「は……、ちょ……っと!だ、ダンデくん……」
 ギシリ、ベッドのスプリングが軋む音が耳元で聞こえる。こんな状況は漫画か小説か、はたまたゲームの中だけだと思っていた。目の前でこちらを見据える男は、こちらの様子を伺ってはいるものの、私が押し返す胸板は全く退こうとなんてしていない。
「…………名前。おれの……今までの我慢を汲んではくれないか」
 指が絡む。彼はこんな、男……というよりも雄のような目をしていただろうか。私の手と比べてゴツゴツとして一回り程は大きい手は少し汗ばんでいて、それがより私との境界を曖昧にしていた。
「汲むっていったって……、だって、こんな急に……」
 自分の唇が言葉を紡ぐ度に、先程されたいやらしいキスが思い出される。最初は可愛らしいバードキスだったのに。ああ、いつものことねと油断していたのに。
 軽いリップ音の後に愛おしそうに顔を見つめて、「じゃあ、おやすみ。また明日な」と続くと思っていたのに。顔を上げたダンデくんは焦燥感を纏っていて、私も少しやばいかもしれないとは思ったのだ。その後すぐ少し掠れた声で「ダメか?」なんて言われて、答えるまもなく口は深く塞がれた。私の決定権なんてはなから無かったんじゃないかとすら思える。
 部屋の明かりはとうに消えている。これから眠るつもりだった人間の部屋だから当然だ。部屋に響く少し粘ついた水音さえ無ければ穏やかな夜になっていた筈だ。
「は、恥ずかしいし……それに……心の準備とか……。ぁ、下着だって、さっき何を履いたかな……とか」
 彼は私から同意が取れるまできっと事には及ばないだろう。今も欲に濡れた目をこちらに向けてキスを繰り返すだけでそこから先へは進もうとしない。キスだって、私がキスが好きだと昔伝えた事があったからしているに過ぎない。こういう所はキッチリ大人なんだ、彼は。そういう所を好きになったのだ。
「おれは名前がどんな下着を付けていたって構いはしないさ。……下着に興味がある訳では無いから。もちろん、名前が俺を想って選んでくれたのならそれはそれで嬉しいが……でも」
 ベッドに縫い付けるように組まれた指に力が篭もる。
「おれを受け入れてくれるってだけで、死んでもいいと思えるよ」
 いつもの快活な笑顔ではなく、どこか艶のある落ち着いた笑み。彼の良いところは表情のバリエーションが豊かなところだ。私はそこまで表情豊かではないから(感情が少ないわけじゃない。顔に出にくいのだ)時に眩しくて、時に庇護欲に駆られる。
「はは……死なれたら困っちゃうな……」
 胸の奥から何か得体の知れないものが湧き出てくるような感覚がずっとしている。彼を受け入れた時、彼はどれだけの表情を見せてくれるのだろう。常日頃から私をひどく愛おしそうに見て、指で触れて、好きだ、愛してると囁いて全身で表現してくるこの男と繋がってしまったら。そんな幸せに私は耐えられるだろうか。ああ、なんだか目頭が熱くなってきた。
「泣くほど嫌か?ごめん、ならすぐ」
「ごめん、ごめんごめん!違くて……なんか、堪らなくなっちゃって」
 繋がれた手が少しだけ離れて、湿ったそこがひやりとした。それがあまりにも切なくて、すぐに握り返してしまったせいでダンデくんは私のすぐ横に肘をつくような形になる。さっきよりもダンデくんとの距離が縮まってどきりとする。私は顔にこそ感情が出にくいけれど、こうやってダンデくんの一挙手一投足にドギマギしてしまうのだ、
「心の準備は出来たから……。あのね、私もしたいなってずっと思ってた。恥ずかしいから言えなくて……待たせちゃってごめんね。……ぁ、ん」
 逸らしていた目をようやく彼の視線と絡み合わせたら、呼応するようにキスが返ってきた。我慢なんて言っていたけどそのキスは全く乱暴じゃなくて、むしろこちらを気遣ってゆっくり、じっくり、ねっとりとしていた。息継ぎなんて忘れるくらいに深く、濃密な。
「は……ぁ……。あ、そうだ。ダンデくん、その……コンドームって」
「ああ、それなら心配しなくていい。ちゃんと用意してあるから」
 チャンピオンがコンビニかどこかで買ったのだろうか。店員に驚かれなかったろうかと色々不安が駆け巡るが、自分の立場を理解しているダンデくんのことだからどうにかこうにかバレない策を立てたのだろう。流石にダンデくんも少し緊張しているのか、照れているのか分からないけれど笑った顔がぎこちないような気がした。彼からしてもこの状況は言うなれば「遂に」といったところなのだろうな。
 彼はきっと初めてではないし、私だって人のことは言えないけれど、こんなにも暖かで安心するセックスは初めてかもしれない。繋いだ手を緩く握り直したら彼は薄く笑ってまたキスをくれた。服の中へ忍び込んだ指は少しだけ汗ばんでいた。


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