■相手の家で、一緒に食事を作りながら 山下次郎

フライパンが油を跳ねて、なんとも美味しそうな音を立てる。2人の間には少しの沈黙と、換気扇の回る音、そして美味しそうな音だけがあった。
大学時代からの恋人が私の家に来るようになってから随分経った。最近はお互い仕事が忙しいはずなのに、その頻度は増えるばかりだ。まるで仕事の疲れを癒すために互いを求めているようだった。
「ごめん、お醤油取って」
「あいよ」
私が言う前から手元に用意していたらしいそれを私に手渡して、彼は彼でスープを作っていた。今日のメニューは五目炒飯とワンタンスープだ。ごま油の香りが食欲を刺激する。
「あ、お椀出してくれない?」
「はあい」
渦を作った手鍋の中にとき卵を細く投入すると、花が開くように卵が広がって固まる。次郎さんは昔からお料理が好きらしく、私の家に来た時も、反対に私が次郎さんの家にお邪魔する時も何かを作ってくれる。それに感化されるように私もお料理をすると、次郎さんはたまらなく嬉しそうな顔するのだ。実のところ、その顔を見たいがために隣り合ってキッチンに立っている。
「次郎さん」
手鍋からお碗へスープを移すことに必死になっている次郎さんの横顔を見上げる。お料理がよっぽど楽しいのか、次郎さんはこちらの視線にも気づかず、少し上がった口角のまま「んー?」とだけ言う。
「夫婦みたいだね」
彼の高い鼻筋、整った唇と輪郭を目でなぞる。一瞬して目を丸くしてゆっくりと視線だけこちらに向けた次郎さんだが、残念ながら彼が持っているお玉からはスープがこぼれていく。
「?……!ぅあっつい!」
「うわ!冷やして冷やして」
次郎さんの手を取って蛇口を捻りながら、いつか『みたい』じゃなくなる日に想いを馳せた。食事の後、もう一度同じことを言ってみたら彼はどんな顔をするだろうか。

■相手に恋愛系の英語を教えながら 舞田類

「I’m really glad I met you」
「アイムリアリーグラッド、アイメッチュ」
「君に出会えて良かった」
映画を見た帰り、ディナーの際に軽く酒を飲んだ俺たちは薄暗い道を並び歩いていた。夜中の入り口に差し掛かった時間帯の夜道は声が際立って聞こえる。
彼女は映画の中で聞いた英語のフレーズをよく覚えている。彼女は大学の時は中国語を専攻していたが、俺と付き合い出してから英語にも興味が出たらしい。もう付き合って数年経った今も、映画やドラマを字幕で見ては復習がてら俺と発音や意味の確認をする。そんな熱心なところが本当に愛おしい。
「Your happiness is always wished」
「ユァハピネシズオルウェイズウィシュド?えっと……願う…あなたの幸せはいつも願われている?」
「great!受動態だから直訳はそうなんだけど、この場合『願ってる』の方が適切かな」
「ふうん?家着いたらもうちょっと詳しく教えて」
今日見た映画は愛し合っている恋人がお互いを守るため、お互い正体を隠したバディヒーローとして戦う内容だった。ヒーローの時はお互いの正体を知らないものだから、敵を倒すたびに相手を守っているという充足感などから加速度的に愛が深まっていく。ヒーローの時とそうでない時のギャップが面白い、コメディテイストのアクション映画だ。
「じゃあ、Please keep holding my hands」
「プリーズキープ……?そんなの言ってたっけ?」
繋いだ手を強く握り直して言う俺に彼女が怪訝そうな顔で俺の顔を覗き込む。俺はそんな彼女がやっぱり愛おしくてその手の甲に唇を寄せた。
「今度もう一度見て確認してみる?」
「……い、いい。配信来るまで待つ……」
「じゃあ、それまでちゃんとremenberしといてね」
そんなフレーズが映画には全く出てこないと知った時の君の顔をちゃんと見たいから。

■家で勉強中、差し入れとしてチョコを受け取って 硲道夫

「道夫さん、これ」
差し出された小さな箱を硲は両手でしっかりと受け取って、少しばかりその天面を眺める。勉強を一時中断して休憩にしようかと進言したところ急に渡されたそのプレゼントの真意を図りかねて目の前に立つ恋人に視線を戻すと、当の本人はにっこり笑って「コーヒーいれるね」とその場を離れてしまった。硲は慌ててその背中を追ってキッチンへと体を滑り込ませる。
「これは?」
「ん?うふ、開けてみて」
芯を食わない返答に硲は戸惑いながらも綺麗にかけられたリボンをほどき、貼ってあったテープをゆっくりと剥がす。真っ黒い箱を開けて紙をどけると、色とりどりの何かが顔を出した。香りから察するに、おそらくチョコレートだろうと硲が考えた直後、今日がバレンタインだということにも思い当たり合点がいく。ついでに、そのチョコレートにプリントされた柄が黄金比を示したものだということにも気がついた。
「黄金比チョコ!見て、これ線のとこでバラバラになるの。お店で見つけた時絶対これ!って思って」
「ああ、とても美しいな」
硲も彼女も同様に目を細めて笑い、彼女はシュンシュンと音を立て沸騰を知らせるやかんを取った。それを見て硲はペアのマグカップを出し、ドリップコーヒーの用意をする。コーヒーを彼女に任せ、硲が小皿の用意をしだした時、不意に鼻歌が聞こえて振り向けば、彼女が硲の所属するユニットがリリースした新曲を気分良く口ずさんでいた。その光景が幸福の具現化のように思えて、小皿をキッチンに置いた硲はやかんを片手にした恋人の髪を掬い取ってその鼻歌に耳を傾けていた。
「好きだ」
「え!やだな、何急に?照れる〜」
「愛おしいと常に思っているはずなのに、今急に言いたくなったんだ」
掬い取った髪は指の間を抜けてするりと元の形に戻る。シャンプーの良い香りだけが立ち、コーヒーの香りと混ざって2人の鼻腔を刺激する。
「そ、そ、そう?急に言われるとびっくりするね」
「すまない」


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