海面、気候ともに穏やかな時間が続いていた。静寂を知らないこの船のクルーたちの声に交じって船体にぶつかる波の音が聞こえる。
暑すぎない日差しも相まって夢の中へ旅立とうとする意志を止める人は誰もいなかった。はずだった。

「おい」

聞きなれた声色に反応したくても閉じられた瞼のなんと重いことか。
無視を決め込む姿にイラついたのか次に聞こえた文言はさっきと同じではあるが少しばかりイラ立ちも含まれていた。

「おい」

わたしが起きていることを知ってか知らずか。もうすでにわたしからの返事を期待していない彼は構わず言葉を続けてきた。

「暇ならちょっと付き合え」

いや暇ではないが?明らかに今から寝ようとしている人を見てどうして"暇なら"なんて言葉が吐けるのか。お前の目は節穴か?

「…忙しいのが見てわからないの?」
「どこがだ。寝てるじゃねーか」
「寝るのに忙しくしてるのがわからないの?」
「アホか。ほら行くぞ」

反論もむなしく甲板に転がっていたわたしの体はヒョイと担がれる。起きるつもりは毛頭ないためされるがまま運ばれるままなすがまま。お腹にまわされた彼の無駄に鍛えられた腕が脆弱なわたしの内臓を圧迫する苦しさに思わず呻き声が漏れる。一瞬ピタと止まったが構わず歩き出したところを見るに担ぎなおす優しさはないみたいだ。

「寝すぎだろ」

いやアンタに言われたらおしまいだけど?と心の中で反撃開始。
彼の睡眠の理由は知らないがわたしにはちゃんと理由があるのだ。今ここで語ることはしないけれど。

わたしがこうして彼に運ばれているのは彼のトレーニングに付き合うからだ。といっても今にも寝てしまいそうなわたしが体を動かすわけではなく。ただの重りとして活躍するだけなのだ。人間バーベルといえばいいのか。暇そうに転がって寝ているからとその扱いはなんとも雑だ。

船尾のほうへ歩いていく彼の足音はこんなにも近くに聞こえるが、騒がしいクルーたちの声は遠のくばかり。誰もわたしが気持ちよく寝れる空間を提供してあげようという気持ちがないことがよくわかる。
おもむろに背中へと押しやられたわたしの体は腕立て伏せをする彼の重りとしてあてがわれた。ゴツゴツする背骨が痛いし硬い筋肉ベッドはなんとも寝心地が悪いのなんの。それでも一定のリズムで上下するのはさながらゆりかごのようにも思えきた。わたしの睡魔恐るべし。

「お前、また減ってるぞ」
「なにが」
「体重だ。飯食ってねェだろ」
「え。こわ。きも」
「重しになんねェだろうが」
「そんなの知るか」

目が覚めるようなキモイことを言われたが瞼は依然として重い。
まぁ確かに?最近ご飯食べることをサボっていた気もするがそれをこの男に指摘されるとゾワっとくるものがある。サンジくんやチョッパーに心配されるのとはまた全然違うのだ。
重りが必要なら碇でも背負ってろ、とまたしても心の中で毒づくが声に出していないので意味はない。

「コックにでも言っとくか」
「マジやめて」
「ならしっかり食うことだな」
「ゾロはもう少し贅肉があってもいいと思います」
「話変えんな」
「変えてませんけど?」

わたしを重しとしてこれからも使いたいのであれば背中に乗ったときの居心地も大事にしてほしいところだ。こんなカチコチのベッドじゃ悪夢しか見れんわ。

「黙ってゆりかごになってなよ」
「なるほど。スピードアップしていいってことか」
「ころすきか」

睡魔はやってくるのにタイミングよく話しかけてくるもんだからあと一歩で現実に引き戻される。それがどうにももどかしくて欠伸を嚙み締めた時に出た涙が目じりを伝って彼の背中のシャツを濡らした。
ふわりと漂ってくるご飯の匂い。今頃サンジくんが腕によりをかけて作っていると思うと今日は少しばかり頑張って食べようかなという気持ちになる。

「そういえば今日の昼飯は魚だっけか。なんでも船の近くでクソでけェ魚が浮いてたらしいじゃねェか」

大きな魚。そういえば昨日見張り番をしているときに船に近づいてきたあの魚のことか。みんなが寝ている時間帯を狙ってきたソイツをそういえばこっそりどうにかしたっけな。夜が明けて朝食の仕込みを終えたサンジくんが声をかけてくれたときに見つけてくれたっけ。

「あぁあれね…みんなを起こさないようにお願いしたけどきいてくれなかったバカな魚だよ」
「は?お前それどういう…」

その言葉を最後に今の今まで抗ってきた睡魔の手をとったわたしは彼の疑問を晴らすことはできなかった。
意識がスゥっと深海へもぐるように沈んでいく。それはきっと死ぬときの感覚に似て非なるものだ。次に目を覚ましたときは豪華な魚料理のフルコースがテーブルの上を埋め尽くしいた。
わたし用にとプレートに飾り付けられた魚料理を寝ぼけ眼でもそもそ食べながらみんなの騒がしい声に耳を傾けていた。彼だけが何かを言いたげにしていたようだが、まだその真相を語ることができないわたしの罪悪感をいつでも彼のトレーニングに使われる重しとして消化していこうと思う。

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