◆雨森小夜ちゃん

そう言われたのは雨の降る日だった。
じっとりとした前髪をかきわけながら言う雨森さんとは最近よく言葉を交わすようになって、週末なんの予定も無いことをこぼしたばかりだった。
「水族館?」
普段から出る語彙力などに文化力を感じていたけれど、休日に気さくに水族館に行くタイプだったとは。
自分の中の雨森さん像のようなものにリアルさを付随されたかのような錯覚すらある。きっと色々な魚を見て楽しむ雨森さんの瞳は尊いものなのだろう。
「私、名字さんがペンギン見てるところを見たいな」
ペンギン。自分が?そんなものを見て何になるというのか。薄く笑う雨森さんだが、その思考は読めやしない。
何かを言おうとしたのか、唇を薄くあけて、すぐに閉じた。
「日曜日、十時に集合ね」
彼女の爪には保護のためか、シアーなネイルがされていたことを知った。
その指がアクリルガラスに触れ、自分の手に触れるまで、どれくらいの時間が必要なのだろう。


◆ジョー・力一

「水族館って結構高いけど、知ってる?」
何をするでもない昼下がり、チケットを手にして急にそんなことを言いだすのだから呼応するように自分もトンチンカンなことを言った。自分でもわかる、そんなことくらい。なんだその不満げなツラは。
「せっかく誘ってんだからもっと楽しげにしろってさ〜。お前はいっつもそうなんだから全く」
そんな押し付けがましいことがあるかとも思うが、そもそもどこに遊びに行こうか考えあぐねた末に何も決まらないまま集まったのだ。どこへ行こうとも、行き先があるだけマシってなもんだろう。ごめんりきちゃん。
「え、てかそれ何?優待券とかじゃないの。ほら、駅前とかに置いてるちょっと安くなるやつ」
力一の指に挟まれピラピラと揺らいでいるそれは今から入場しますといった風体で、つまるところそのチケットは入場券だった。
なんならば今からこの空欄に押印をしてもらわないと具合が悪いといった感じでもある。
「奮発したのよー。名字とすいぞっかんいきてーなってずっと思ってたから」
「だからって、じゃあ一緒に入場券買いに行ったのに」
あ。そこで気が付いた。そうだ、水族館は高いものなのだ、と。自分で言っておいて。
「それじゃあロマンがないでしょって」


◆舞元啓介

「うおー!!デッケーー!!」
いい歳して何やってんだと言われるだろうが、水族館はいくつになっても良い。
ゆらぐ水面、薄暗く落とされた照明、生き生きと泳ぐ魚たち、散りばめられた研究結果と、他人に興味のない人々。どれもが一堂に会することで体の力が抜ける。
ところで海とは広大で、海に住む魚というのは得てして思いの外大きいものだ。しばしば口に含むものは除く。
今目の前にいるのはマンタだ。マンタ。目の前に来てみると思いの外でかい。いや、正しく目の前にいるのはえらく騒ぐ舞元なのだが。
「今からそんな飛ばしたらあとでグロッキーになると思うんだけど」
そこいらにいる子供ばりにはしゃぐ気持ちはわかるけれど、動物園か水族館って時に水族館を選んだ理由は忘れたのだろうか。
「違うね!楽しめるうちに楽しまないと。疲れはストック制じゃなくタイム制なんだよ」
「おっいいこと言うねえ」
シャチに冷や水をかけられるまで、二人のテンションは続くものの、ベンチでぐったりすることになる。
しかし水族館にはゆらぐ水面、薄暗く落とされた照明、生き生きと泳ぐ魚たち、散りばめられた研究結果と、他人に興味のない人々が会しているだけあって、そんな中年たちに興味も示さないのだ。うーむ、これこそ、この年になってからのレジャーではなかろうか。


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