先ほどから私の手には柔肌に包まれている感覚がある。
感覚がある、というのも、実際私の手が暖かい女性の柔肌で包まれている訳ではないからだ。
視界の端で香りの良い香水を振りまきながら、にこにことその顔に笑顔を携えているのは名字名前。
先ほどから家に上がり込み、私の分身、キラークイーンと遊んでいるのは彼女だった。
「名前。君、そんなものとじゃれ合っていて、楽しいのかい?」
戸惑うキラークイーン相手にせっせっせーの、と声をかけて遊びに励んでいた名前に声をかける。
すると、彼女はキラークイーンから目さえ離さずに当たり前ですよ、と言う。
その顔はなんとも幸福そうに見える。
「あ、そういえば吉良さん。今日本屋さんに行ったんですけどね、」
ふと、思い出したように彼女が口を開く。だから生身の女性というのは駄目なんだ。私が今どんな気持ちでいるのかも知らないで…。
「キラークイーンにでも話しかけていたらどうだい。君は彼に目がないんだろう。」
イライラとする気持ちを抑えもせず、そう言い放ってから内心やってしまった、と思う。
まるで思春期に親に当たる子供のようだった。
私はとりあえず頭を冷やそうと洗面所へ立った。


「私…何か悪いことしちゃったかなあ」
心無しか焦っているような様子のキラークイーンに話しかける。
焦っているように見えるのは、私自身が焦っているからそう見えるだけなのかもしれない。
射程距離がそろそろ危ういのか、キラークイーンも居間をふらふらとしはじめた。
「私は吉良さんの中にいるからこそ、キラークイーンが吉良さんの内面みたいで好きだったんだけどなあ…。」
鞄の中から、吉良さんの好きな作者の本をするりと取り出して、まだビニールも取っていない背表紙をなぞる。
小さくため息をついて、何かに引っ張られるように移動するキラークイーンの後を追う。

ざあざあ蛇口から流れ続ける水をぼんやり見ていると、ぺたぺたと廊下を歩く音が近付いている事に気付く。
私の後ろでもついてきていたのだろうかと思ったが、扉をすり抜けて現れるキラークイーンで合点がいく。
きっと彼女は射程距離を保とうとするキラークイーンの後を追ってきたのだろう。
やはり追うのは私ではなくコイツなのかと、また頭に血が上りかけるが、流れる水を掬って顔を冷やすことで正気に戻る。
こんなに取り乱すのは私らしくない。冷静に、平穏にいこうじゃあないか。
いよいよ近付く足音に、深く呼吸をする。
そして冷たいドアノブに手をかけた。
「あ、吉良さん。」
少し焦りを感じさせる名前が、私の双眼を見つめる。
「先ほどはすまないね、名前。少し取り乱してしまったよ。」
少し冷ややかさが前面に出てしまっただろうか、彼女の瞳が少し揺らいだように見えた。
「い、いえ。あの…私、何かしてしまったんでしょうか…。」
もじもじと指をせわしなく交差させて俯き加減に彼女は口を開く。
段々と潤んでいく瞳に動揺していないと言えば嘘になるだろう。
「…いいんだ。君は悪く無いさ。」
「嘘!」
効果音が付きそうなほど勢い良く顔を上げた彼女は、震える声で私の言葉を否定する。
目尻にたまった涙が、彼女の儚い雰囲気をより一層に引き立てた。
「嘘なんかじゃあないさ…。」
「嘘です!吉良さん、嘘を付いた時、少しだけ目が泳ぐんです。ねえ、私何か気に触るような事しました…?吉良さんに嫌われたら…私…。」
再びうつむいた彼女の瞳はこちらから分からなくなってしまった。まだ涙は堪えられているだろうか。
「……言う!言うよ…。だから泣かないでくれないか…。頼む…君を泣かせてしまったら、私の中の何かがダメになってしまう気がするんだ…。……。格好悪いようだけど…、君とキラークイーンがとても、私と君よりも仲が良く見えてしまったんだ。情けない事だから、君には言いたくなかったんだが。」
言い切った。言い切ってしまった、とため息を小さくつく。
これで彼女はもしかしたら私の元から去っていってしまうかもしれない。
とても美しい瞳をしていたのに…。いや、手も美しかった。そうだ、私は彼女の手を目当てに近付いたんだったような気がする。おかしな話だ。元の目的が、今や二の次だなんて。
「吉良さん…、違うんです。私はキラークイーンを含めた吉良さんが大好きで!…吉良さんが普段表に出さないような事が全部、キラークイーンから伝わってくるような気がして…。こんな可愛い吉良さんも居るんだとか、思って…。
だから!ええっと…その、すみませんでした…。」
段々と支離滅裂になっていく彼女の言葉も、今や愛おしい。
私も名前も、高ぶった気持ちで喋り、言葉さえもまともに喋れなくなる。
その光景がなんとも滑稽で、二人で笑い合うのだった。


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