自室で本を読んでいたとき、ふと部屋の前に人の気配がした。横目で確認した戸の影に、俺は小さく溜息をついて「何か用か」と短く告げる。

「入ります」

入ってもいいか、とか開けてもいいか、などの伺いを立てる言い回しでなく、有無を言わさない確定事項としての返事がくる。ちなみに俺が最初にした質問に対して答えがないのはいつものことだ。
すっと部屋に入り後ろ手で障子を閉め、寝転んでいる俺の隣に座り、こちらをじっと見つめてくる。眉間にシワを寄せ、小難しい顔を晒していた。言わずとも何を求めているのかわかっているため、俺は隠すことなく深〜い溜息を見せつけた。
読んでいた本を閉じ、上体を起こすとあぐらをかいて背を向ける。お互い無言のまましばらくその状態でいると、ふいに後ろで結んでいた紐が解かれた。そうして丁寧な手つきで一房の髪を掬うと、持ってきていたのであろう櫛で解き、慣れた様子で手を動かし始めた。
こうなってしまえば止めることはできないことを嫌というほど理解しているので、されるがまま、閉じた本の続きを読むべく視線を落とす。

一房掬っては解いて結んで。ずっとその繰り返しだ。
本に集中しようにも、どうにもこの単調な動作が眠気を誘ってくる。だんだん活字を追えなくなっていく目が、重い瞼を必死に押し返す抵抗もむなしく、意識までも手放そうとしたときだった。

「和泉守」

眠気が吹き飛ぶくらいに、覚醒力のある声だ。はっとなって返事をする前に、また声が降ってくる。

「とても綺麗」

これは、慌てて返事をする必要がない会話だとわかった。言いたいだけ言わせておけばいいのだ。聞くに堪えない言葉だったとしても、聞き流していればいつか勝手に満足して終わるのだから。

「本当に綺麗だね」

感嘆の息をはきながら、壊れ物を扱うかのように触れる指先に、神経の通っていないはずの髪から熱を感じる程だ。後ろで壊れた人形のように「綺麗」と「美しい」を交互に言い、その上言い方を様々に変えて吐き捨てて行く。
俺はそれを拾うことをしないし、相槌を打つこともしない。ただひたすらに無心になって、したいようにさせ、言いたいだけ言わせてやるのだ。

「和泉守、何を読んでたの?」

ようやく、髪から意識を逸らした言葉がきた。ここからは返事を求めた会話が優先されるので、面倒くさいと思いながらも律儀に受け答えをしてやらねばならない。

「この間借りた小説だ」
「貸したっけ?」
「覚えてねぇのかよ?」
「うーん、記憶にないなぁ」

と、本人は申しているが、ちゃんと数日前にやり取りした記憶が俺にはある。まぁその時政府に出す書類を死んだ顔でまとめていたから無理もないだろう。その所為で溜まったストレスが原因で今こうなっていると言っても過言ではないからな。

「ねぇねぇ、やっぱり相棒がいないと寂しい?」
「んあ?国広のことか?」
「うん」
「んー………、そうでもないな」
「なんと。薄情な奴よ」
「そうじゃねぇよ。そりゃいたら懐かしいし話すのも接するのも楽だけどよ、あいつありきの俺じゃねぇだろ」
「ほう?」
「あいつがいないと俺は使えない刀か?」
「そういう意味で言ったんじゃないんですけど」
「…わーってるけど、寂しがってるように見えたかよ?」
「いいや?」
「なら別にいいじゃねぇか」
「そうなんだけどさ」

喋ってる間も手は止まることなく俺の髪を触り、形を変えていく。自分の髪がどうなってるのかは確認できないが、いつもは覆われているはずの背中の感覚が少なくなってるあたり、相当三つ編みでまとめられたのだろう。

「わたしさ、ふとしたときになんか寂しいなーって思うときがあって」
「は?」
「別に審神者の仕事が嫌だとか、そういうことを思ってるわけじゃないんだけど。審神者をする前に一緒に過ごしてきた親や友達と全然連絡なんかとってないし、っていうか忙しくてそれどころじゃないし」
「………」
「社蓄精神じゃないけど、多忙であることは結構好きでさ。目の前のことに集中すれば考えなくていいことを考えなくて済むでしょ?そうしたらいつの間にか寂しいなって思ってたことすらも忘れてまたいつも通りになれるんだよね」
「………」
「わたしですらそういう気持ちになるんだから、きっと相棒とか兄弟と呼べる関係の者がいた刀剣たちも、もしかしたら同じ気持ちを抱いてたかもしれないなーって思って。自分のことばっかりで周りに全然配慮できてなかったなって思って。一度思ったら確認したくなって。だから聞いてみた」

声色からして、少し申し訳なさそうに笑っているんだろう。顔を見なくてもどういう表情をしているのか、安易に想像できる。

「じゃあ、俺が寂しいっつったらお前鍛刀するのかよ?」
「え?うーん………、和泉守がどうしてもって言って泣きじゃくるなら考える」
「ハッ。まずありえねぇ状況だし、そうなったところで考えるだけかよ」
「いやぁ…うん…」

以前こんのすけが言っていたが、この本丸は他の本丸に比べて、比較的刀剣が少ない。必要最低限の数しか揃っておらず、ここの審神者は滅多に鍛刀をしないのだ。だいたい全て拾ってくる刀剣で賄っており、審神者自らが鍛刀せざるを得ない状況で顕現されたのが初期刀である山姥切国広と、小狐丸と、俺だ。

あまりにも鍛刀をしないものだからポンコツなのかと思ったが、現に初期刀を顕現させる力があり、小狐丸や俺を呼び出す運もあるのだ。やろうと思えば刀帳なんてすぐ埋まるだろう。それなのにしない。敢えてしないのだ。
不思議に思って一度本人に確かめたことがった。故鍛刀をしないのか、と。すると「こう見えて独占欲が強いから」と返されたそれに、答えになってねぇ、とその時は思った。

「わたしは自分の両腕に収まるだけの存在しか大事にできない。そんなわたしの腕は結構狭い。ちなみに心も狭い」
「知ってる」
「わ。酷い」
「今自分で言ったんじゃねぇか」
「自分で言うのと誰かに肯定されるのとでは傷付き度合が違う。そして今少しむかついた」
「本当に心狭いじゃねぇか」

憎まれ口をたたいても、多少失礼なことを言っても、それが許される関係でいれるのは審神者が鍛刀をしないおかげだ。無駄に増えることがない人数は妙に安定感があり、それ以上に審神者が自ら鍛刀した、という優越感がたまらなく心地良かった。

「俺は別にこの本丸にもお前にも不満なんかねぇぜ?」
「へぇ?」
「信じてねぇな?」
「いやいや、嬉しいよ」
「本音なのになぁ」
「疑ってないって」

審神者が感じる寂しさを俺たちが代わりに埋めることはできないだろう。審神者も俺たちにそれを望んでないし、代わりになってもらいたいとも思ってない。独占欲が強いと口に出して言ってはいるが、基本的に放任主義で過ごさせている。審神者の言う"独占欲"がどういう時に、どうやって発動するのかは知らないが、今のところそれを感じたことはない。

レア刀を欲しがることもなく、鍛刀をすることもない。今の現状をできるだけ長く保ちたいと常日頃口にしている。


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