縁側に座ってぼーっと外を見ている彼に近付くと、気配でわかったのかちらり、と目だけでこちらを見てはまた視線を戻した。

流れる雲を見ているのか、風に揺れる草木を見ているのか、なんの変哲もないそれを見続ける彼の隣へ静かに腰を下ろせば、なに?と一言、発せられた。


「や、なんか…傷心中?」
「はは、そう見える?」
「…なんとなく。元気には見えない」
「そ」


何かあったのだろうか、と思案するも、それを口に出すことはしなかった。きっと、彼のことだ。聞いたって答えてくれやしない。

別に根掘り葉掘り聞くために隣へ座ったわけでもない。だからこれでいいんだ、と心の中で思ってはいても、やはりいつもの彼じゃない姿が気になってしょうがないのだ。

今日の夕飯で彼の好きなおかずがあったらそれをあげよう、なんて。食べ物で機嫌を取ろうと考えてる自分に、今日は珍しく、彼から口を割った。


「兵助はさ…」
「うん?」
「雷蔵と三郎…見分けられんの?」
「えー…?あー、まぁ…百発百中じゃないけど」
「へぇ…なんで?」
「なんで、って?」
「なんかコツとかあんの?」
「コツ?んー…難しいな…私の場合ほぼ直感に近いっていうか、理屈じゃないから」
「天性の才能か」
「そんな大層なものじゃない」
「八も勘ちゃんも、見分けられんのかな…?」
「まぁ、絶対じゃないけどだいたいは見分けてるんじゃない?三郎には三郎の、雷蔵には雷蔵の雰囲気があるから」
「雰囲気?わかんの?」
「なんとなく、だけど…」
「ふーん…」
「名前?」
「わかんねーのは、俺だけかぁ…」


そう言って、空を仰いだ彼の横顔はどこか疲れを帯びた表情にも見えた。

わからないのは、彼だけ。幾度となくその場面を目にしてきたからこそ、その言葉が嘘じゃないことくらい容易かった。

そう、彼は見分けられない。あの二人を、というよりかは、三郎の変装を。三郎の変装というよりかは、誰かが演じる偽りの姿を。

忍者としてこの世を生きていくという志があるのならば、その欠点は致命的だと思えた。彼がここを卒業したあと、例え忍者にならなくても、見抜ける観察力や警戒心はあっても損はしないはずだ。


「先生に、なんか言われた?」
「それもあるけど…でもそれはもう先生も諦めてるっていうか、なんかそんな感じ」
「まぁ、今更か」
「そう、それ。今更だろ?なのになんでかな…今更、そんな突き詰めて問われるとは思わなくて…」
「三郎に?」
「と、雷蔵」
「雷蔵も?」


珍しいこともあるもんだ、と驚いている中、彼がこっちを見て険しい表情を作る。それになんだ?と言うように首をかしげると、更に眉間にしわが寄った。


「お前は久々知兵助か?」
「?、そうだけど。違うのか?」
「俺に聞くなよ。わかんねーから聞いてるのに」
「わからない?なんでさ?」
「誰も、信じられなくなりそうだ…」
「え…?」
「俺は馬鹿だから、自分の目で見て感じたことしか信じれないし、嘘もつけない。だから、こうやって俺の隣にいるのが兵助なら、迷わずそれを兵助だと信じてた」
「…信じてる、じゃなくて?」
「今までの俺なら、そう言ってるだろうなぁ。でも、それももうできなくなった」
「どういうことだ?」
「目の前にある真実を鵜呑みにするな。疑え、迷え、と言ってきたのはお前たちだろう」


ふいに立ち上がって数歩進んだところで、彼は歩みを止めた。


「名前…?」


ぐっと見上げた空は朱色が滲んでいて、肌にあたる風は少し冷たさを混ぜ合わせていた。

それでもゆるやかに吹く風が、彼の綺麗な焦げ茶色をした細く長い髪をゆらゆらと遊ばせていて。夕日の赤が、彼の髪に溶け込んでいて、思わず息をのんだ。


「俺さ、三郎って本当にすげぇって思ってんだ」
「まぁ…、あいつは天才だからな」
「三郎の妖者(ばけもの)術はプロに引けを取らないほどだって思ってる」
「褒めすぎだろ」
「いやいや。マジで。まだ本気じゃないだけで、ちゃんと通用してる」
「その割にすることと言えば下級生を驚かせたり、上級生や教師に悪戯したり、と。才能の無駄遣いばかりだがな」
「ははっ、そりゃそうだけど!だから、俺はもっとそのことを誇りに思えばいいのにってずっと思ってきた」
「誇りに?」
「それだけの技術と才能があるんだから、もっと誇ってもいいと思うんだ。三郎ほどの逸材が同じ学年にいて、同じ仲間として勉学を共にしたことは、俺の中でちょっとした自慢なんだ」
「おいおい、それはちょっと買い被りすぎやしないか?」
「それくらいの存在なんだよ。俺にとって、鉢屋三郎ってのは」


その言葉を聞いて、自分の中で渦巻く嫉妬が芽生えた。初めて明かしてくれた級友への彼の本音が、三郎に対しての心情だったことに、衝撃すぎて次の言葉が出てこない。

三郎と同じ時間を、自分たちも一緒に過ごしたというのに。彼の口からは三郎の名前しか出てこないことに、どうにかなりそうだと思った。そんな私の気持ちをこれっぽっちも知らない彼は、私に背を向けたまま尚も語る。


「三郎の妖者術が凄いから、俺には雷蔵なのか三郎なのか、それが三郎の変装かどうかなんて、わからないんだって思ってた。だから、どうして気付かないんだって、なんで気付いてくれないんだって、怒られる意味がわからなかった」
「でも、私たちは…」
「うん。兵助たちは見分けられるんだろ?たとえそれが完全じゃなくても、三郎の変装じゃなくても。もしかしたら三郎なんじゃないかって、思えるんだろ?」
「始めから全部、疑ってるわけじゃないぞ?」
「わかってるさ。何かの拍子に疑問が生じて、もしかしたら三郎なんじゃないかって、その答えに行きつくことができるのがお前たちだ。俺は、その疑問が生じたことがない。それは三郎の変装が完璧だからだって信じて疑わなかったからで…でもそうじゃなかった」
「………」
「そうじゃなかったんだよなぁ…単に、俺が馬鹿なだけだった」
「…っ、名前は、馬鹿なんかじゃない!」
「馬鹿だよ。言われるまで気付かない。問い詰められるまで、疑わなかった。三郎の気持ちも、雷蔵の気持ちも、俺は無下にした。三郎の才能の所為にして、友としての彼らを見ていなかった」


気付いてほしい三郎と、見分けてほしい雷蔵と、疑うことを覚えてしまった彼に対して、なんと言葉をかけたらいいのだろうか。

そうじゃないんだ、と言いたいのに、それは酷く無責任な気がして、結局何も言えないまま彼の背中を見つめ続けた。そして彼は、こちらに振り向き、こう問うた。


「兵助…、お前は本当に久々知兵助か?」


そう聞かれるのは今日で二回目だ。内容に変化はなく、さっきと同じように肯定すれば何の問題もないはずなのに。何故、こんなにも答えに戸惑うのか。

一言でいい。たった一言、そうだ、と言えば少しは彼の気を晴らすことができるというのに。答えられないのはどうしてか。

彼があまりにも泣きそうな顔で笑うから?彼の問いに、今にも泣きそうな自分がいるから?心の中で繰り返す彼の問いかけに、自分が自分じゃなくなるような気がした。



何も難しいことは聞いていなくて。俺はただ、さっきと同じ返事がほしかっただけなんだ。なのになんで、何も言ってくれないんだよ兵助。

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