人との出会いを大切にしている。たくさんの縁を育んでいる。たとえみんなが僕を忘れてしまっても、僕はずっと覚えているし、生きる糧として忘れたりはしない。
もう五度目となるこの島の、御贔屓にしているこの食堂に、僕はあとどれくらい通うことができるだろうか。できることなら、ずっとここにいられたらいいのに。
「おや、今日も来たのかい?」
「うん、お邪魔させてもらうね」
「またオムライスかい?」
「今日は違うのにしようかな」
「そんなこと言って。どうせまた同じものを食べるんだろう?かれこれ一週間その台詞聞いたけどねぇ?」
「だってここの味好きなんだもん。もうずっと変わらない懐かしい味だよ」
「なんだいそれ。あんたこの間ここへ来たばっかりだろう?常連みたいな口ぶりでよく言うねぇ」
「…あー、うん。そういえばそうだったね」
いやでも本当に、僕はこの食堂のこのオムライスが大好きなんだ。それはもう何年も前からのファンで、この島に来ると必ずここでこれを食べるのが僕にとっての習慣になっているんだ。
なんて、言ってもきっと信じてくれないけどね。でもこればっかりはしょうがない。僕がそうしたんだから。
「はいよ、お待ちどう」
「ありがとう、ミシェルさん」
「うん?あたい名乗ったかい?」
「あぁ、前にそう呼ばれてるのが聞こえててね」
「なんだい、そういうことか。あれ?でも変だねぇ。あんたにそう呼ばれるの、不思議と違和感ないねぇ」
「…そう」
そりゃそうさ。もう何十回と、そう呼んでお喋りをしたことがあるからね。
旦那さんのモッズさんが腰を痛めたって言ってたけどあれはもう治っているだろうなぁ。娘さんのエリスちゃんが結婚したとも言っていたなぁ。今じゃ子供が生まれててもおかしくないだろうね。
そういえば旅行に行くって言ってたけどあれは達成できたんだろうか?繁盛している店だから長期休暇が取れないって嘆いてたけれど…。あ、でも行けたみたいだね。綺麗な海をバックに楽しそうに笑ってるミシェルさんの写真が壁に飾ってあるのが見えたよ。
人間の脳とは心底不思議だと僕は思う。もう何十回も僕と関わった記憶を消しているというのに、懐かしいって感情が沸くんだね。その言葉を聞くと、嬉しくもあるけどひやひやするよ。
あぁでも、やっぱり嬉しい気持ちのほうが勝ってしまう。だめだなぁ僕。全然割り切れてないじゃんか。
「そういやあんたの名前知らないねぇ。教えてくれないかい?」
「あれ?まだ言ってなかった?」
「聞いちゃいないよ!」
「そうだよね、僕はナマエって言うんだ。よろしくね」
「ナマエ…、ナマエ?」
「うん」
「そうかい…あんた、ナマエっていうのかい…」
「なにかおかしい?」
「いやね、エリスの子供…あ、エリスってのはあたいの娘なんだけどねぇ」
「うん」
「最近って言っても半年くらい前なんだけど、子供が生まれてねぇ」
「それはそれは、おめでとうございます」
「ありがとねぇ。で、男の子だったんだけどね、その子の名前がナマエって言うんだよ。なんの偶然だろうねぇ」
「!、娘さんが、その名を?」
「いやいや、あたいがポロっと言ったやつを酷く気に入ってね。何故か娘もそれがいい!と嬉しそうに言うもんだからそうなっちまったんだけどねぇ。あ、でも後悔はしてないよ?良い名前だとあたいも思ってるからねぇ」
「そう、ですか…ミシェルさんは何でその名前が出てきたんですか?」
「さぁねぇ…よく覚えてないんだけど…当たり前のようにそう呼んでいた誰かがいて、あたいが可愛がっていたんだろうねぇ。多分、あんたみたいな子だったんだと思うよ。記憶にないから夢のような話なんだけどねぇ」
「………」
ほんと、これだから嫌になる。この力を手に入れてしまったこと。自分の立ち位置、残りの人生のほぼ決まった生き方。そのためにまた、この人の記憶を僕は消さなければいけないなんて。酷い話だよね。
でもこの人がこうやって娘や孫の話をする小さな幸せを、僕のせいで台無しにしてはいけないから。僕と関わる全ての人たちの記憶に、僕の存在が残っていてはいけない。
あぁ嫌だなぁ。消したくないなぁ。忘れないでほしい。覚えていてほしい。またふらりとやってきた僕に、いらっしゃい、久しぶり、またいつものかい?って笑って声をかけてほしい。
そんな些細な願望ですら叶うことが許されない僕という存在を、この能力で消してしまえたらいいのに。
いや、きっとやろうと思ったらできるはずだけれど、それができないのは僕が臆病で弱虫だから。結局は自分のエゴのために、この人たちを犠牲にできやしないんだ。
「ごちそうさま、いつも変わらない味をありがとうミシェルさん。旦那さんや娘さん、もう一人のナマエくんによろしくね」
「え?あぁ、もう行くのかい?」
「うん。もうあまり時間がないみたいだから…」
「そうかい。今回は早いねぇ」
「じゃあ、さようなら。ミシェルさん」
「また、おいでねぇ」
そう言って手を振って、この店の外に一歩出た僕は完全に扉が閉まるのを待った。扉に背中を預けながら晴れ晴れとした青空を見上げる。
「"イレイズ"」
消え入りそうなほど震えが見える僕の声は、町の喧騒にかき消されてしまったけれど、今、この瞬間、確実にはっきりと呟いた。
刹那、ほんの数秒この店の範囲を僕だけが見える淡い光がぼんやりと全体を包む。
この光が消える頃には、この店の中にいる誰もが僕のことをもう覚えていない。というより、僕という存在が初めからそこにいなかったかのように、その記憶だけが消えているはずだ。
じわりじわりと青い空が滲んでいく。泣くくらいならするなと言われるだろうけど、そうはいかないんだ。それが唯一の最良の選択だから。
もうここには来ないほうがいいのかもしれない。ミシェルさんの記憶、何度も何度も消しているけれど、いつも最後はああ言うんだ。
"また、おいでねぇ"
覚えてないくせに、よく言うよ。
もたれていた扉から離れ、この島を出るべく歩き出した僕の耳に、風に乗って聞こえてきたのはミシェルさんの声に呼ばれた僕の名前だった。
これはきっと残響だと思う。割り切れずにどこかで甘えのある女々しい僕の、どうしようもないただの幻聴だ。
三十一回目のさようなら
今回は早いねぇ、と言ったあの人の言葉を思い出して、その意味を理解してまた泣いてしまったのは島全体に能力を使った後のことだった。
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どうでもいい補足:ケシケシの実という悪魔の実を食べた能力者。記憶、歴史、存在と消せるものはなんでも消すことができるが、能力者の能力だけは唯一消すことはできない。その高い危険性故に政府から追われる身であるため、自分と関わった人との記憶はすべて消しながら旅をしている可哀想な子。いつかルフィに出会って救われたらいいなって思ってる。
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