自慢ではないが私は一度、彼、名字名前からそれはもう熱烈な告白をされている。
それは私だけがされたのではなく、従兄の大ちゃんにも彼は同じことを告げた。場所も時間も空間も、私と大ちゃんは何一つ違えることなく彼から告白をされたのだった。
*
いまでもはっきりと覚えている。
小3の終わりに転校して遠くへ行ってしまった彼が、小6のお正月に一人で帰ってきたときの話だった。忘れもしない。凄く鮮明に、ノイズが入ることなく私の記憶に保存されているそれは、口にはしないけれどきっと大ちゃんも一緒だと思ってる。
その日はずっと雪が降っていた。あと2時間で今年が終わるねーなんて言いながら、ぼんやりと大ちゃんの家のリビングでテレビを見ていたときだった。
― ピーーーーーン、ポーーーーーン…
独特なチャイムの鳴らし方に、それを聞いた私と大ちゃん、そして大ちゃんの家族はピタリと動きを止めた。ばっとお互い顔を見合わせた私たちは、え?え?と混乱するばかりだった。
それは彼が、家にきたことを告げるときの決まった鳴らし方だった。だからこそ、私たちは驚いた。ここに彼はいないはず。けれどチャイムが物語るのは、彼がいる証拠だった。
なんだかちょっと怖くなった私を置いて、誰よりも早く大ちゃんが玄関へと走った。それを見送りながら、大ちゃんのお母さんが今年は来るなんて言ってたかしら?と独り言をこぼした。
すぐさま彼のお母さん、もとい大ちゃんのお母さんの妹さんへ電話をしていた姿を視界の端に収めながら、私は大ちゃんがかけていった玄関へ続く廊下をじっと見つめていた。私は怖くてリビングから動けずにいた。
「…っ、名前!」
玄関をあけた音がして、一瞬間があったのをリアルに覚えている。
それからみんなに聞こえるには十分な大きさで、大ちゃんは私たちが想像していた通りの彼の名前を叫んだ。それを聞いてすぐ、私も玄関へと走り出した。彼の名前を聞いて、一瞬で恐怖心が飛んでいった。
そこには所々に雪を積もらせた彼が、少し大人びた顔で笑っていた。再会を喜んだりする間もなく、唐突に、さも転校なんかしていなかったように、それはそれは不自然なほど自然に、初詣行こうぜ!と彼は言ってのけた。
今自分の目が捉えているビジョンと、理解が追いつかないってこういうことだと思った。ほら早く、と私たちを急かす彼は、疑うほどいつも通りだった。
どうやって来たの?とか、一人なの?とか、何かあったの?とか。聞きたいことは山ほどあったのに、彼に繋がれた手から伝わる体温を感じると、なんでかそれがうまく言葉にならなかった。大ちゃんも大ちゃんで、何か言いたそうにしていたけれど、彼がそれを許さないという空気でその場を制していた。
その時の初詣のことは、悪いけどよく覚えていない。彼の登場があまりにも突然で衝撃的で、初詣のくだりがあやふやにしか残っていない。何を話したとか、私はどう思っていたとか、どういう受け答えをしていたとか。
あぁでもきっと、私たち手を繋いでいただけで、あまり会話という会話はしていなかったようにも思える。小6で手を繋いで歩くなんて、私ですらちょっと恥ずかしかったから、大ちゃんなんて嫌でしょうがなかったと思うけど、その手を自ら振り払うことなんてできなかった。気持ち的な問題でもあったと思うけれど、彼が離さないと言わんばかりにぎゅって握っていたことも一つの理由としてあげていいと思う。
初詣から大ちゃんの家へ帰ってきた私たちに待っていたのは、新年早々親たちからのお説教だった。何も言わず、万全な準備もしていかないまま出ていってしまった私たちは、それはそれは心配され怒られてしまった。
それを悪いと思っていた彼は、初詣に行く途中で、私に自分のつけていたマフラーと帽子、それと右手の手袋を貸してくれた。羽織までも脱いで貸そうとしてくれたときはさすがに断ったけれど。大ちゃんには大き目のカイロと左手の手袋を渡していたと思う。
でも私たちが怒られたのはほんの15分くらいで、その後すぐに私と大ちゃんは二階にある大ちゃんの部屋へと押しこめられた。彼だけを、下のリビングに残して。
今から起こることを、予想していたんだと思う。彼は笑って、後でそっちに行くから待ってて、と私たちに手を振った。
どれくらい経っただろう。新年を迎えたというのに、それらしいことを一つもしていない年はその時が初めてだった。
一緒の部屋にいるのに私と大ちゃんは一切の言葉を交わさなかった。私は時計を見たり、さっきまで借りていた手袋を見たり、窓の外で振り続ける雪を見たり。大ちゃんはずっと、部屋の扉を睨むようにしてじっと見つめていた。
大ちゃんの部屋の蛍光灯が、じーっという音を立てているのが聞こえてくるくらい、この部屋は静かだった。時折聞こえる一階の声をできるだけ聞き取れないだろうか、なんて考えていたときだった。
声が止んだ。そしてリビングの戸が開いて、二階へと続く階段を上る音が聞こえてきた。大人の足音じゃないそれは、言わずもがな彼のものだと確信した。
私も大ちゃんも、今か今かと食い入るように部屋の扉へと意識を集中させた。すぐにでもドアノブが回るのを想像していた私たちだけれど、待てども待てどもその瞬間が訪れることはなかった。
あの足音は幻聴だったのだろうか?とちょっと怖くなった私を置いて、また大ちゃんが一番に動いた。焦らすな!というように勢いよく開かれた扉の向こうでは、やっぱり彼がいて。よかった、幻じゃないって、酷く安心した。
先程の玄関で見せたような笑顔はなく、ずっと下を向いたままそこで立ち尽くす彼にイライラしたのだろう。大ちゃんが彼の手をとり勢いよく引っ張ってそのままベッドへと投げた。きゃ、と短い悲鳴が私の口から漏れるけれど、それに構っていられないほど大ちゃんは怒っていた。
ベッドに投げられた彼はいてぇ、と呟き、起き上がる前に大ちゃんが彼に馬乗りになって押さえつけた。そして彼に向かって大きく吠えた。
「今まで何してやがった!なんで急に来たりした!なんで遠慮なんかしてんだ!わけわかんねぇ!お前っ!わけわかんねぇよ!」
「ちょ、待っ「何も言わずにいなくなったと思ったらひょっこり現れて、何もなかったかのように笑って、一人でうだうだ考える前にオレに頼れってあれほど言っただろうが!ふざけんなっ!」
「だ、大ちゃん!」
「さつきもなんか言え!こいつに!怒れ!じゃなきゃ気がすまねぇ!」
私は目の前の状況に頭がついていかなくて、ただただ大ちゃんの言う言葉の意味を理解しようとしていたけれど、その時の私にわかることなんてなかった。でも一つだけわかったのは、彼がずっと私たちに会ったときから何かを伝えようとしてくれていたことだった。
大ちゃんに押さえつけられて怒鳴られた彼の目には、大粒の涙がぼろぼろとこぼれていた。大ちゃんが焦ったように今まで力を入れていた腕をどかした瞬間、彼はピンと張っていた糸が切れたようにわんわんと泣き出した。声を抑えることなく、恥ずかしがることもなく、ただただ何かを吐き出すかのように泣いた。
大ちゃんの部屋の扉は開いたままで、絶対一階にいるみんなにも聞こえてるはずなのに、誰一人として様子を見に来る気配はなかった。後は私たちに任せたよ、とそう言われてる気がした。
ようやく落ち着いてきたのか、彼の涙は底をついたかのように収まってきた。そしてぐずぐずと鼻をすすりながらぽつりと、情けねぇ…と言った。
「いつものことだろ」
「ひでぇ…っつか重い。足痛い。のけ」
「やだね」
「はぁ…ちゃんと話すから。逃げないから。どいて大輝」
ごしごしと服で目を擦ってそう言った彼に、しばらく考えた大ちゃんだったけれど、ようやく彼の上から体を離した。それからすぐに彼は体を起こして、あぐらをかいた。
すっと、私のほうを見た目は泣き腫らして赤くなっていて。おいで、と呼ばれて、私たち三人、大ちゃんのベッドの上で向かい合うように座った。
「おれ、お前たちに言いたいことがある。ちょー真剣に言うから絶対に茶化すなよ。茶化したら二度と言わないから」
そういう彼の言葉がいささか真剣みを帯びていないことを、既に茶化しそうになった大ちゃんにいち早く釘を刺した。私は言葉もなくうん、と頷いて、彼の目を見た。大ちゃんも、わかったよ、とぶっきらぼうにそう言って彼の目から視線を逸らした。
それから少し、大ちゃんの部屋をぐるっと見渡しては目を伏せて、小さく笑った彼は、いつもとは違うか細い声で、ゆっくりと言葉を紡ぎだした。
一字一句聞き逃すことのないように、私も真剣に、彼の声を拾うことに集中した。
「驚く、と思う。絶対。今から言うこと。気持ち悪い…、って思うかもしれない。特に大輝。でも、それでも、最後まで聞いてくれたら、嬉しい…」
「うん、わかったよ。ちゃんと聞くよ」
「ありがとさつき」
「わかってっから、早く言え」
「そう急かすなよ。心の準備がいるんだから」
下を向いていた彼の顔が、意志を固めた強い眼差しで、私たち二人を見据えた。心臓が一度、大きく跳ねた。
「おれ、お前らが好きだ。大好きだ。お前ら以外にこんな好きになる奴絶対いないってくらい、…好き、なんだ。友達としてとか、家族としてとか、そういう意味じゃないんだ。なんかこう、生きる理由っていうか…。や、それはちょっと重いか。他になにもいらないくらい、お前らがいてくれたらそれでいい。そのまま人生終えてもいい。そういう"好き"だ」
そう告げた。
ちくたくちくたく、じーっ…じーっ…、しとしとしとしと。周りの音が嫌に耳をつく。彼の言葉を最後に、息遣いも聞こえないくらいの静けさが部屋を覆った。
今まで告白をされたことはあったけれど、これほどまでに真剣で、触れたら一瞬で火傷をしてしまうくらい熱を帯びて、心の真ん中にどすんと落ちる、嘘偽りない真っ直ぐな気持ちを、こんなにも惜しげもなく目の前に差し出されたのは、後にも先にもこの時だけ。
同年代の幼稚な恋愛模様なんか比べものにならないほど、彼の告白はその言葉の持つ意味通りのものだった。それは、私と大ちゃんの言いようのない"何か"を変えたということだけは明確だった。
それだけ言いに来た、と言った彼は、翌朝何事もなかったかのように本来のいるべき場所へ帰っていた。朝起きたら彼は跡形もなく姿を消していて。昨日の出来事がまるで夢なんじゃないかって錯覚してしまうほどだった。
私の寝ている間にいなくなってしまった彼を、大ちゃんが見送ったって知ったのはその日の夕方だった。珍しく私より先に起きていた大ちゃんが、珍しく早く眠りについた後に、大ちゃんのお母さんから聞かされたのだ。
その時、彼と大ちゃんが何を話したのかは聞くに聞けなかった。私が聞いたところで大ちゃんは何もしゃべらないだろうって子供ながらにもわかったからだ。
「(そういえば私…返事してないや…)」
彼がそれを必要としなかったから言えなかった。それでも確かに、あの告白を聞いたとき、私の中に芽生えたのは彼と似た感情だった。同意の言葉を口にするまえに牽制されてしまったから、消化不良のまま体の奥に残っているコレを、いつ引っ張り出そうかと模索している。
大ちゃんは、彼に返事をしたのだろうか?彼を見送るときに、返事に近い何かを言ったのだろうか?
子供ながらにもあの告白にたくさんの覚悟と決意があったことを感じ取っていた私は、彼が好きだと言った言葉に嫌悪感を抱かなかった。
*
「さつき、帰るぞ」
冬休みが終わって始業式があった今日、珍しく一緒に帰るぞ、って大ちゃんが言ってきた。いつも周りに茶化されるのがイヤで、別々に帰ることが当たり前になりつつあった日常が、突然昔みたいになったのは彼の所為だとも言える。
二人で教室を出るときにクラスのみんなにやっぱり前のように茶化されたけれど、私も大ちゃんもそれに対して前のような反応はできなかった。はいはい、と受け流す大ちゃんの背中を見ながら、私は一緒に帰ると言った意味を少しだけ理解していた。
あの告白を受けた後で改めて周りを見ると、いかに彼が子供らしからぬことを言ったのかがよくわかった。それを目の当たりにした私たちだからこそ、こんな風に茶化されても反応する気が起こらなかった。
しばらくの間私たちに会話はなかった。私の前を歩く大ちゃんはずっと先を見据えてて、私はその様子を眺めたり下を向いたり、なんだか落ち着かなかった。胸の奥がざわざわとして、家までの道のりがすごく遠く感じた。
「お前さ、あいつのあれ、どう思った?」
「え?」
唐突に大ちゃんから言われた言葉を頭の中で反復させていると、立ち止まった大ちゃんが私を振り返ってもう一度同じことを別のニュアンスで言い直した。
「あいつの告白、気持ち悪かったか?」
その問いに、私はただ首を横に振った。それを見た大ちゃんが何でか難しい顔をしたけれど、その真意はわからなかった。
「じゃあ、嬉しかったか?」
「………、わかんない。そういう大ちゃんは気持ち悪かったの?」
「…、知らね」
「なによそれ。人に聞いておいて自分は知らないって…」
「だってわかんねぇ」
難しい問題に直面すると考えることもせずにすぐ諦めてしまう大ちゃんが、彼の告白を聞いていっぱい悩んだんだとわかった。それくらい大ちゃんにとってあの告白は衝撃的なものだっただろうし、考えないわけにはいかなかった。
他でもない、彼からの告白だったからだ。
「じゃあ嬉しかったの?」
「………、気持ち悪いとか、嬉しいとか、そういう気持ちにはならなかった。ただなんつーか、びっくりした。それだけ」
「あ、うん、それすごくわかる。私も、びっくりした」
「でも、なんだろな…あれ聞いて、なんか納得した」
「え?」
「だってあいつさ、たまにオレとさつき以外どうでもいいって顔してたから」
「あ…」
「オレはそれを知ったとき、なんかちょっと嬉しかった。そんであの告白だろ?別に嫌な気分にはならねぇよ。でも…さつきがそれを聞いて嬉しいって思うなら、なんかいやだ」
「え…?どうして?」
「さつき、頼むから、名前だけは好きになんじゃねぇぞ」
私の目を強く見つめて、大ちゃんがそう言った。
「!、な、なんで、大ちゃんがそんなこと言うの。私が誰を好きになるかなんて、私の自由だよ」
「うるせぇ。名前はダメだ。いくらさつきでも、それだけは絶対ダメだ」
大ちゃん、それどういう意味で言ってるか自分でわかってる?あの時の私は、なんとなくでしかわからなかったけれど、今ならしっかりと理解できるよ。あれは私のために言った言葉なんかじゃなくて、私からどうにかして彼を遠ざけたい一心で言っていたんだって。
従兄だとか、性別だとか、そういうカテゴリーなんか関係なく、一人の人間として彼のことを好きになっていた大ちゃんだから、私に釘を刺した。私の気持ちが真剣に彼に向いてしまう前に。その気持ちが肥大してしまう前に。
きっと本能でそうしたんだろうけど、今思えばそうしておいて正解だったね。おかげで私、大ちゃんが望んだとおりになってしまったから。けれど、彼を忘れるためにテツくんを好きになったわけじゃない。この気持ちはちゃんとあのときの彼と同じ感情で、同じ目線でテツくんを見ているから。
そんな私を見て心底安心したように笑うズルい大ちゃんを、私は応援なんかしてやんない。早々に私に釘を刺した罰として、大ちゃんより私に甘い彼の愛情をこれみよがしに受け止めてやるんだから。それくらい許されなきゃやってらんないわ。
わたしが悪役になる
その生産性のない恋愛ごっこが、いつの日か羨ましいほどのラブロマンスになりうるまで。
(本当は私にだって、可能性はあったはずなのに)
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