部活の帰り道、いつものようにマジバに寄ってバニラシェイクを買おうと意気込んでいたのだけれど、彼を見つけた瞬間、それは叶わなくなった。とは言っても、それは彼の所為ではなくて。

夜の公園は少しだけ肌寒くて、さすがの彼もシャツ一枚という無謀なことはしておらず、珍しくカーデガンを羽織っていた。チャコールグレーのそれは、彼の深い海のような紺色の髪によく似合っていると思う。


「名字くん」
「!、黒子…」


ぼんやりとブランコに座っていた彼に近付くことで、本当の距離まで縮まればいいのに。なんて。


「隣、いいですか?」
「ん、いいよ。ってか帰らなくていいの?」
「君こそ、帰らなくていいんですか?」
「おれはいいの」
「僕も、大丈夫です」


ギィ、と少し錆びた音を鳴らして、彼は小さくブランコをこいだ。足が地についたままゆらゆらと揺れては、どこか遠くを見ていて。

隣にいるはずなのに、手を伸ばせば届く距離なのに、何故だか凄く遠い存在のように思えた。だからだろうか、少し焦ったように彼の名を呼んでしまったのは。


「どした?」
「あ…いえ…」
「?、変なの」
「…、変なのは、君のほうです」
「えー?」
「何か、あったんですか?」
「………」
「………」
「…ほんっと!中学から思ってたけどさ〜お前のその観察力?たまに憎いよ」
「…、それは、すみません」
「や、違くて。黒子が謝る必要はないよ。当たってるからさ」


彼とは中学から一緒で、偶然にも高校も一緒だった。中学のとき、同じクラスにはなったことはないけれど、彼の名前はよく耳にした記憶がある。

黄瀬くんが、かなり懐いていたというのもあるけど、黄瀬くんに限らず、彼という存在は色んな意味で色んな人に影響を与えていた気がする。もちろん僕もそれなりの面識はあった。

ただ、彼の『特別』はある一人の女の子にしか許されず、それは今もなお守られていて。彼がその子以外を特別視することは絶対になかった。その彼が、今自分と同じ高校にいる。それだけで、他の人より少しだけ優越感みたいなものを感じることができた。

僕は彼の『特別』が欲しいわけじゃない。彼も僕がそれを欲することを望んでいない。それだけはわかっていた。


「黒子にだけ特別に、聞いてほしいことがあるんだ」


だから、彼が僕に言った言葉が少し信じられなくて、一瞬なにもかもがどうでもよくなって、返答に詰まってしまった。


「え?」
「あんまり深く考えずに聞いてほしいんだ。っていうかむしろ、ミスなんとかを今ここで発動してほしい」
「それはどういう?」
「隣にいてくれるだけでいい。返事や相槌はいらない。ただ黙って聞いてほしいんだ」
「僕は何を聞かされるんでしょう?」
「この世界でおれしか知らない、おれの昔話」


息を、のんだ。その、今にも壊れてしまいそうな表情に。



昔話をしよう



彼は言った。自分には前世の記憶があると。

正しくは前世とは言わないらしいが、深い意味はよくわからなかった。ただ一つはっきりと言われたのが、この世界の人間じゃない、とだけだった。その真意すらも、僕は聞き返してはならなかった。

女として生きていた。その期間、19年だと言った。あともう少しで二十歳になって、成人式を楽しみにしていたと言う。

なんでそうなったかは覚えていないけど、どうやら事故にあったらしい。そして死んだ。女として生きていた彼は、19年という短い時間に幕を下ろした。

いやだ、死にたくない、まだ生きていたい。そう願って、泣いてる感覚なんてわからないのに、ずっと泣いていたらしい。

次に目を覚ましたとき、喜びとともに絶望を味わったという。見慣れない天井、自分を覗き込む知らない男女、笑いかけられているのは何故?

なにもかもが理解できなくて、信じられなくて、生きている喜びすら忘れるほど、彼は泣いた。大声で泣いた。声が枯れるくらい泣いた。でもいくら泣いたって、この現状が変わることはなかった。

名字名前、それが新しい自分の名前だった。男、それが次なる自分の人生だと知った。それを幼い頭で理解したとき、女として生きたときの名前は捨てたと言う。

前世の記憶を持ったまま生きている人は探せば他にもいるだろうから、始めはあまり気にしていなかった。見たことのない場所も、自分が生きていたそことは違うんだと納得していた。

帝光中学に、入るまでは。


「場所なんて可愛らしいものじゃない。次元が違う。まさにその言葉の通りだった」
「…、?」
「有り得ない。そんなはずないって思ったけど、お前や涼太、他の連中を見て死ぬほど焦ったのを今でもはっきりと覚えてるよ。あーやっちまった、ってね」
「君は…僕たちを知っていたんですか?」


つい、と細められた目が僕を捉えたとき、はっとした。そうだ、返事や相槌はおろか、質問なんてもってのほか。ただ黙って聞いてくれと言われていたんだった。

僕がすみません、と小さく謝れば、彼は笑った。慌てて視線を外して下を向いたから、本当に笑ったかどうかなんてわからないけれど。なんとなく、さっきまでの張りつめた空気が一瞬和らいだ気がしたから。


「黒子」
「…っ、はい」
「無理言って、ごめんな」
「いいえ…」
「話、聞いてくれてありがとうな」
「僕は…本当に、君にお礼を言われることをしたんでしょうか」
「うん、やっぱおれの人選に間違いはなかったって思わせてくれた」
「褒め言葉ですね」
「おう」


今まで見たことないくらい、彼らしい笑顔を僕に、僕だけに見せてくれた。それだけで、褒め言葉以上の嬉しさがこみあげてきて。思わず体が震えてしまった。

憑き物が落ちたような、すっきりとした表情に、彼が一人で抱えていたものの重さがわかったような気がする。

最後に大きくブランコをこいで、彼は飛び降りた。軽やかに着地した背中はすぐに僕に向き直って、彼を見上げてしまうくらい僕との距離を縮ませた。


「黒子」
「はい」
「ちょっと手貸して」
「?、どうぞ」


僕が差し出した手を、彼の少し柔らかさを残した手が掴んだ。同時に、心臓を掴まれた錯覚を覚える。

手、というより、手首を掴んだ彼は、僕の脈拍を感じ取っているようにも思えた。重ねられた手へと落されていた視線が、ゆっくりと僕自身へと注がれる。ふと、彼が笑って。あ、今少しだけ、女の子らしかったような。

手首を掴んでいるのとは逆の手が伸びてきて、僕の頭を撫でた。音もなく顔へおりてきた手は少し震えていて。そんなに怯えなくても、僕は此処にいるというのに。


「生きて、いるんだな…ちゃんと…」
「当たり前です」
「"ここ"に、いるんだな」
「はい。君も、ちゃんとここにいますよ」


不確かなものを、確かなものだと認識したいんだ。そう言って彼はまた笑った。今度はちゃんと、名字名前の顔として。

そろそろ帰ろうか、と切り出した彼は、何事もなかったかのように僕の手を放して背を向けた。なんだか物足りない感じはしたけれど、満足そうに笑う彼を見ると、こちらも自然に頬が緩むのがわかる。

僕がブランコから立ち上がるのと、彼が「そうそう」と言葉を紡ぐのは同じタイミングだった。


「あの質問の返事、『特別』に教えてやるよ。答えはイエス。知っていたよ」


振り返りざまにニコリ、と笑って去った彼の目は、確かに語っていた。これは、彼だけが知る彼の昔話の、ほんの一部にすぎないんだと。

このことを誰にも言うな、と言わないあたり、なんとも彼らしいと僕が笑ったこと、今は知らなくていいですよ。
-----
勝手に転生主設定、原作知識あり。

ALICE+