「ノヤっさん、キスしたことあるか?」


部活での休憩中、唐突に変なことを言い出した田中に一気に視線が集まった。
指名された人物は急なことに一瞬固まったが、キッと田中を睨むとない!と言い放った。さすが西谷、なんとも返答が男らしい。


「だよな!」
「ってか何でそんなこと聞いてくるんだ?」
「や、単純にあるかなーって」
「あるわけねーだろ!」
「そうだ影山は?お前キスしたことある?」
「なっ!あっ!ありませんよ!!」
「「だよな〜」」
「お、おれもないです!」
「日向は聞かなくてもわかってた」
「おう、わかってた」
「えぇ〜!そ、そうですけど…!」
「あ!なぁ〜月島は〜?お前絶対あるだろー!!」


田中と西谷が更に周りを巻き込んでぎゃんぎゃんと騒ぎはじめたのを縁下がなだめていて。別の場所では大地と旭が呆れた表情で眺めていて。
そういえばあいつがいないなって見渡すと、俺から少し離れたとこでぼんやりとその様子を見ている名字に気付いた。


「名字は混ざんないの?」


地べたに寝そべって視線だけを送っている名字は、俺の言葉に反応するとそんな元気ない、とだけ言って完全にうつ伏せて寝てしまった。まぁ名字の体力のなさは今に始まったことじゃないし、あんな風にはしゃげないってのもわかるけれど。
だが、そんなゆっくりしたい名字をあの二人が放っておくはずもなく。


「「名前〜!」」


ほら、やってきた。


「名前!お前キスしたことあるか!?」
「俺はないに肉まん一つ!」
「俺もないにガリガリくん一つ!」


勝手に会話に誘い込まれたことに多少うんざりしながら顔を上げる名字に、俺も便乗してやろうと割り込んだ。


「俺はあるに肉まん一つかな〜」
「え!スガさん!まじっすか!」
「名前!どうなんだ!?」


覇気のない名字にぐいぐいと詰め寄る田中に対し、西谷もわくわくと返答を待っていて。かくいう俺も、この質問の答えに少しだけ興味があったりもする。きっと周りも少なからずそう思っているのか、ちらちらとこちらを窺う視線がいくつか感じられる。
名字は顔も良いし、身長もそこそこあるし、性格も悪くないから女子ウケはいいほうだと思う。告白されてるところも見たことあるし、キスの一つや二つ、経験があってもおかしくないと思うわけで。想像はできても事実は本人の口から聞かない限りわからないし。
田中や西谷みたいに煽ることはさすがにしないけれど、そこんとこどうなのか、やっぱり俺も気になるわけで。

じっと田中と西谷の様子を見ていた名字はゆるゆると起き上がって、自分の前でヤンキー座りをしていた田中の肩に手を乗せたかと思えば、思いっきり押し倒した。
ダァン、と体育館に響いた音は、そこにいた全ての人の視線を集めるにはいとも容易かった。
押し倒した田中の上に馬乗りになった名字が、ゆっくりと体を倒し、田中へと覆いかぶさって行く。その動きがやたらとスローモーションのように見えたのは俺だけじゃないはずだ。


「キスしたこと?あるって言ったらなに?どうなんの?」
「ちょ、まっ、名前…!?」
「今ここでおれとお前がキスしたらお前も経験済みになるんじゃね?」


いつもの名字からは想像できないほどの威圧感と、色気がそこにはあって。田中の頬をゆるりと撫でて、じわじわと近づく名字の顔に焦る田中。本来ならもうそのへんで止めなきゃいけないのに、目の前で行われるであろう行為にあまりにもドキドキしてしまって制止の言葉が出てこない。
あともう少しで本当にくっついてしまいそうな唇たちを、間近で、しかも真横から見てる俺と西谷のごくり、と生唾を飲み込む音がやけにリアルに聞こえた。
あと数センチ、ってところで、ようやく西谷が動きそうになったけれど、俺らの予想していた結果にはならなかった。ぐで、と田中の顔を通り過ぎた名字は田中の肩口に顔を埋め、やばい、と小さく漏らした。


「あー…だめだ、急に動いて下向いたからめっちゃ吐きそう。ちょっとトイレ行ってくる…」


よっこらしょ、とおじさんくさい掛け声で立ち上がると、フラフラとした足取りで体育館を出ていく名字に、全員がぽかんと見送った。
しん、と静まり返った体育館に、ようやく我に返った田中の絶叫が響き、俺たちもようやく放心状態から目を覚ました。


「うおおおおおおお!なんだあれ!なんだあれっ!!めっちゃ恥ずかしいいいいいいいい!!名前コノヤロぉぉぉおおお!」
「龍ぅぅぅううう!なんかちょっと羨ましかったぞ!!」
「あいつのドアップやべぇぇぇえええ!!トキメキすぎて死ぬかと思ったぜぇぇぇええ!!女子ってこういう気持ちになんのかぁぁぁぁあ!!」
「なんか俺もめっちゃドキドキいってる!!名前すげぇな!!」


逆にテンションがさっきよりも上がってしまった二人に、そろそろ大地から制裁が下されるだろうと思っていたら本当にやられててちょっと笑った。
田中と西谷もそうだけど、みんなほんのりと顔が赤い。そういう俺も絶対ちょっと赤い。
だってあんなの間近で見せられると誰だって赤くなるだろうし、それをされてた張本人なんかはもっとドキドキしただろうし。ああやってギャグっぽく振る舞ってる田中だけど、実際めちゃくちゃ恥ずかしいだろうし内心絶対穏やかじゃないはずだ。
あのとき西谷が動こうとした真意はわからないけれど、多分深く考えないほうが身のためだと思ったからやめておく。後々なんかめんどくさいことにならなきゃいいけど。


「(あ、でもそういえば…結局したことあるかないかの答えって聞いてなくね?)」


そうこうしてる間にトイレに行っていた名字がげんなりとした表情で帰ってきて、おもむろに俺の隣へと力なく腰を下ろした。おおぅ、だいぶまいってんなこれ。


「名字、大丈夫か?」
「あー…まぁ…マジ無駄な体力使ったって感じっすね」
「はは、ってか冗談でもびっくりしたんだけど」
「や、一回痛い目見せてやろうと思ってね。荒治療っすけど」
「まー今回のはだいぶ効いたと思うぞ?」
「じゃなきゃ困る」
「んでさ、結局のところどうなわけ?」
「はい?」
「キス、したことあんの?」


細く伏せられていた目がすっと俺を捉えた瞬間、さっきの田中への行動を思い出して何故だか妙に緊張してしまった。
蛇に睨まれた蛙とは少し違うけれど、体の動きがビタッと止まった俺の背中からは嫌な汗がたらりと流れた。名字が言葉を発するまでの数秒が、数時間経ったかの感覚になった。


「あぁ、あるよ」


こちらを横目で見たままそう言った名字は、口元に緩く弧を描いて更に続けた。


「なんなら、確かめてみます?スガくんが嫌じゃなければいいっすよ。おれ」


やばい。名字の、口元にしか目がいかない。
確かめるって、それはつまりキスをするって意味で。俺が嫌じゃなければいいってことは、俺と名字がキスするって意味で。っていうかキスしたことあるかどうかを確かめるのにキスしたらわかんのかって話だけど。
あ、やばい。なんか、ちょっと、ほんとやばい。
明らかに返答に困っている俺をじっと見つめた名字は、途端さっきまでの鋭い笑みじゃなく、いつもの後輩らしい表情でにこりと笑って。


「ふはっ、スガくーん。ジョーダンっすよ!んなあからさまに困惑しないでくださいよ。マジで男同士でやるわけないじゃないっすか!おれだってやるなら断然女子がいいし!ま、スガくん顔キレイだから女装したらできなくもないっすけど〜」
「おっ!まえ!なぁっ!先輩をおちょくんなっ!」
「さーせん。ちょっと度が過ぎました〜」


悪戯が成功したみたいにケラケラと楽しそうに笑う姿は本当に一つ下の後輩そのもので。
何故か少しほっとしたような、それでいてどこか物足りなく感じるような。まさかしてほしかったとか?いやいやいや、ないないない。でもさっき感じたやばいって、何がどうやばいのか。
少しだけ、ほんの少しだけ、名字とならしてもいいかなって思いそうになったからマジで焦ったっていうか。一瞬でもそういう行為をしている自分たちを想像してしまったっていうか。西谷が言った羨ましいって言葉、当たらずとも遠からずかもしれない。



Sly your bad joke.



あ、ってかこの結果って俺肉まんゲットじゃん!
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訳:狡い君の悪い冗談

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