上る事にする。
時折膝や手のひらに食い込む木の皮や棘は後で抜くとして、近くで一番の大木から見る景色は絶景であった。
そりゃあもう、どこを見てを緑なのだから絶景という他無いだろう。
とても美しい景色と引き換えに絶望を手にするハメになってしまった。
また地に下りようとするも、手のひらや膝のちょっとした擦り傷の大群を見ると諦めざるを得ない。幹によりかかると、大木はいとも簡単に私の体を受け止めた。
肌をちりと焦がすのは魔力の残滓。それは極小さな静電気を常に浴びているような緊張感。
(…魔力の残滓?)
身近に魔力が漂うのが常であった生活をしていた私はすっかりと失念していたが、こんな人気も無い森の奥で魔力が漂う訳が無かった。
可能性があるのならば、私がここに参上する事になった原因か、それとも誰か人が居るかしか考えられない。
痛む手のひらを簡易治癒して(しかし治癒魔術は昔から苦手で、膝の怪我はむしろ少し悪化してしまった)無理矢理大木から下りる。
魔力の残滓はそう古くない。今から追ってもどこかしらで鉢合えるだろう。
脛を伝う血はとうとう靴下に達し、白いハイソックスに赤いシミを作る。
制服は高い。スカートを少しめくって裏に血が付いていない事を確認してため息をつく。一向に残滓の元にたどり着く気配は無い。
…無い筈だった。
「あの、すみません。私は貴方に危害を及ばせませんので、その毒矢をどうかお収めいただけませんか。」
いつの間に背後を取られていたのか、後ろには最大まで弓を引いた弓兵が立っていた。
いきなり振り向いて毒矢で刺されゲームオーバーなんて人生は歩みたくない。おとなしく両手を上げて敵意が無い事を示す以外私に出来る事は無い。
何故毒矢と分かったのかは…なんだろうか、直感だ。
「ちゃぁんと俺が教えた事覚えてんじゃねーの、お嬢さん。」
弓が仕舞われた音がしたと思えば、肩を組まれ耳元で話しかけられた。いつの間にこんなに間を詰めていたのか。
しかし触れられた途端に思い出した。SE.RA.PHでの出来事。月の裏側であったこと。センチネルとなった私が従えていた緑のサーヴァント、彼の英霊ロビンフッドを。
「本能にまで刷り込まれていたわ、アーチャー。久しぶりね」
振り向くとやはり、あの時と変わらぬ服を纏った緑色のアーチャーが口元をゆがめて立っていた。
魔力の残滓だけ漂わせて、そちらに集中している隙に背後を取る。姑息だが、それ故に効果的な戦術だ。
「そりゃドーモ。言っておくが記憶の混濁は俺のせいじゃ無いから、そこんとこよろしく。」
「分かってるわよ。アンタだったら悪夢を仕込むくらいえげつなくやってきそうだもの。ここに私を呼んだのは貴方?」
「呼んだつもりはねーが……こっちも色々あるってこった。」
「義賊の活動的な意味で?」
「義賊の活動的な意味で」
ふうん、と漏らすと今度は彼が言葉を発する。
「ま、どーせ送り返すくらいすぐ出来っから、久しぶりの恋人同士の再会に感涙しましょうや」
「イヤよ。早く帰れるなら帰しなさい。宿題が山積みなの」
「強がってんなって」
ふわりと抱きしめられたロビンフッドからは草木の香りと花の香りがまじった、とても安心する香りがした。
緩みかける涙腺を引き締めて、大きく息を吐く。そうでもしないと嗚咽が漏れそうだから。
少し震える腕でそっと抱き返すと、さっきよりも強く抱きしめられた。
震えた声で小さく「ずっと待ってた」なんて、本当に馬鹿みたい。待ってても、会える筈なんて無かったのに。
馬鹿ね、と返すと名前こそ、と返された。ああ、私もずっと彼を待ち続けていたのだった。彼のローブの切れ端のデータをずっと制服のポケットに仕舞い込んでいた。
いつかこれを触媒に彼が現界する日を夢に見て。
データが触媒になるのかなんて知らない。ただ、少しの切れ端なのに莫大なデータ量を保有するデータをUSBメモリに仕舞えば、そのほんの少しの重さ分彼を感じていられた。
「この世界の羊飼いが私だったら良かったのになあ」
「そう上手く出来てないのが世の中ってもんだ。…まあ、あの羊飼いとは結局何も無いまま関係が終わっちまったからある意味、名前が羊飼いなのかもなあ」
「そっか。ならいいわ」
ロビンフッドの高い鼻に小さくキスを落として、さあ帰りますかと伸びをする。
多く触れたからか、最初の時よりかなり記憶が戻った。データの行き来が完了したのだ。
これで私も帰り方が分かる。それを見越して彼は私に抱きついたのだろう。全く、全部が計算づくのような男だ。
そこらの草を魔方陣の形に踏み鳴らす。そして私の膝から流れる血を魔術でより出血させ、
そして…呪文を唱える。
「本当に少しの間だけだったけど貴方にまた会えて良かった。私のロビンフッドが、本当に私だけの物って知れたし。」
靄がかかる視界で別れの言葉を告げる。緑色のシルエットはそれを聞いて大きく肩を揺らして笑った。
顔が見えたのなら、きっと彼は目の周りを赤くして情けなく笑っているのだろう。
「ほんと、女ってこえーわ。アンタは向こうで新しい恋人でも作るんだろうけどよ」
「当たり前。この魔術の血を絶やす事は出来ないのよ。…まあ、その相手は愛人という事になるから安心しなさいよ。どうせ子供が育てば別れるわ。
なんたって私は飽き性だもの。」
「俺には飽きねえのにな」
最後の最後までどうしようもなく中身の無い会話。
なのにそれはこんなにも充実して、私の心を満たす。
「愛しているもの。」
ロビンフッドの返事は聞こえない。
けれど、彼も私と同じ事を口にした事だろう。
私は前を向いて生きていく。
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