「降旗くん、お客さんよ」
「へ?」
カントクの声に、今まさにボールを投げようとしていた体勢を寸で止め、情けない声でそれに反応した。入口のほうをちらりと見たカントクにつられて、俺も同じ方向を見ると、そこには思いもしない人物が立っていて。
無意識のうちに体が駆け出していたのか、俺が持っていたボールが手のひらから落ちて、逆方向に転がっていく。周りの音がすべて、シャットダウンされた感覚に陥った。
「っ、名前!」
「よぉ」
憎たらしいほどのその笑みは、驚きに染まる俺の顔を見て心底楽しんでいるとしか考えられない。
記憶より少し伸びた髪は相変わらず綺麗なすすき色をしていて、少し長くなった前髪から覗く切れ長の目は、以前と変わらぬ魅入られそうな灰色の目をしていた。
「お前、その制服…」
「気付いた?そ。おれ明日からここの生徒だから」
「え?でもお前、京都に行ったんじゃ…?」
「んー、ちょっと我が儘言ったんだ」
「はぁ?」
「やっぱおれ、お前がいないとダメみたい」
「っ!」
なんだよ。急にいなくなったと思えば、戻ってくるのも急で。いきなり会いにきたと思えば明日から同じ学校の生徒だとか。
そんな緩みきった顔で俺がいないとダメだとか言うなよ。こんな嬉しそうで優しい表情なんて、他の奴には見せないくせに。俺にだけ見せてんじゃねぇよ。
そんなこいつの行動にこらえきれなくなって、飛びつきたい衝動に駆られたけど、ここは体育館の入り口であって、俺は部活中。周りにはバスケ部だけじゃない、外で活動してる運動部の目だってある。
行き場のない手をゆるゆると彷徨わせている俺の心情はバレバレなのか、あいつは小さく笑って。
「ただいま、光樹」
ふわり、と、それでも確かに強く抱きしめられた腕の中は、酷く懐かしい温かさがあった。周りが見てるとか、そんな理由で押し返せるほど、俺の心に余裕はない。
目頭が熱くなって、鼻の奥がツンとする。あ、これ絶対気ィ抜いたら泣いちまうとわかってたから、目の前の肩にのしかかるように両目を押し付けた。
「(泣くなよ俺。絶対泣くな)」
だって、真新しい香りがする制服を、さっそく俺の汚いもんで濡らしたくはなかったかし。っつかこいつなんでもそつなく着こなしやがって。むかつく。ちょっとカッコイイとか思った俺死ね。
「あーこれ。これだよおれが求めてたのは。うん、やっぱ、帰ってきて正解だったわ」
「…なんだよ、勝手に行ったくせに」
「拗ねんなよ」
「す、拗ねてねーよ!」
「はいはい、泣くなって」
「泣いてもねーよ!」
赤子をあやすかのような手つきで俺の背中を撫でる手が、少し震えていたような気がした。ああこいつも、俺と一緒できっと泣くのを我慢してんだろうなぁってぼんやりと思った。
なんだか無性に、名字名前という存在がたまらなく愛おしくなった。
「光樹、おれ、待ってんだけど。お前の口からまだ聞いてねぇ」
背中に回されていた腕がほどけて、俯く俺の顔を覗き込むようにしてあいつが言った。
今の俺の顔はいろんなもんでぐちゃぐちゃで、とても見れたもんじゃないってのに。こいつ絶対確信犯だ!だってちらりと見た口元がニヤニヤしてたからな!
それでも言わなければ。言って、俺もお前がここにいるってことを実感したい。
一度だけ強く目元をぬぐって、キッと睨んだ正面にはなんともいえないくらい綺麗な顔がそこにはあって。ああもう、折角クリアになった視界が一瞬にして歪んでしまったじゃねーか!
それでも俺の言葉を待ってるこいつがいるんだから。俺に会いたくて戻ってきてくれたんだから、受け入れないと。っていうか、拒否するつもりなんて毛頭ないけど。
「…おかえり、名前。おっせーよバカ。死ぬほどおせぇ。待ちくたびれたっつーの」
「へへっ、おう」
どれだけ憎まれ口を叩いても、今最高に幸せだって言いかねない顔しやがって。その余裕っぷりがすっげー腹立つけど、何故だか素直に喜んでる自分がいて。
またこいつと一緒に過ごせるんだなって思うと、じわじわと俺の顔も緩んできた。二人して情けない顔で笑いあう俺たちを見て、周りから説明しろ!と言い寄られたのは言うまでもない。
なんとなく物足りなさを感じていた高校生活のスタートは、5月の初めにしてその悩みは綺麗さっぱりなくなったのだった。
きみがいないと息もできない
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