ここはヘルサレムズロット。三年前ニューヨークだった地は、後に大崩落と呼ばれる現象によって異界とのゲートが作られ、街は組み替えられた。結界のせいなのか、街には常に霧が充満していて天気なんて雨以外あって無いようなものだ。
そして今。異界の生物と人間(ヒューマン)が入り乱れる世界に私たちは居る。
犯罪係数は高く、生存率は日が暮れるにつれ下がる。

「で、何ですって?」

それを踏まえて言うが、今ここは宵闇に包まれて肌寒ささえ感じる。生存率は極めて低い。

「金を寄越せつってんだよクソアマ!聞こえてねえフリしてんじゃねえぞ!」

異界の生き物が怒鳴る。その声量と言ったら桁が違う。
いくつにも分裂した腕で私の襟を掴んで持ち上げ威圧しているのだろうが、私にはその動作ひとつひとつに笑いが漏れそうになる。
ただのチンピラ風情がこの闇の中でみみっちい真似をするなんて馬鹿げている。

「あらそう。ところで貴方達、今この時間の生存率は知っているかしら?」

私の襟を掴んでいる腕に私の指を絡める。骨が無い部類の生物なのか、それとも骨の上の肉がそういう風になっているのか、その弾力はうっとりするくらいのものなのだが、この生き物は生憎まだ息絶えていない。

「ハア!?ンなモンイチイチ気にしねッ」
「20%よ。馬鹿ね。」

沿わせていた指に力を入れる。途端に指に付けていた指輪がきらりと光る。爪は鋼鉄のように固く、そして剣のように長く変形した。

「貴方は死ぬ側の人間。そんな事も分からないようで、よくここまで生きてこられたわね。」

肉の裂ける音。輪切りにされた断面に骨は無く、やっぱりそういう部類だったなあとぼんやり思う。
地面はザクロの花のような血痕が染み付き、後ろでこちらを見るだけだった手下と思われる奴らはしっぽを巻いて逃げて行った。

「あーあー、もう。返り血でびちゃびちゃだわ。」

一度事務所に行かなくちゃ、と一言呟いてから私は狭い路地を入って行った。

ーーーーー

「おいおい名前。どうしたんだ、その血。」

ライブラの事務所に入るなり、まだ仕事をしていたらしいスティーブンから声がかかる。
マジメなもので、一度家に帰って家政婦さんのごはんを食べた後にまたこちらに戻って来たらしい。

「いやあ、路地裏で絡まれちゃって。タオルとか…何か拭くものをくださらない?」

ソファに座る訳にもいかず、立ったまま言うとすかさずギルベルトさんが私にタオルを手渡す。
きっと彼もスティーブンに付き合ってこの時間まで起きているのだろう。
一言お礼を言って、返り血を拭きながらソファに倒れ込む。タオルはあっという間に真っ赤になって、流石に今日はやりすぎたかもしれないとほんの少し思った。

「皇みたいに他人に見られなくするとかすれば人に絡まれないのだけれど。私は素早く動くのも苦手だしさ。」



「あれ、スティーブン?」

返事が無いのでさっきまでスティーブンが腰掛けていたデスクを見ると、うとうとと舟を漕いでいた。
手に持っているペンは変わらず蓋が開いたままで、大切な書類が汚れてしまいそうだ。
私はすぐさまソファを立ち、デスクへ近付く。

「おおい、スティーブン。書類汚れちゃうから、寝るならちゃんとベッドで寝なさいよ。」

彼の細いものの筋肉質な肩を掴んで前後に揺らすと、彼はハッと目を覚ましてむにゃむにゃとよくわからない声を出す。
どれだけ根を詰めていたのかは一目瞭然だった。

「こら、寝ぼけてないの!この際ソファでもいいから早く寝なさいってば!」

彼の手からペンを奪い取り、無理矢理立たせると、バランスが取れずに倒れ込みそうになる。
ギルベルトさんに手伝いを頼もうにも、先ほどから姿が見えない。多分彼専用のパソコンデスクの前に居るのだろう。ここからだと声は届かない。

「んん、しかしまだやまのようにしょるいが…」
「そんな眠たそうな声の人間に仕事させると不安要素しか無いって言ってるのよ!ほら寝た寝た!っと…?」

そろそろソファだと声をかけた途端私の視界が揺らぐ。すぐに足元を確認すると、スティーブンの足に躓いたようだった。
幸い着地点はソファだったから、特段着地を意識せずソファに突っ込む。
それから自分はするりと退いて、寝かせてしまおうという算段だ。
…だった、というのが正しいだろう。


「なんでこうなるかなあ〜」

結果彼を抱きしめるような図になってしまったのは勿論不可抗力だ。
倒れたと思ったら私が綺麗に下敷きにされていて、退こうにも既にスティーブンは寝息を立てていた。退こうとしようものなら彼はほんの少し目を開けて、「退かないでくれよ」と囁かれた。

(何が退かないでくれよ、よ。もうちょっと上手く甘えられないものなのかしら、この男は。)

ーーーーー

「ん…」

ああ、すっかり寝ていた。
あの状況下で寝ていられるなんて、我ながらどうかと思うのだが私だって仕事の帰りで眠気が少なからずあったのだ。
気がついたらスティーブンは居なくて、代わりに毛布が掛けられていた。

「ああ、起きたか名前。おはよう。」

昨晩の、それこそ小さい子供のような仕草なんて無かったかのようにスティーブンはブラックコーヒーを啜っている。
それがまるで「昨日君に甘えた事も君の暖かさに安心して眠った事も全て名前の夢だったんだよ。」とでも言いたげで無性に腹が立った。

「お、は、よ、う!!スティーブンくん!」

ソファに腰掛けているスティーブンにテーブルを避けてズカズカ歩み寄ると、何の遠慮も無く彼をこの腕の中に閉じ込めてやった。
最初は驚いた彼も、とりあえず静かにゆっくりとテーブルにコーヒーを置き、そのまま脱力したように身を任せてくる。

「あなた、もっと甘え方を知りなさい。そしてそれが恥では無いのだと、私に対してだけでもいいから思いなさいな。
あなたはあまりにも人に甘えるのが下手すぎるわ。」

まだ櫛を通す前なのか、寝癖の残る髪を柔らかく撫でる。こうすると本当に子供の世話をしているみたいだ。
ふわりと香るのは血の残り香。きのう私がつけてきたもののにおいが移ってしまったのだろう。完璧で隙を見せたがらない彼には珍しかった。

「名前さあん、いちゃつくのはいッスけどせめて他でお願い出来ませんかねえ〜〜〜〜。こちとら朝っぱらからセフレにフられてんスわ。」
「うわっザップ!」

そうだ、時間も周囲も全く確認していなかった。私とした事が、寝ぼけていたのだろうか。
改めて回りを見ると、皇とK・Kの姿はないが他のメンツはある程度揃っているようだった。

「……」

流れるようにスティーブンから腕を離す。スティーブンはどこか安心したような、今にも泣き出しそうな、微妙な表情をしていた。

「今から貴方達の記憶を消すわ。大丈夫、首の皮一枚遺しておいてあげるわ。」

指は鋼鉄、剣の輝きは未だかつて無いくらいに光を反射する。

「そりゃ無いッスわ名前さギャアーーーー!!!!!」

その日ザップとレオは医者に呆れられるくらいの怪我を負ったと言う。


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