最近、誰かに監視されているような視線を感じる。周りを森に囲まれて俗世と断たれたこの閉鎖的な場所で、その視線の正体をなかなかつかめないでいた。最初は一緒にいる人たちが僕を警戒しているからだと思ってはいたけれど、どうやらそれは間違った見解だった。
目に見えない何かに監視されている。それは一般人が亜人の出す黒い幽霊によって監視されていると感じるそれに似ているようだった。
IBMによって僕が監視されているというのなら、僕にその対象が見えていてもおかしくないはずなのに、黒い粒子どころか人影すら見当たらない。なんとも気味が悪い。

それを誰に相談することもないまま一週間が過ぎようとしていた。
暑い日差しが降り注ぐなか、体を鍛えるためのトレーニングをこなしているときだった。彼が、ふらりと現れたのは。


「あーやっと見つけたぁ〜。ここまで来るのしんどかったぁ〜」


予期せぬ訪問者に皆が警戒態勢をしくなか、僕は驚きで体が動かなかった。見慣れた警官の服とは違い、ラフな格好で散歩でもしてきたかのような服装。僕の居場所を知るはずのない彼がどうして今この場所にいるのか。
最悪の事態を考えて、喉の奥が急激に渇いていくのを感じた。


「っ、名前…なんでここに…?」
「圭、ずっと探してた。見つけるのに苦労したけど、会えてよかった」


震える声を絞り出し、彼の目を見た瞬間、彼は酷く安心したように笑った。そんな彼の姿が見れただけでもう思い残すことはないと思った。
二度と会うことはないと思っていた。再会したときはきっと追う側と追われる側だと思っていた。

ざわつく周りと距離を置き、彼は両手をあげて敵意がないことを示す。すばやく事態を察知した戸崎さんが現れて、下村さんと共に彼は建物の中へと半ば強制的に連行されていく。犯人を連行する立場にいるくせに、なんて情けない様なんだと呆れそうになる。
反抗もせずにされるがままにしていた彼が、僕の名前を呼んだ。すかさず戸崎さんの視線が鋭くなって「知り合いか」と問われる。


「幼馴染です」
「血の繋がってない弟のようなもんです」


その言葉を聞き、僕も同じように連行されたのは言うまでもない。無論、そうなることを見越して彼は敢えて僕の名前を呼んだのだろう。
いつも作戦会議を開く場所に連れていかれ、隣同士に座った僕らの前に戸崎さんが座り、傍らに下村さんが立つ。尋問を受けるような心情に見舞われた。


「単刀直入に聞く。お前は誰だ」
「名字名前、警察官やってます」
「!、警察官だと?」
「はい」
「…何故この場所を知ってる。というより、何故ここに永井がいることを知っている」


そうだ。彼はここに来たときの第一声が"やっと見つけた"と言った。そして僕を見て"ずっと探してた"とも言った。
僕がここにいて戸崎さんと繋がっていることはここにいる人しか知り得ない情報だ。だからといってここにいる誰かが外に漏らしたとは考えにくい。ならばなぜ、彼は僕がここにいることを突き止め、この場所に来ることができたのか。

的確な質問をする戸崎さんに、彼は一瞬口を噤んだ。そして言い辛そうに「それは…」と言葉を濁す。


「圭のことが心配で、力になりたかったから、かな」
「は?」
「答えになってないんだが?」
「つまりおれも同じなんだ。圭」
「おなじ…?」
「そ。お前と一緒だ」


そう言って少し寂しそうに笑った彼を見て、僕はふと昔のことを思い出した。かつてまだ自分が亜人だと知らない僕に、彼が言ったあの言葉。


"亜人ってなんなんだろう。なんで生まれてきたんだろう。なんのために存在するんだろう"


独り言のようにつぶやかれたそれは、どこか確定的で、疑問符のない言葉だった。まるで亜人そのものを見てきたかのような物言いだとその時確かに思った。
何故今それを思い出したのか。一つの答えが頭に浮かんで、僕はまさか、と全身が震えたのを感じた。


「圭、おれも、亜人なんだ」


戸崎さんと下村さんの息をのむ声が聞こえた。


「冗談だろ?」
「いいや」
「だってお前、あの時、そんなこと一言も言わなかったじゃないか!」


僕の言う"あの時"を彼はきっと瞬時に理解したのだろう。主語のない僕の質問に慣れている彼のことだ。言わんとしている情景は僕と同じはずだ。


「そんなの、言えるわけないだろう?何かあったとき巻き込みたくないし」
「じゃあ何で、僕が亜人だって報道されたとき、何で助けてくれなかったんだよ!!」


あぁ、違う。こんなことを言いたいんじゃない。彼を責めたいわけじゃない。けれど勢いに任せて口から出る言葉は全部、彼に縋って助かりたかったやましい心情ばかりだった。


「…言い訳はしない。罵ってくれても構わない。結果的にずっと、圭を助けられなかったわけだから圭が怒るのも無理はない。だけど聞いてくれ。おれはおれにしか出来ないことがあると思ったから、ここに来た」
「何を言っ「落ち着け永井。話が逸れたがようやく戻ってきたな。どうやってお前はここを見つけ出した?」
「あぁ、それはですね。コイツですよ」


くい、と親指で右後ろを指す彼に、皆が首を傾げる。コイツ、と言われてもそこには何もいないし、何が何だかさっぱりわからない。戸崎さんの眉間に思わずシワが寄る。


「ふざけているのか?」
「至って真剣です。圭、見えない?」
「え?」
「何も見えない?」


なんだその質問は。
それはまるで確かに存在している何かを証明したいとでもいうような言葉だった。


「………、何も見えない」


見えるか見えないかで聞かれると見えないことが事実。
今まで一般人が見ることのなかったIBMとやらを認識せざるを得ない世界へ放り込まれた今、自分にも見えない何かが存在するのだとなんとも言えない気持ちになった。
自らを亜人だと言う彼が仮にIBMを出せる亜人だったとして、彼の指し示す空間にそれがあるとしたのなら僕に見えないはずがない。それなのに。


「そうか。でもおれにはハッキリ見えてるんだ。おれが出してるバケモノってやつ」
「「えっ!?」」


僕と下村さんの声が重なった。そのことにより彼が下村さんを見て「君も亜人なのか」と呟く。どういうことだ、と戸崎さんが彼を睨み、説明を促した。


「おれも全部を理解してるわけじゃないんだけどさ、亜人の中にも色々種類があるだろ?人間で言う人種みたいなもんだよ。死んで生き返るだけの亜人。黒い幽霊を出せる亜人。いわゆる亜種、またはアドバンスって呼称されているもの。中村慎也事件のようにフラット現象を起こす亜人。多種多様に亜人にも様々なタイプがあるように、おれも亜人の一人であって、それが他の亜人とちょっと違うってことだよ」
「ちょっと?」
「ほら、出す人によって黒い幽霊の形って違うじゃん?おれのソレはなんでか透明なんだよね」
「透明!?」
「あぁいや少し語弊があるな。おれ以外の奴から見ると透明になっちゃうってこと」
「つまり、君の出すIBMは君からするとちゃんと黒いってこと?」
「えっと、誰だっけ?」
「あ、下村泉と言います」
「あぁうん下村さんね。そうだよ。おれから見るとちゃんと黒い。っていうかコイツってIBMって名前あるの?初めて知ったわ」


そう言ってそこにいるであろう彼のIBMに「知ってた?」と話しかけているが、いかんせん僕たちからすればその存在が認識できないから彼が空中に向かって喋っているように見える。


「まぁコイツに動いてもらってそれはもうそこらじゅう探しまわったんだ。視界の共有は時間と体力がいるからこの場所と圭の姿を確認するのに予想以上に時間がかかっちゃって…」
「なるほど。監視されてるような視線は名前だったんだ」
「え?視線感じてたの?」
「なんとなく。見られている気はしてた」
「へぇ。姿は見えないのに視線とかはわかるんだ?まぁ確かに半径1メートル以内で見られちゃ視線も感じるかぁ」
「!?」
「ちょっとした実験をしてたんだ。どれくらいまで近づいたら感付かれるのかって」


へらりと笑って「ごめんな」と心のこもってない謝罪を一つだけ言った彼をじとりと睨む。そんな実験を僕で試す暇があるならさっさと姿を現せばよかったものを。時間の無駄だと怒りそうになる僕を遮る形で下村さんが彼に話しかけた。


「名字くん。君は亜人について随分詳しいようだけどそれは独学で得たものなの?もし警察内でそれほどまでの情報が共有されているのならある意味問題ね」
「まぁ捜査のためっつってそれなりに情報は回ってくるからさ」
「それにしては知りすぎだ。亜人の種別や中村慎也事件については下っ端の警察官には届かないはずだが?」
「戸崎さんだっけ?厳しいこと言うね〜!でも正解。それはそれは苦労して手に入れた情報だからね。バレたら首が飛ぶどころの話じゃない」
「なんでそこまでして…」


僕の言葉に、彼は困ったように笑った。その表情がとても懐かしかった。あぁ、カイだけじゃなかった。彼もちゃんと、僕の幼馴染としてまだ存在してくれているんだと妙に感動した。


「…知りたかったんだ。自分が何者なのか。どうして亜人なのか。他の亜人とどう違うのか。知って、自分とコイツのことを理解したらきっと、圭の力になれると思ったから」
「えっ…」
「どう?おれもコイツも、圭の力になれる?」
「そ、れは…」


IBMを出せる亜人ってだけでも充分戦力になる。だがそれだけじゃない。彼のIBMが他の亜人から見ると透明に見えるだなんて、佐藤さんを止めるために集結したこのメンバーの中で誰よりも心強く有難い助っ人だった。それは戸崎さんや下村さんの表情から見ても一目瞭然だった。


「僕が望めば、何でもやってくれるの?」
「そのために来たんだから」
「それがたとえ死にそうなほど絶望的なことだったとしても?」


おかしなことを言っていると自分でもわかっていた。
亜人は死なない。けれどそんな亜人にも死は訪れる。頭を切り落とされて生え変わる瞬間が亜人でいう"死"だと教えられた。
佐藤さんと対峙するということは、そういうリスクも覚悟しておかなければならない。

頭を切り落とされた亜人の記憶が、どういうふうに作られていくのかは未知の世界だ。
例えば彼が、そうなったとして。次に作られた"名字名前"という亜人の中に、僕の存在はあるのだろうか。
もしも彼の口から「はじめまして」なんて言葉が出てきたら、それこそが僕にとって死にそうなほど絶望的なことだと思えた。

真剣な目で見つめ返してくる彼のことだ。僕の放つ言葉が、断頭を意味していると理解しているんだろう。それでもどこか確信めいた予想として、彼が言うであろう言葉を期待している自分がいる。


「大丈夫。もう恐れはない。圭が望むならどこまででも一緒に行ってやる」


ほらな。予想通りの言葉をあっけなく言ってのける。
真っ直ぐに僕の目を見て彼が口にした言葉は、あの逃走劇のさなかに思い描いていた願望そのものだった。

あわよくば、彼も亜人だったらって。それなら世界を敵に回しても死ぬまで戦えると思えた。
その瞬間が、今この時だと思った。



どうやっても死ねない終わり

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