仕事が一段落し、なんとなく庭を歩いているときだった。

「やぁ胡蝶。一か月ぶりかな?」

振り返った先にいた彼は右手を挙げてにこやかに笑っていた。
そんな彼の様子を上から下まで見て心の中でため息をつく。
一か月前に自分が手当てを施した額の包帯もなし、骨折していたであろう左手もまるで骨折なんて最初からしていなかったような手に戻っている。

「また死んだんですか」

久しぶりに会った人にかける言葉にしてはおかしすぎるが、相手が彼であるならば何も問題はない。
柱の中で私だけが知っている唯一の彼の秘密。
柱の中で私だけが知ることを許された”それ”は御館様のたっての希望だった。

「あぁ、そういえば胡蝶に手当してもらったっけ」
「備品の無駄なので致命傷を負ったなら自害してくれません?」
「人目があるとそうもいかないじゃんか」

彼は死なない。
いや死なないと言えば語弊がある。
一度は死ぬが、戻ってくるのだ。
ちゃんと死んで、戻ってくる。

彼は鬼ではない。
鬼ではないが人でもない。
人の皮をかぶった”なにか”であることは変わらない。
それでも御館様がそれを許し、鬼殺隊に席を置き、日輪刀を持ち鬼を狩る彼は鬼殺隊と呼ぶ他ない。
胸糞悪いったらありゃしない。

「お詫びとしていつものやつ持ってきたから機嫌なおしてよ」
「別に、怒ってませんよ」
「うっそだぁ〜」
「………」

へらりと軟弱そうに笑った彼を風が撫でた。
高い場所で結われた髪が弄ばれるように風に身を任す。
男の割に細身ではあるが、程よく引き締まった体に合う彼専用の隊服は、一見動きにくそうに見えるがそうでもないらしい。
むしろ違和感のないほど似合っているため誰も口出しできないのだ。

「いつものやつはアオイちゃんに渡したけど、こればっかりは胡蝶に直接渡さないとだから」

隊服の内から取り出した小瓶には薄紫の金平糖が20粒ほど入っていた。
無言で差し出した私の手のひらに優しく預けるように置いていく。

「体調はどう?良好かな?」
「…そうですね」

小瓶に視線を落とす私のつむじを見下ろす彼は、小瓶ごと私の手を両手で包み込んだ。
一瞬の接触にビクリと体が揺れるのを抑えられなかった。

「本当ならさ、無理しないでとか、体を大事にしてとかいうべきなんだろうけど…俺は君の復讐を応援するよ。そのために力を貸すことも惜しまないし使えるものはなんだって使ってほしい。だってこれは悪いことじゃないでしょ?良いことかと聞かれると即答はできないけどね」

私が彼の秘密を知っているように、彼もまた私の秘密を知っている。
お互いの秘密を共有し合ってからは彼は私の協力者になった。
薄紫の金平糖は藤の花から抽出した毒の塊だ。
こんな可愛らしい見た目をしておきながら、食べると私の体を蝕むものだ。

彼の声に意識を持っていかれていたが、ふと目に入った彼の手は無骨ではあるが細く、それでいて綺麗な手だった。
私の小さくて柔いものとは違い、男性の手だった。

「俺も一個食べてみたけど、今回のはなかなかうまくいってるよ。耐性がついてる胡蝶なら問題ないけど俺はその日一日吐いて気分悪かったからさ」
「馬鹿なんですか?」
「開発者の性とでも思ってほしいな」
「馬鹿なんですね」

話している間にゆるりと解放された私の手は、じんわりと温かい熱を帯びていた。
瓶を伝って中の金平糖が溶けてしまいそうだと頭の螺子が外れた想像をするほどに、馬鹿は私のほうだ。

「感想は鴉を飛ばしてくれ」
「わかりました。ですが、何もお菓子にしなくてもいいと思います」
「ただ苦いだけってヤじゃない?」
「子供じゃあるまいし」
「子供だよ」

言い切った言葉の語尾が先ほどより強く思えて、思わず顔を上げてしまった。
灰色の切れ長の瞳がまっすぐ私を射抜いてくる。

「胡蝶はまだまだ子供だよ。大人になりたがっているだけの、心が先走って体が追い付いていないただの子供。守られていい存在だよ」

最初の言葉にカッとなって頭に血が上るのを感じたが、視界に映った彼の表情が、哀れみとも違う優しく穏やかな彼の表情が、春の日差しのように柔らかかった。
なんだか怒る気が失せてしまって今度は隠すことなくため息が出た。

そんな私を見て何故か満足そうに笑った彼は指笛を鳴らし愛馬を呼ぶ。
どこからともなく軽快に走ってきた馬は嬉しそうに彼に身を寄せていた。

「んじゃ俺はもう行くね」

慣れた手つきでひらりと馬に乗り、ゆるゆると馬の鬣(たてがみ)を撫でて顔をのぞき込む。
一層身長差が高くなった彼を見上げる私の視線は、何故だか彼の手に注がれていた。

「名字さんも、どうかお気をつけて」

思わず口から出てしまった言葉に、もう訂正はできそうにない。
そうとも知らずに真に受けたのか声を押し殺すように笑った彼は颯爽と馬を走らせその背中は見えなくなった。
着ている羽織が翻った先に、彼だけのために刺繍された黒く目立たない『滅』の文字が顔を出していた。

「あ!しのぶ様!先ほど名字様が来られて包帯や痛み止めなどがたくさん入った箱を受け取りました!そのあとしのぶ様をお探しになられていたのですが、お会いになりましたか?」

後ろから走ってきたアオイが興奮気味にまくしたてるようにそう話しているのを、にこりと笑って受け入れる。

「ええ。たった今帰りました」
「あ、そうなのですね…」

少し気落ちした声色になり、彼が去っていったほうを寂しそうに見送る視線に、あの男だけはやめておけと喉まで出かかった言葉をぐっと飲みこんだ。

「新しいものと古いものを整理しないといけませんね。このあと手は空いてますか?」
「あ!はい!お手伝いします!」
「では行きましょうか」

あの日、彼が御館様同席のもと私に秘密を打ち明けた際に言った言葉。
人を種類別に分類するならば自分は『亜人』であると言った彼は、どこか諦めたような顔をしていた。
人でもない。鬼でもない。
その特異な体質を隠しこの世を生きるのは容易ではない。
あまつさえ鬼殺隊に入るなど、どうして自ら生きにくいほうを選ぶのか。
亜人であることを利用しつつ亜人であるが故に人知れず苦しむ彼のことを、深く理解しようすればするほど蟻地獄だ。
そんな地獄にアオイを落とすわけにはいかないのだ。

今はまだそういう理由でいい。

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