彼は僕を見ると必ずと言っていいほど僕の名前を呼んでくれる。悪意もわざとらしさも感じさせないその声を、僕は酷く気に入っていて。どうやら三郎は、その反対らしいのだけど。

でも、いつも三郎から聞かされる彼の愚痴に、僕も不思議に思うことがあった。何故、見分けがつかないのか、ということだ。

教師や六年生ともなれば、話は別だけれど、仮にも五年間の時間を共有し、一番近い場所で三郎の変装を見てきたにも関わらず、彼はいまだに僕らを間違える。

いや、僕ら、というより、それが僕じゃなくても彼は間違えるのだ。彼の中で、目の前にいる人物が三郎かもしれない、という疑いが一切無く、見たままの姿を鵜呑みにして接してくる。と、言うことは、だ。彼の中で、この姿は不破雷蔵としか認識されていない、ということになる…のだろうか?


「ねぇ名前、僕のこと、三郎に見える?」
「えー?またその話ー?なに?お前三郎なの?」
「や、違うけど…その、仮にさ、三郎だと疑うことってないのかなって思って」
「どっからどう見ても雷蔵にしか見えないのにどう疑えってんだよー」
「それ!それだよ名前!」
「え?どれ?」
「なんでどっからどう見ても不破雷蔵にしか見えないの?三郎が僕の顔を借りて過ごしているのは君も知ってるよね?」
「うん」
「ならどうして僕の姿を見ても不破雷蔵の一択しかないの?」
「はぁ?だってそんなん不破雷蔵は一人しかいねーからじゃん」
「…は?」


思わず今までの疑問を彼にぶつけてみたはいいものの、返ってくる返答はどれも予想外のことばかりで。君の頭の中、本当、どうなってるのさ?


「だからー、三郎は雷蔵の姿、形を借りてるだけであって、不破雷蔵は実際に一人しかいねーだろ?」
「え…うん…」
「例え三郎じゃない別の誰かが雷蔵に化けていたとしても、俺の目に映るのが雷蔵なら、俺はそれを雷蔵って呼ぶよ」
「…っ、!」


なんていうか、頭を鈍器で殴られた感じというのは、こういうことだろうか。

彼が僕の存在は一つしかない、そう言ってくれたとき心から嬉しかった。誰もが僕を見たらどっちの名前を呼べばいいのか、と迷ってしまう。僕はその姿を見る度に少しだけ三郎を恨めしく思ったことも、正直ある。

けれど、彼が迷いもなく思いっきり僕の名前を呼んでくれることで、僕は自分の存在を再確認できていたというのに。それが全部、崩れ去った気がした。裏を返せば、彼は僕と言う人間を全然理解していないんだ。それは僕だけじゃなく、他の人にも言えることで。

三郎のように妖者(ばけもの)術を得意とする人が化けても、そうじゃない人が化けても、彼の目に映るのが僕ならば、彼はそれを全て「不破雷蔵」として認識してしまう。全然知らない人が僕に化けていたとしても、彼はその人に本来の僕と同じように接して、笑いかける。


「(なんだこれ!なんだよこの気持ち!…凄く、嫌だ…!)」


それならばいっそのこと、思いっきり間違えてくれるほうが清々しい気がした。なのに心のどこかで、見分けてほしい、見つけてほしいだなんて。これじゃあ三郎と同じじゃないか。僕も、人のこと言えないや。

でも僕なんかまだいいほうだと思った。だってこれじゃあ、鉢屋三郎の存在がどこにもない。三郎が化けていても、他の人が化けていても、それが僕の姿を借りているのなら、彼の中で三郎という選択肢は初めから無いのだ。

鉢屋三郎は確かにこの忍術学園に存在するのに、彼の中ではまるで七不思議のような不安定なものとして存在しているのだろう。

僕と三郎が並んで、初めてそこで鉢屋三郎の存在を認識できたとしても、じゃあどちらが不破でどちらが鉢屋なのか、と問われると彼は迷わず「わからない」と答えるのだ。

彼の中で、鉢屋三郎が確かに此処にいる、と思わせるには、彼になるしか答えはない。


「(名前の姿を借りて、名前の目の前に立たなければ、お前はずっと、あるようでない曖昧な存在にしかならないんだぞ…)」


彼に悪意がないからこそ、突きつけられた現実に吐き気がする。

それでも僕らは、彼と過ごした五年間に、確かな絆があることを証明したいんだ。


「僕は…ね、名前。もし誰かが名前に化けていたとしても、僕は絶対、見分けられる…!」
「え?」
「僕は名前を見分けられるよ!」


だから君も、僕らを見分けてほしい。そんな願いを込めて彼の目を見つめれば、酷く驚いた顔をしていたけれど、彼らしいへらりとした笑みになって。


「それは無理だな」


そう、言ってのけるのだ。僕は真剣に言っているのに、なんで笑って無理だと言うのだろうか。


「雷蔵…今、雷蔵の目の前にいるのが、本当に名前だと思っているのか?」
「えっ…!?」


まるで三郎が種を明かすときのような、そんな声色、そんな表情で僕を見た。

彼は、名前じゃない?嘘だ…どこからどう見ても彼は名前で、僕の知る名前で。これが三郎の変装?本当に?


「………ッ、三郎…、なのか…?」


ごくり、と唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。僕の言葉に、彼は肯定も否定もしないで、ただふわりと笑って。


「雷蔵、つまりはそういうことだ」


僕らは此処で、相手を疑うことや欺くことを教えられて、育ってきた。

どこからどう見ても彼だと思う僕の心に疑いなどない。でもそれは、彼が僕のことを不破雷蔵だと思う理由と一寸狂いなく同じなのだ。

言葉一つでこんなにも揺らいでしまう感情に、捨てたはずの人間臭さがちらりと顔を出す。


「っ…それでも君は、三郎でも誰でもない。名字、名前だろう?」
「おう。そんでもって、お前は不破雷蔵だろう?」


彼はどこまで、僕らに対して残酷なのだろうか。けれど僕らは彼を責めることができない。できないんだ。



成績優秀だけど迷い癖が玉に傷。それがお前なんだから、もっと悩んでもっと迷って強くなれよ雷蔵。

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