二人きりの静かな第一美術室に軽い音だけが聞こえる。
シャカシャカと、時折ガシガシと音が聞こえる。
その元となっているのが私の握っているものと、右斜め前に座っている花京院が握っているものだ。
「…はー」
こきこきと花京院が肩をまわす。
ここからでは彼のキャンバスは窺い知れないが、いつものように抽象画じみたものになっているのだろう。
「あれ、名前、今日は木炭かい?」
こちらをちらりと見た花京院が口を開く。
こしこしと擦っていた食パンの切れ端をぐに、と少しこねる。
「うん、いつもより気分を変えたくて。…というか、私っていつもデッサン薄いから、木炭でも使えば嫌にでも明暗が付けられるようになるかなって。治療よ、治療。」
すると彼はにっこりと笑って
「うん、なるほど。名前は今どんな感じだい?一段落した?」
私はちらりと自分の作品を一瞥してたはは、と苦笑する。
「うん、まあ一応ね。」
「そっか、じゃあ一旦お互いの見ようよ。僕のもちょっと不安なんだ。」
彼はにこにこしたままでキャンバスを動かす。
うん、いい機会だ。
「おっけ」
彼のキャンバスを受け取り、私から見て一番遠い彫刻棚に立てかけて、離れて見る。
彼のキャンバスにはやはり思った通りの少し抽象画っぽいブルータスが描かれている。
(ブルータス、お前もか。)
よくは知らない割に有名な台詞を頭に思い浮かべてふむ、と頷く。
「花京院、これ、あとどのへん描くつもり?」
彼は一拍置いてううん、と唸ってから
「そうだな、様子を見つつって感じだけど、細かい陰影をもう少しつけていくつもりだよ。」
「ふむ、そっかあ。じゃあやっぱりここ、もう少し形整えたらもっと良くなるよ。」
花京院を振り返る。
「う、お」
(ちっか!近い!)
花京院は私の肩口あたりに顔を寄せて私と同じ方向を眺めていた。
同じくらいの角度、距離で見たいのは分かる。分かるけど…。
「ああ、分かった。本当だ。直そう。」
ふむふむと声が耳に届く。
やはり近い。とてつもなく近いのである。
「名前のはもっとメリハリをつけると良いね。今のままでは少し平面に見えてしまうよ。」
かがんでいた背を起こしてにっこりと笑う。
彼の大きい口が弧を描く様はとても綺麗だ。
彼自身が芸術にさえ思えてしまう。イケメンは得だなあ。
「うん、ありがとう。そうする。」
黒くなった食パンをポイ、とゴミ箱に投げ入れて新しい食パンをちぎって残りを口に入れる。
「…やっぱり付けるものが欲しい。ジャムとか。」
難しい顔をした私に向かって、彼はあははと笑う。
美術室を照らす夕日がやけに赤く感じた。
…そんな事があったのが数ヶ月前。
彼は唐突に姿を消した。
エジプトに旅行に行くんだ、と嬉しそうにスケッチブックを抱えてじゃあね、と別れた帰り道を最後に。
風の噂で彼は転校したと聞いた。
先生からは全くそのような話は聞かなかったし、勿論彼の口からは聞いていない。
彼に電話をかけようにも、まだ携帯電話が普及していない世の中である。
家の電話にかけたものの、いつかけても留守であった。
何故だろうと首を傾げるけれど、彼の家には彼の家なりに理由があるだろう。
もしかしたら転校と共に家も引き払ったのかもしれない。
彼にとって私は転校を告げる程の仲ではなかったと言うのだろうか。
「くっそ〜…」
じわりと目頭が熱くなる。
「くそっくそッ!」
何故私がこんな思いをしているのだろうか。
やってやろう。彼を、見つけ出してやろう。
思いついたが吉日。
彼の噂を辿って、ジョジョという人にたどり着いた。
花京院はどうやら彼と共に、またエジプトに行ったらしい。
「エジプトね…」
彼は死んだ。
私の目の前で、なぜか、唐突に死んだ。
「花京院ッ!」
「おい、まて名前ッまだだ!早まるなっ!」
スタンド、というものが発現して少し経つ。
最初は金が底をつきたところで運良く花京院に出会った。
それから紆余曲折、スタンドを発現したのだ。
「ッ…そうね。彼はまだ生きるわ。」
「おい、…おいッ」
ゆらり、と私のスタンドのact.2をしまい、act.3を出現させる。
承太郎先輩の声も右から左。
「あ、」
動いた、花京院が。
キラキラと雨のようにエメラルドが舞う。
それは時計塔にぶつかり、轟音が悲鳴のようにつんざく。
いつかと同じように目頭が熱くなって、いつかとは違い、それは頬を撫でていく。
時が、時計塔の針が、全てが止まったような気がした。
スタンドを使って壁から壁へ、そして給水塔までたどり着く。
そこに花京院は居て、そして居なかった。
魂は既にそこには無かった。
遅かったのだ。
痛覚をショック死しないくらいにまで遮断して、脳内の治癒能力を活性化させるスタンドである私のスタンドact3であれど、そこに魂がなければ意味が無いのだ。
「花京院、花京院…」
震える足を必死に勇めて敵である人物をぎろりとにらむ。
あの時が止まった感覚、そして花京院の最後のエメラルドスプラッシュ。
全てが嘘でないのなら。
私は、勝てる。
勝算がある。
私は勝てる!
ざらざらと溶けるそれにとてつもない脱力感が生まれる。
終わったんだ。全てが
花京院の遺体は財団に任せた。葬式をする訳にもいかない。
昇る日に手を合わせてこれからを祈る。
包帯をしているにも関わらず流れ続ける血に意識は向けない。
スタンドで痛覚を完全に遮断しているため、体内の治癒組織をその傷を認知しない。このまま放っておけば失血死は免れないだろう。
これから私が生きるか死ぬか、全てを貴方に任せよう。
私は貴方が好きだった。
貴方を見つけて、貴方と行動をして、貴方と戦って、貴方の最期を見届けて。
でも、貴方に好きだとは言えなかった。
そんな勇気は私にはなかった。
でも、それでも貴方が好きでした。
私は結局は生き延びる事になった。
イタリアへ赴いて、あの忌々しい男の息子に会ったりした。
承太郎の娘に会った。
全てが彼につながるような気がした。
彼ら、彼女らを通して花京院を見た。
やっと私は死ぬようだ。
プッチ神父に追いつめられた。私は抵抗をしない。
さようなら、私は全てを手放して、全てを手に入れます。
全てを手放して、私のすべてを
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