「黄瀬涼太っている?」
体育館の外に面した入口に立っていると、後ろから聞こえた声に、また黄瀬のファンの子だろうか、と思いながら振り返った先には青い制服に身を包み、薄い茶色の髪を揺らした言うなれば美人の部類の女子生徒が立っていた。
帝光中の白いセーターもブレザーも着ていない、その青い服がやけに目に飛び込んできて。他校からの追っかけだろうか、と思いはしたが、中学生という顔立ちではないことだけはわかった。
なかなか返事をよこさない俺に、彼女はいるの?いないの?と多少キレ気味に問いかけてきて、それにはっとしたようにいる、とだけ答えた。
「悪いけど、ちょっとそのバカ呼んできてくれる?」
呆れた表情でそう言った彼女の口からは、黄瀬イコールバカ、として言葉が出来上がった。この時点でファンではないことが見てとれたが、その他の繋がりが読み取れなかった。
とりあえず彼女を待たせるのはまずいと思った俺は、コートの中で楽しそうにボールを追いかける対象者を呼ぶことにした。
「黄瀬、ちょっと来い」
「え?オレ?」
「他の者はミニゲームを続けていろ。黄瀬が抜ける分は誰かが入って続行だ」
「「「はい!」」」
なんなく再開し始めた体育館の中を見て、今度は黄瀬へと視線を向ける。俺に呼ばれたことに対し、何かしただろうか、と不安そうな面もちでこちらへやってくる様は、まるで怒られるのをビクビクしている犬のようだと思った。
そんな彼に、俺は少しだけ笑いながらお前に客だ、と言えば、え、と顔を歪める。それもそのはず、自分に客といえばあまりいい答えを想像しないのが黄瀬だ。
いつもなら引き受けない依頼を俺が許したとなると、黄瀬もますます嫌な顔をして。
「赤司っち〜、客って女の子でしょ?できたら行きたくないんスけど…」
「そういうな。ただのファンなら俺だってお前を呼んだりしない。なんかワケありみたいだったか「涼太!」
「っ!?え!?名前!なんでここにい「てめぇふざけんな!なんでわたしがあんたのために動かなきゃいけないわけ!?」
「え!なに?なんでそんな怒ってんの?」
「こ、れ、の、せいよっ!」
そう言って彼女が思いっきり投げたものを黄瀬は顔面で受け止め、そのまま変な声を出しながらバランスを崩して背中から倒れていった。が、すぐに起き上がり顔に投げんな!と怒鳴る。
その怒りを受け止めることなくさらりと流し、まるで何も聞こえていなかったように彼女は俺に声をかける。先程の口の悪さなど微塵も感じられないくらい美しく微笑んで。
「あなた、もしかしてバスケ部のキャプテンだったりするの?」
「あ、はい。そうですが…」
「そ、じゃあ少しだけこの子借りてもいい?ちょっと話があるの。そんなに長くはならないから」
「赤司っち!お願い!どうにかして断「ええ、構いませんよ。時間も、気にしないでください」そんなぁぁぁぁああ!赤司っちぃぃぃいいい!」
「涼太うるさいっ!どうもありがとう。じゃあ遠慮なく借りていくわね!オラさっさと来いドカスが!」
「いやだぁぁぁああ!赤司っち見捨てないでぇぇぇええ!」
そう言って連れて行かれた黄瀬に、周りがなんだどうしたと騒ぎ立てるが、俺が気にするなと一言発するとすぐにミニゲームが再開された。
そんなに遠くへ行ったわけでもなかった二人の会話は、その場所を動くことのなかった俺の耳によく届いた。
いや、動くこともできたのだが、いかんせんあの女性が黄瀬とどういう関係にあるのか少しだけ興味があった。だから敢えて動かなかった。
ギリギリ聞こえる声に耳をすまし、俺に見せた表情とはまた違うそれで黄瀬に接する彼女の声を聞くからに、どうやら今は財布の話をしているらしい。なんで財布なんだ。
「そうね、シャ○ルのカンボンシリーズの長財布で手を打とうかしらね。あの外が黒で中がピンクのやつよ。わかるでしょ?」
「いやいやいや!おかしい!高すぎるから!中坊にそんなもんたからないでよ!」
「何言ってるの。今一番稼いでるじゃない。それぐらい安いもんでしょうが」
「無理無理!だってこの前カバン買わされたばっかだし!」
「このわたしをパシったのよ?それくらい払って当然よね?」
「でも…!」
「あんたが忘れ物さえしなければこんなことにはならなかったんだから。悪いのは全部あんたでしょう?それともなぁに?わたしが悪いっていうの?へー。ふーん。あっそう。わかったわ。今まで付き合った子全員に匿名であの写真でも送ろうかしらね。化粧が施された顔のまま全裸で酔いつぶれて寝てるあんたのあられもない写「ごめんなさい本っ当この通り謝ります財布もプレゼントして差し上げますからどうか!どうかそれだけはマジで勘弁してください!っていうかなんで名前がオレの付き合った子全員知ってるのか知りたいんだけど!でも聞くの怖いぃぃぃいい!」
「交渉成立ね。ありがとう涼太、大好きよ」
「ぅうっ…鬼…」
「あんだって?えぇ?コラ。もっぺん言ってみな?」
「だっ大好きです!」
これは、聞いてもよかったのだろうか。なんて思いながらも、やはりますます気になる二人だと思う。とても興味深い。
それと、先程何やら聞き逃すことができなかった単語があるのだが…まぁそれについては後で黄瀬に聞き出すことにしよう。言い訳は認めないが、理由によっては許さなくもないからな。未成年の飲酒は法律でも禁止のはずだ。
体育館でのメンバーの動きをチェックしながら、あの二人がこちらへ歩いてくる足音を拾い、俺はもう一度彼女が声をかけてくるのを待っていた。
「えっと、赤司くん、でいいのよね?」
「え?あ、はい。話は終わりましたか?」
「ええ。実に有意義な話し合いができたわ。「どこが!」時間を作ってくれてどうもありがとう」
「いえ。あの、なぜ名前を…?」
「あら?ごめんなさい!そういえばまだ自己紹介していなかったわね。わたし、この愚弟の姉をしています黄瀬名前と言います。チームメイトの話はよく聞いているし、さっきこの子が赤司っちって言ってたから間違いないと思ってね」
「黄瀬の…お姉さん、ですか?」
「ええ、わたしに似て顔だけは美しく出来上がったみたいなんだけれど、中身はどうも似なかったようで…本当に残念だわ」
「ええ、そのようで」
「赤司っち!?それどういう意味っスか!」
俺と彼女の会話に入り、やかましく喚いている黄瀬のみぞおちに、彼女の手刀が見事に決まった。途端、苦しそうに膝から落ちていく黄瀬はさっきよりかなり静かになって。確かにあの入り方は痛いな、なんて思っていると、彼女がもう一度俺の名を呼んだ。
「赤司くん」
「はい」
「この子ね、ずっとつまんなそうに生きてきたの。生まれ持った特技を活かしきれなくて悩んでたのも知ってるわ。なんとか力になりたいって思っていたけれど、わたしが出しゃばる前に勝手に見つけてきたみたいでね。バスケなんて一度もやったことないだろうし、この子バカだから細かいルールとかも覚えさせるの苦労すると思うけど、この子の特技はこの先必ずチームの戦力になると確信してるの。だから、涼太のこと、お願いね?」
そう言ってにこりと笑った彼女はやはり美しく。黄瀬と顔が似ているけれど、どこか女性らしい雰囲気が更に彼女の魅力の最大要素となっていた。
姉としての彼女の言葉に、黄瀬は目を見開いたまま彼女を見上げていて。きっと、初めて聞かされた本心に、思考がついていかないのだろう。
彼女に言われずとも、黄瀬の力を戦力と考えていた俺にとって、彼女のお願いは必然的に果たされることになる。俺の目に狂いはないからな。
「黄瀬が試合に出れるようになるのは時間の問題です。その時はどうぞ、見に来てください」
「あらそう?ありがとう。その時がきたら是非行かせてもらうわね。あ、そうそう。赤司くんならわたしが頼まなくてもしてくれそうだけど、この子が吐くほどみっちりしごいてやってね」
「え!?」
「言うこと聞かないときなんかは殴っても構わないから」
「殴る!?」
「あぁでも、顔はダメよ?モデルだとかそういう理由じゃないれど顔はだめ。わたし涼太の顔が一番好きなの。だから例え赤司くんでも涼太の顔を殴るのは許さないわ。服の下とか見えないところならどこでもいいけれど…」
「それただのイジメだから!」
「顔を殴っていいのは姉であるわたしだけだから!」
「姉でもダメだから!もう名前これ以上変なこと言うのやめてっ!」
「ちょっと、さっきから涼太うるさいわよ。あんたにもう用はないんだからさっさと練習に戻りなさいよ。この中で一番ド下手くそのくせに。生意気にサボってんじゃないわよ」
「ええええ!?名前が呼んだからここにいるのに!ヒドッ!」
「それじゃあわたしは帰るけど、今度こんなしょうもないことでわたしを使ったら…賢い涼太ならわかるわよね?」
「はいっ!以後気を付けますっ!今日はすみませんでしたっ!」
「よろしい。じゃ、また家でね」
綺麗な笑みを崩すことなく、黄瀬とのやり取りを終えた彼女は、最後にもう一度俺を見据えるとふわりと笑った。
「それじゃあ赤司くん、後はよろしくね」
「はい。後のことは全てお任せください」
俺の返事に気を良くしたのか、嬉しそうに笑って帰って行く後姿が、黄瀬を怒りにきただけとは思えなかった。きっと彼女なりの心配があって様子を見にきたのだろう。でなければ、あんな本音を口にはできないだろうから。
「良い姉を持ったな。黄瀬」
「ええ?まぁ、そう、っスね。自慢の姉ちゃんですけど…赤司っち、まさかとは思うけど惚れてないっスよね?名前はあの通り顔だけは良いんスけど中身はホントだめだめで…」
「なんだ?姉の株を落して余計な虫がつかないようにしてるあたり、随分と御執心のようだな」
「そっ!う、です…はい…例え赤司っちでも名前はあげないっスからね!」
「いいだろう。だが、それを決めるのはお前ではなく彼女だがな」
「えー!マジっスか赤司っちー!お願いだから名前はだめっスよ!」
「うるさいぞ。いい加減さっさと練習に戻れ」
納得いかない、と表情に出したまま渋々コートへ戻っていく黄瀬を見送りながら、あの美しく統一されたあの青い制服の学校を思い出していた。あれはたしか神奈川にある海常高校だったはずだ。
俺が候補として数に入れていた場所ではなかったが、彼女が在学中に行けるのならばそこへ決めてもいいような気がした。今のところは、な。
ALICE+